第21話 分かり合える人。

「う、浮気現場っ!?」


「え?」


 突然のことに困惑していると、胡桃さんはずんずんと近付いてきて俺たちを引き剥がす。かと思えば、俺の左腕にコアラの如くしがみついて来た。何これかわいい。


 ぷっくりほっぺがその怒りの度合いを明らかにさせている。かわいい。

 確かに転んだ瞬間を見ていなければ勘違いしても仕方がないだろう。かわいい。


 ……いかん、胡桃さんのあまりの可愛さに俺の言語中枢に異常が発生してしまっている。エマージェンシーエマージェンシー。この感情の高ぶりを収める方法を知っているお医者様はいらっしゃいませんか。


「えい」


 ぷくっとしていたほっぺをつついてみる。


「……!?」


 びっくりした表情をしたかと思うと、次の瞬間には俺をキッと睨んできた。そんな視線もキュートだから罪な美少女なんだぜ。


「浮気じゃないよ」


「だ、抱き合ってたじゃない!」


「転びそうになったところを支えただけ。誤解させてごめんね」


 変にこじれる前に、謝罪しておく。浮気はしてるしてないにかかわらず、疑われるような行動をとったことを謝った方がいい、とアニメのチャラ男キャラが口にしていたしな。俺はチャラくないが。


「……ほんとに?」


「嘘だと思う?」


「……思いたくない、けど」


「俺が好きなのは、未来永劫胡桃さんだけだよ」


「~~っ」


「あ、照れた! 可愛いなぁ! 小倉もそう思わない?」


「なっ、ばっ、何言って——」


「思う」


「何言ってるの!?」


 淡々と首肯する小倉に、驚きを隠せない様子の胡桃さん。しかし次の瞬間にはハッとして、俺の身体を盾にするように、その身を後ろへと隠してしまった。彼女はそのまま少しだけ顔を出して小倉を覗き見る。


「……クラスのみんなには、注意したから」


 急な話題転換に多少面食らうが、元々それを言いに来たのだろうことは容易に想像できた。

 俺は余計な口を挟まずに、視線を胡桃さんから小倉へ。彼女はなんと言って良いのか、どう返して良いのか分からないと言った様子で視線をさまよわせ、俯き、もじもじと所在なさげに指を絡めて――


「あ、ありがとう」


 と、そう呟いた。


「……別に。そう言われたくてしたわけじゃないし……というか、勘違いしないで。私は小倉さんのこと、許してないから」


 対する胡桃さんの言葉は冷ややかな物である。


「……っ」


「虐められて、水もかけられて、……許せない」


 それは、本音だろう。


 いくら小倉が胡桃さんと仲直りしたいと思っていようとも、それは容易なことではない。両者の関係は加害者と被害者であり、その善悪はどうしようもなく明瞭なものなのだから。


 ここは第三者として何かしら口を挟むべきなのだろうか。

 僅かに思考して――しかし、胡桃さんの表情を見て口を噤んだ。


「——でも、同情できるのは、私だけだから」


「え?」


「今の小倉さんの状況もわかるから……だから助けた。ただそれだけ。私はあの思いが本当に嫌だった。味方が居なくてすべてが敵で、誰も手を差し伸べてくれなくて……。凄く辛くて、だから、そんな思いを誰にもしてほしくなくて……」


 つらつらと、勤めて無感情に淡々と事実だけを語ろうとする胡桃さん。けれども、その言葉尻は湿っぽくなってきて——


「——胡桃さん」


 彼女は、目に涙を浮かべていた。


 何故なのかはわからない。感情が高ぶって無意識なのか、どうなのか。

 俺は胡桃さんことを愛していて、胡桃さんのことは何でも知っているけれど、しかし彼女の気持ちはわからない。そして、わかってはいけない・・・・・・・・・

 安易に理解することは、彼女に対する冒涜だから。


「だから、私は助けた。わ、私は……私のために、小倉さんを助けただけだから。だ、だから……許してもらえたとか、そういう勘違いはしないで……っ」


 胡桃さんは、スンっとはなをすすりつつ、目元を袖口で拭った。それはなんと言えば良いのか……いかにも胡桃さんらしい答えだった。


「……うん、分かってる、から……許してもらえてるとか、思ってない……。だ、だけどっ、これだけは言わせて……ください」


 対する小倉の声色も、震えていた。

 手も震えて、足も震えて、端から見ても感情がごちゃ混ぜになった状態。

 だけど、彼女は喉の震えを抑えるように一度大きく息を吸って――。


「今まで、嫌がらせをして――本当にごめんなさい」


 胡桃さんに対して頭を下げた。

 屋上に静寂が落ちる。下の階から授業を進める教師の声が聞こえてきて、グラウンドからは体育に励むクラスの喧噪が聞こえてきた。

 日常の中の、非日常。


 眼前で頭を垂れる少女は肩を震わせ、その緊張の度合いは目を見るよりも明らかだ。


 そんな彼女を胡桃さんは数秒見つめると、一步二歩と近付いて――。



  ☆



 謝罪で物事が解決するなんてことは、大人になるに連れて少なくなる。『ごめんなさいで済むなら警察は要らない』なんて言葉が、それをよく現しているだろう。


 大人になれば、大抵の場合はそれに応じた責任を取る必要があるものだ。こと俺たちのような高校生においては、ある時は子供、ある時は大人なんて括られてひどく面倒な立ち位置だったりするが、今回の一件に関しては、大人として振る舞うのが正解なのだろう。


「ごめ、ごめん……なさいぃ」


「……ん、もう、泣き止んで?」


「うぅっ、だ、だって、だってぇ……っ」


 ――しかし『ごめんなさい』の一言で、完全にとまでは行かずともある程度許容出来てしまうのが古賀胡桃という少女な訳で。


 俺には無理だろうな。

 そんなことを思いながら、俺は自動販売機に小銭を入れた。


 場所は屋上から校舎の中へ。俺は四階に並んでいる自動販売機にて缶珈琲一つとココアを二つ購入してから、二人の方へと足を向けた。


 彼女たちは四階へと続く階段に腰掛けており、未だに謝罪を繰り返す小倉の頭を胡桃さんが撫でている。……羨ましすぎるんだが?


 百合の間に挟まる男は許容できない系男子の俺であるが、それが好きな人となれば話は別である。


「胡桃さん、俺の頭も撫でてくれ」


「……な、なんで?」


「羨ましいから」


 素直に言うと、胡桃さんは唇を尖らせる。


「今、ふざける場面じゃ無いと思うけど?」


 あら、手厳しい。しかし胡桃さんの言うことも一理どころか百理ぐらいあるので渋々引き下がると、小倉が胡桃さんの腕を掴んだ。


「ごめん、ごめんね……、胡桃ちゃん・・・・・


「うん、分かったから。ね?」


 泣きながら謝罪を繰り返す小倉に、聖母の如く慈愛を見せる胡桃さん。何度でも惚れ直してしまう……けど、ちょっと待って?


「……胡桃ちゃん・・・・・?」


「……」


 違和感を抱いたのは俺だけのようで、胡桃さんは俺の言葉に可愛らしく小首をかしげるのみ。スッと目を細めて小倉を睥睨するも彼女はこちらを向かず、胡桃さんにすり寄る様はまさしく泥棒猫……。


(こいつ……)


 俺は二人にココアを渡しつつ胡桃さんの隣に腰掛けると、胡桃さんの腕を掴み、引き寄せて――。


「なっ、なに!?」


 若干頬を赤らめながら戸惑う胡桃さん。そんな彼女を挟んで反対に座る小倉へ告げた。


「胡桃さんは俺の嫁だから」


「ほ、ほんとに何!?」


「……」


「お、小倉さんもなんで無言!? あー! もう! 訳わかんないんだけど!?」


 頭を抱えた胡桃さんの声が響くと同時――六限目の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

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