第19話 空気を壊す人。

 小倉おぐら調しらべ


 胡桃さんが自殺未遂にまで至った、一連の虐め事件における元凶と言える少女。高校一年生の時に、小倉が胡桃さんを誹謗中傷したことにより胡桃さんは孤立し、虐められるに至った。


 つまるところ、俺の怨敵であり、外敵であり、世界で一番嫌いな人間である。……が、しかし、俺はそんな彼女のことが気になっていた。もちろん恋愛感情とか友愛とか、そう言う浮ついた意味ではない。


 俺が気になっているのは、彼女の現状である。


 教室の隅、窓際の自席にて黙々と弁当箱に箸を向ける小倉。その周囲に人はおらず、約一週間前の彼女と比べれば、天と地ほどの差がある。


 加えて、ちらり、ちらりと彼女へ視線を向ける女子生徒がクラスには数人おり、その表情には嘲笑めいた色合いが窺いとれた。


 ……と言うわけで、俺は胡桃さんとのラブラブランチタイムを終えた後、桐島くんを渡り廊下に呼び出した。次の授業まで残り十分だというにもかかわらず、嫌な顔一つ見せずに応じてくれた彼に感謝である。


「桐島くん、桐島くん。少し尋ねたいことがあったりするんだけど」


「尋ねたいこと? あー、初めての彼女について?」


「! 何で知ってるの!?」


「いやいや、古賀の態度が明らかに違ってただろ。正直付き合うまで秒読みだとは思ってたが、付き合い始めたら始めたであからさまなんだよな、お前ら」


 ――その方が見ていて微笑ましいけど。


 桐島くんはそう言ってにっ、と笑う。相も変わらずイケメンだ。本当にどうして俺の友達なんかをしてくれているのかが皆目見当も付かないぜ。が、しかし今回はそのことではない。


「彼女についてはまた今度聞くとして、今回は別件」


「ほう、きっちーくんが古賀以外のことに興味を抱くとは……で、なに?」


 なんと切り出して良いか逡巡した後、桐島くん相手に隠し事をしても意味ないかと判断して単刀直入に尋ねることにした。


「小倉がああなったのって、俺のせい?」


「いや、あいつ自身のせいだろ」


 即答された。桐島くんは続ける。


「まぁ、確かにお前が小倉を――あー、驚かせた結果、あいつはクラスにおける立ち位置を失ったのは確かだけど、でもああなったのは小倉自身の責任だと思うぜ、俺は」


「……そっか」


「まぁ、あからさまに手のひらを返す教室の空気には吐き気を催すけどな」


 桐島くんは吐き捨てるようにそう言うと、渡り廊下の手すりに肘を置いて外を見やる。


 そこに広がるのはごく普通の高校生活を享受している生徒たちの姿。別におかしなことでは無い。むしろ彼ら彼女らには関係の無いことなのだから当然の事だ。


 でも、何故だかもやもやした。



  ☆



 五限目の授業が終わり、本日最後の授業。本来ならば数学という文系生徒には苦痛でしかない授業であるが、本日は異なっていた。教壇に立っているのは数学教師ではなく担任である物部先生。彼は授業が始まるや否やこう言った。


「これから修学旅行の自由時間の班を決めてもらう」


 二泊三日の修学旅行は二日目に自由時間が与えられていた。修学旅行自体、強い想い出となることはまず間違いないのだが、旅行先である京都の町を仲のいいクラスメイトと闊歩するというのは、それ以上のものがあると言っても過言ではない。


 つまり俺と胡桃さんのラブラブメモリーの一ページ目という訳だ。


「班の人数は四人以上六人以下。男女混合でもそうでなくても構わない。決まったら俺に言いに来い。質問はあるか? ……無いようなら、後は自由に決めてくれ」


 誰も手を挙げなかったことで班決めが始まった。と、同時に俺は立ち上がる。そして一直線に向かうのは愛しの少女の下。近付いてくる俺に気付いて胡桃さんが視線を向けてくる。合う。逸らされる。


「胡桃さん、婚前旅行だね」


「は、恥ずかしいからやめて……っ!」


 顔を真っ赤にして俯いてしまう胡桃さん。最高にキュートだ。


「恥ずかしがってる胡桃さんも最高に可愛いよ」


「ば、ばかっ」


 そんな感じで胡桃さんとイチャイチャしていると、班員が決まった生徒たちが次々物部先生の下へと向かっていく。すると彼は急に慌てだして「班員を書き込む紙を職員室に忘れた」と言い残し、教室を後にしてしまった。


 教師が居なくなったことで、それまでも十分に騒いでいたクラスの喧騒がさらに増す。俺は胡桃さんと会話しつつ、ふっ、と小倉へと視線をやる。


「……」


 皆が騒いでいる中で、彼女は浮いていた。以前は仲の良かった女子たちも近付かず、関係の無い人達は対岸の火事以上に無関心。触れない方がいい。気しない方がいい。そんな空気が、教室を包み込み、小倉を排斥していた。


 ふと、近くで話している女子たちの会話が聞こえてくる。


「見て、小倉さん一人だ」


「ほんとだ可哀想」


「でも自業自得なところあるでしょ」


「確かに……」


 彼女たちは俺に気付かず言葉を続ける。


「あれはないよね、普通に最低だし」


「高校生にもなって虐めとか……ないよね」


 そんな二人の声に、俺は納得と同時に苛立ちを感じていた。


「……」


「どうしたの?」


 無言でいるのが不思議に思ったのか胡桃さんが尋ねてくる。


「何でもないよ」


 俺は首を横に振り、内心の苛立ちについて考えてみた。何故俺は小倉の現状に対してこうも苛立っているのだろう。


 俺は小倉のことが嫌いで、大嫌いで、転校しろと思うし、何なら殺意すら抱いたこともある。ざまぁみろ。つまりはそんな想いこそ抱けど、苛立ちなど起こりうるはずもない。


 そんなことを考えていると、


「組んでくれる人いないのかな」


「あれは自業自得だろ」


「地雷にもほどがある」


「お前好きとか言ってたじゃん」


「いや、無いって……」


「冗談きつすぎ」


 さっきまで二人だけだった小倉に対する会話が、いたる所から聞こえて来た。


 みんな、直接彼女に言うようなことは無いが、ひそひそと遠巻きに小倉へと視線を向ける。哀れみ、蔑み、嘲笑。


 それはまるで、晒し上げるようで……。


 個々人が実際内心でどう思っているのかは知らないし、興味もない。ただ、みんなの視線の中心点に居る小倉調からすれば、針の筵だろうことは容易に想像できる。


 もちろん、皆が皆そうではないだろう。実際の所は小倉に対して悪感情を向けていない人も居るかもしれない。


 でも、違う。そう言う話じゃない。


 教室の空気が、小倉という少女に対して悪感情を抱いている。

 それは、胡桃さんが教室に居場所をなくした時と同じで……ああ、だから俺は苛ついていたんだ。


 こいつらを見ていると、空気に流されて胡桃さんを助けることを躊躇していた、かつての自分を思い出すから。あの時の、愚かな自分を思い出すからッ!


 理解した瞬間、俺は立ち上がって口を開こうとして――それより早く、凛とした声が響く。


「止めなよ、そういうの!」


 大きな声で教室の空気——読むほうの空気を切り裂いたのは、長い黒髪を揺らす美少女だった。


 途端に、水を打ったように静かになる教室。

 そんな中、最初に動いたのは、小倉だった。

 彼女は立ち上がるやいなや、鞄も持たずに教室を後にする。


 その行動に、胡桃さんも反応できていない。……いや、違う。胡桃さんはジッと俺を見ていた。それだけで、どうして欲しいか分かる。バカップルだからな。視線だけで通じ合うとか朝飯前よ。もう昼飯も食ったけど。


 俺は立ち上がると、小倉を追って教室を後にした。



————

 次でシリアス終わりの予定。

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