第14話 私は、私は……っ!

 食事を終えて部屋に戻って来ると、もう一度ゲームを始めた。というのも、胡桃さんが案外ハマってしまったのである。何レースか走って遊び、時間的にも最後の一レースだろうと話していると、不意に霞が提案してきた。


「罰ゲームとか……面白いと思いませんか?」


「いやいや、そんなの霞の圧勝じゃないか」


「確かに。霞ちゃん、ほとんど一位だし」


 因みに俺と胡桃さんは中位から上位をふらふらしている。


「もちろん分かってます。なので、二人で勝負して負けたら罰ゲームって感じで……そうだなぁ、何でも一つ言うことを聞く、なんていうのは定番じゃないですか?」


 ニッと笑って俺達を見つめて来る霞。


「なるほど……よしやろう! 今すぐやろう! 胡桃さん勝負だ! 真剣勝負だよ! 愛しているからと言って手は抜かない。愛しているからこそ手を抜けない!」


「まだ受けるって言ってないんだけど!? わ、私はしないから! その、メリットとかないし……」


「そうかな?」


「え?」


「何でも一つ言うことを聞く、という権利があれば、キ〇ガイであるところの俺を、好きな時に遠ざけることが出来るっ!」


「……べ、別に、遠ざけたいとか思わないし」


「……」


「……な、なに!? 悪い!? と、友達なんだから、普通でしょ!?」


「いや、何というか……うん。好きだ」


「……っ! あ、あんたはいつも……っ! そ、それに霞ちゃんの前でもいつもと変わらず……わ、わかった! それじゃあ私が勝ったら霞ちゃんの前でそう言う言動はだめってことで!」


「そう言う言動とは?」


「だ、だからその……あれよあれ。け、結婚とか、好きとか、愛してるとか、未来のお義姉ちゃん、とか……とにかく、そう言う言動は霞ちゃんの前ではだめ! ……何か、生々しいし」


「? なるほど」


 どうせ禁止するなら霞の前という括りなど付けなければいいだろうに、どういうことだろうか。まぁ、聞いて藪蛇を突くことになっても嫌なので言わないが。


「……この鈍感」


「霞なんか言った?」


「別にー。それじゃ、二人ともやるってことでおっけー?」


「おう!」


「う、うん!」


「それじゃあ……レディー、ゴー!」



  ☆



 勝った。愛の力は偉大だと確信した。


「という訳で霞、改めて紹介する。古賀胡桃さんだ。俺の未来のお嫁さんでお前の未来のお義姉ちゃんだ」


「わーい、胡桃さんが家族になったら毎日楽しそうですねー」


「う、ぐぅ……か、霞ちゃん……」


「あはは、冗談ですよ」


 しょげる胡桃さんの頭を撫でる霞。俺としては冗談でも何でもないのだが、楽しそうな二人を邪魔する程、野暮な人間でもない。


「っと、胡桃さん。そろそろ時間じゃないか?」


 尋ねると彼女は部屋の壁掛け時計に目をやる。その針が指し示すのは六時。


「そ、そうだね! それじゃあ私はこれで——」


 立ちあり部屋を出て行こうとした胡桃さんを、霞が袖を掴んで留める。その行動理由が分からず疑問に思っていると、霞は俺を見つめた。


「ちょっと最後に胡桃さんと話があるからさ、兄貴外してくれない?」


「? あ、あぁ、わかった」


 よく分からないけれど、外せと言われたら外す。俺は部屋を出て——っと、そうだ。話を聞かれたくないならドアも締めた方がいいか。どういう訳か俺の部屋のドアはずっと開けっ放しになっていたからな。


「あっ、ちょっ、あの馬鹿——」


 霞のそんな声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。



  ☆



 私、古賀胡桃は彼の部屋の中で、彼の妹である霞ちゃんと二人きりになった。窓の外は薄暗い。十一月の六時ともなれば当然だ。霞ちゃんは私と二人きりで話したいと言って、彼を追い出したがいったいどうしたのだろう。


 彼は特に反論することも無く部屋を出て行って——え?


「あっ、ちょっ、あの馬鹿! ……はぁ」


 閉じられたドアの内側——ずっと見えていなかった面には私のポスターが飾られていた。実はずっと探していた。彼の部屋に入ってから、部屋の中にあったのはアニメのグッズやライトノベルばかりで、私の雑誌や、ポスターなどは無かったから。


 べ、別に、嬉しいわけでは無い! 断じて! ただ、いつも好きとか愛してるとか結婚しようとか言ってくるのに、一つも無いのはいかがなものかと思っただけだ! うん、そうだ! そうなんだ!


「胡桃さん?」


「な、なに!?」


「いや、何かニヤ付いてるんでどうしたのかなーって」


「へ、へっ!? そ、そんなことないけど!?」


 そんな訳ない、と口元を両手でぐにぐにすると、霞ちゃんは大きくため息を吐いた。


「……はぁ。あの、一つ聞きたいんですけど」


「な、なにかな?」


 先ほどまでの明るい声とは違う、真剣な声色に思わず背筋が伸びる。年下のはずなのに同年代か、もしくは年上と錯覚してしまうほど凛とした姿で、霞ちゃんは告げた。


「兄貴のこと、好きですか?」


「――へっ? ぁっ、や、そ、そそ、そんな、ことは……」


 必死に否定の言葉を紡ぐ。なのに勝手に口が震えて、舌が上手く回らない。こんなの図星と勘違いされる。そんな訳ない、そんな訳ないのに……っ! どうして口が言うことを聞かないの!?


「やっぱり好きなんですね」


「ち、ちが、お、おに、お兄さんとは、その、い、いい、友達で……」


「そこまで取り乱しておいて、無理ありますよ」


「ぅぐ……」


「まぁ、それならいいんですけど」


「え?」


 言葉の意味が分からず疑問符を浮かべていると、霞ちゃんは口元に笑みを浮かべながらスッと視線をテレビの横へと向ける。そこにはいつ撮ったのか分からないけれど、まだ幼い彼と霞ちゃんの写真が飾られていた。


 手を繋いで、二人とも楽しそうに笑っている。


「今日一日、楽しかったです。……でも、謝らないといけないこともあります」


「謝らないと、いけないこと?」


「はい。今日私は、胡桃さんと仲良しのふりをしました」


「……っ!」


「あっ、そ、そんな顔しないでください! 本当に楽しかったし、出来ればこれからも仲良くしていきたいと今思っているのは本心です! ——ただ出会ってすぐは、演じてました。ごめんなさい」


 その言葉に私の心がちくりと痛む。だって、私は霞ちゃんと話しているのが最初から最後まで凄く楽しかったから。まるで読者モデルを始める前――少ないけれど確かに友達が居たあの日々みたいで……。


 思わず目じりに涙が溜まり、でも年上の威厳を守るために下唇を噛みながら、零さないよう何度も瞬きする。そして一度大きく息を吸い込むと、震える喉を押さえつけながら、尋ねた。


「ど、どうして?」


「……あれでも、兄ですから」


「?」


「兄は、つい最近まで普通だったんです。——いえ、どこか落ち込んでいる様な、思い悩んでいるようなそぶりはありましたけど、でも、まだ普通だったんです。今日みたいな、私の目があるにもかかわらずあんな訳の分からないことを口にする様なキ〇ガイじゃなかった」


 霞ちゃんは一呼吸おいて続ける。


「そんな風に兄がおかしくなった原因が、私は胡桃さんだと考えました。いえ、胡桃さん以外ありえないと確信しました。だって家に帰れば毎日毎日胡桃さん胡桃さんって言うんですもん。だから……なんか騙されてるんじゃないかなぁって、そう思ったんです。それぐらい狂ってましたから」


 言われて初めて気付いた。確かに私も彼の言動はおかしいと思う。キ〇ガイだと思う——いや、思っていた。そうだ、最近はあの言動が、ずっと嬉しいと、心地いいと思っていたけれど、はたから見れば異常にもほどがある。


 仮に自分の家族が、ある一人のことを狂信的に愛し始めたら——そしてその直前、思い悩んでいた素振りがあったのだとすれば——。


 そんなのまるで、悪徳宗教にハマった人みたいじゃないか。


「……」


 何も言えない。


 私は……私はいつも傍にいて、毎日のように言葉を交わしていたのに、全然気づいていなかった。彼からの愛に、慣れ始めていた。


 ちく、ちく、と心が痛み、霞ちゃんの顔が見れず、俯いてしまう。


「でも、今日一日——って言っても実際には半日ですけど……とにかくずっと見ていて気付いたんです」


「……何に?」


 顔を上げて霞ちゃんを見れば、彼女はニッと笑って告げた。


「なんだ、ただのバカップルじゃん! って」


「……え? ぇあ、や、ち、ちがっ! 私とお兄さんはそんな関係じゃ――」


「本当に?」


「え?」


「本当にそうなんですか?」


 じっと見つめて来る霞ちゃんの表情は、よく彼がするものとそっくりで……なぜか自然と顔に熱が昇る。


 暑い。十一月なのに、こんなに暑い。どうなってるの?


「付き合ってないんですか?」


「つ、つきあって、ない」


「手は繋ぎました?」


「…………うん」


「じゃあ腕を組んだりは?」


「…………うん」


 霞ちゃんの質問に、口が勝手に答えていく。


 なんで? あいつの前なら否定できるのに……霞ちゃんの前じゃ身体が全然言うことを聞かない。もしかして、今日一日遊んで、信頼したから? 友達だと、認めてしまったから?


 分かんない。理由なんか全然分かんない。でも勝手に本心を——って、ち、ちがうから! ただ、えっと、えっと、なに? なんだろ、分かんない。ただ質問に答える度に胸が苦しい。ぎゅって締め付けられて苦しい。苦しいはずなのに、身体がぽかぽかして暖かくて、心地いい。


 そんなしっちゃかめっちゃかな私の胸中を無視して、霞ちゃんは質問を続ける。


「抱き合ったことは?」


「…………うん」


「それじゃあ——」


 霞ちゃんは私を見つめて、告げた。


「キスは?」


 とくん、とくんと脈が速くなり、あの日を思い出してしまう。

 キス——した。

 キス——された。


 そして、私は我慢できなくなって——。


「…………ん」


 消え入りそうな声で答え、首を縦に振る。

 胸が苦しい。改めてキスをしたという事実を口にした瞬間、今までにないほど苦しくなった。


「顔、真っ赤ですよ」


「~~~~っ! やぁ、み、見ないで、霞ちゃん……」


「まだダメです。最後の質問」


「だ、だめ、聞かないで……」


 それを言われたらだめだ。

 それを尋ねられたらだめだ。

 認めてしまう。

 これまで目を逸らしてきたことを。

 絶対に。

 確実に。

 だめ。

 だめ。

 だめ……っ。


 拒絶するようにぎゅっと目を瞑った私に、されど霞ちゃんは躊躇することなく尋ねた。


「——兄貴のこと、好きですか?」











「…………うん」

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