第8.5話 この秘密は、絶対に墓場まで持っていく……っ!

 朝。私、古賀胡桃は微かな疲労感と妙な肌寒さで目が覚めた。身体に残る気怠さは一体なんだろうと思考を巡らせ、眠気眼を擦る。それから隣で寝息を立てる少年を見つめて――昨夜のことを思い出す。



  ☆



 右隣から聞こえる微かな寝息。

 私のことを好きだ好きだと言って止まない彼は、しかし同じベッドに入っても何もすることは無く、ただゆっくりと眠りに着こうとしていた。


 ――当然だ。

 だって私は彼に、睡眠薬・・・を投与したのだから。


 彼がシャワーを浴びに行っている間に用意したお茶には、あらかじめ睡眠薬を盛っていた。いざ寝る時になりベッドがひとつしかないとわかれば、彼が一緒に寝ようと言ってくるのは想像に難くないからだ。だから私は自分の身を守るために睡眠薬を盛った。


 もちろんこれがいけないことだということは分かってる。


 でも、そうでもしなければ――もしもベッドで迫られたら、私は抵抗できる自信がなかった。


 結果、彼は睡眠薬の効果により現在進行形で規則正しい寝息を立てている。全ては計画通り。後は私が寝るだけ。そう、寝るだけなのに……。


 ——無性に、ムラムラする。


 何が悪かったと言えば、自殺を考えていて、最近一人でシていなかったのが悪かったのだろう。それと二度のキス。


 そ、そうだ! すべてはキスが悪いんだ! 確かに一度目は私からだけど、あんな不意打ちでキスされて耐えられるわけがない! キスをしたのなんか初めてだし、しかも相手が彼なのだから、……い、意識するに決まってる。


 だから、私はムラっとしてしまった。最悪のタイミングで性欲が今までにないくらいに高まってしまったのだ。


 そんな状況で、隣には元凶である少年が寝ている。


 好き――ではない。好きではないはずだ。いや、キ〇ガイである部分を除けば、もしかしたら好きかもしれないけれど、総合的にはまだ『ありよりのあり』と言ったところ。でも、初めての相手は彼がいいな、と思ってしまう。


 ――いや、彼の初めて・・・・・私がいいな・・・・・と、私じゃなきゃ嫌だ・・・・・・・と、私以外には渡さない・・・・・・・・・と、そんなどろりとした感情が鎌首をもたげる。


「……ねぇ、私とセックスしよ?」


 そして私は、自分から求めた。


 しかし口にした瞬間、酷く後悔した。なぜならそれは関係を決定的に変える言葉なのだから。不安と焦燥が胸中を支配する中、私は返答を待つ。だけど、聞こえてくるのは規則正しい寝息のみ。


 寝返りを打って確認すると、ぐーすかぴーすか眠る姿が暗闇の中に見えた。


「ねぇ、ほんとに寝てるの?」


 分かりきっていることなのに尋ねてしまう。


「……くぅ……くぅ」


「……」


 むにっ、と頬を突いてみる。……起きない。

 彼の左腕に手を這わせてみる。……起きない。


「ねぇ」


 左腕を抱きしめてみる。……起きない。

 どうやら完全に熟睡しているらしい。


「……」


 無意識に生唾を飲み込んだ。


 私はもぞもぞと動いて、眠る彼の上に移動する。起こさないように注意しながら、身体を密着させると、互いの体温が混じり合ってとても暖かかった。


 顔の距離は近く、吐息が触れ合う距離よりもっと近くで——鼻先が触れ合うほどよりもさらに至近距離——肌の温度が感じられるほどだ。


「起きないの?」


「……」


「……ばか。……んっ」


 どろりとした感情に従うまま、私は彼の唇に自分のものを押し付ける。どろどろどろどろ、とけていく私の理性。


 端的に言おう、襲った。



  ☆



 …………端的に言おう、じゃないが!?


 私はベッドの上で頭を抱える。時刻は午前六時を五分ほど過ぎた頃。


 ど、どどど、どうしよう! というか、寒い! え!? 私、下着姿じゃん! あのままヤり疲れて寝たの!?


「ぱ、ぱじゃまぱじゃま……」


 私は彼を起こさないようにこっそりとベッドを抜け出して、部屋に散乱していたパジャマを身に纏う。


 ……ん? ちょっと待って。私が下着姿ということは、もしかして彼は――。私の視線はベッドで眠るあいつの下半身へ。


 い、いやいや、さすがにどれだけ疲れててもそれぐらいは片付けているはず。


 私は意を決して掛布団を少し捲り、中を確認。……よし! よし! よくやった昨日の私! ってそもそも昨日の私がいなければこんな心配もしなくて済むんだけれども、それでもよくやった!


 おそらく昨夜の私は、彼の下の処理をしてからパジャマを着ようとして、その前に力尽きて眠ってしまったのだろう。


 彼より先に目が覚めて、本当に良かった。


 私はパジャマを着ると、そのままリビングの方へと赴く。あれ以上、彼と同じ部屋にいることなど出来るわけない。羞恥心で死んでしまいそうだ。


「これは、あれだ……所謂いわゆる深夜テンションってやつだ」


 酔っぱらってキスしたその日に、深夜テンションで夜這い。


 ……もしかして、私は性欲が強いのだろうか? 一人でする回数も、最近でこそほとんどしていなかったけれど、それまでは二日に一回のペースでしていた。友達がいなかったせいで、私の性欲が正常かどうかの判断がいまいちつかない。


「って、今はそんなことどうでもよくって……」


 問題は、このことを彼に伝えるか否か。伝えるべきなのは分かっている。どれだけ言い繕うとも私がしたことは犯罪なのだから。でも迷ってしまう。


 なので、仮に伝えた時のことを想像してみた。


『ご、ごめんなさい! 睡眠薬で眠らせた上に夜這いしてしまいました!』

『なにぃぃいい!? 俺は覚えてない! だからもう一度しよう! 今すぐしよう! ちなみに子供の名前は何が良い? お好みの教育方針はある? 俺は小さい頃から英語を習わせたいと思うんだ、もちろん子供の意思を尊重しつつね!』


 そんな会話の後、当然のようにセックスしてお互いにハマって子供を作ってしまうところまで容易に想像できた。


「ま、まぁ、そんな未来もあり——って、無いからっ!」


 一瞬、それもまあいいかな、と思ってしまった自分を殴りたい。というか殴った。頬っぺた痛い。


「だ、だめだ。いろいろと」


 百歩、いや一億歩譲って結婚は良い。キ〇ガイとかキモい部分とか、ウザい部分とかいろいろあるけれど、でも彼は他の誰よりも『いい人』だから。しかし、高校生で結婚は難しい。学校とか親とかお金とか。

 それに……。


『やっぱり胡桃さんも俺と結婚したかったんだね! さぁ、温かい家庭を築こうじゃないか!』


 腹の立つ顔でそう言われるのは分かりきっている。それは非常に不服だ。

 いや、すべては深夜テンションで襲った私が悪いので自業自得なんだけども!


 ――それにしても……そっかぁ。私、シたんだ。


 すると頭がぽーっと茹だって、心がきゅっと何かに締め付けられるように痛くなった。


「〜〜〜〜っ!」


 居てもたってもいられなくて、心臓を抑えてリビングをぐるぐる、ぐるぐるぐる。そのままソファーに飛び込み足をばたばた。


「なに、これぇ……っ」


 苦しいのに、嫌な気分がしない。クッションに顔をうずめながら呟く。こんな姿、彼には見せられない。


「よ、よし! このことは黙ってよう。この秘密は墓場まで持っていく……っ!」


 ぐっとこぶしを握り、決意を固めてから私は朝食の準備に取り掛る。絶対にぼろは出さない。彼の前でもいつも通りに振舞う!


 顔には出さないし、言葉も噛まないんだからっ!



 ——そんな思いは、数分後に起きて来た彼の挨拶によって早くも瓦解してしまうのだが、この時の私はまだ知らなかった。

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