第2話 がんばれラボード警部

 7月25日17時。屋敷、庭園に加えて離れまである広々とした美々栗邸は、しかし多数の警察官でごった返していた。怪人二万面相逮捕については、今や警察の威信がかかっている。

 怪人二万面相の存在は各種ニュースサイトやSNSで誰もが知るところとなっていた。多数の考察サイトが作られ、次のターゲットは何かとか、犯人はどこそこの研究者ではないかとか、財閥企業の差し金ではないかとか、無数の噂が垂れ流されている。そこで往々にしてセットで語られるのは、彼を取り逃がし続ける警察の無能だった。

 予告状で宣言された内容を違えることは一度もなく、誰一人として傷つけずに盗みを完遂させる怪人二万面相は、庶民から一定以上の人気を集めている。

「クソ忌々しい二万面相め……今回こそひっ捕らえてくれるわ……」

 ラボード警部はただでさえ部下を恐れさせる強面の顔を怒りでひん曲げて、腕組みのまま独り言を呟いている。

 怪人二万面相の名前を聞いたときはふざけていると思ったが、立ち居振る舞いまでふざけており、その上で捕らえられないとあれば警察の面目も丸潰れであった。

「け、警部。外の人員配置は如何様にいたしましょうか……?」

 うら若い巡査がおずおずと警部に尋ねる。

「あ、指示が滞っており失礼しました。人員は敷地を囲う塀に沿って均等配置するようにしてください。後から私も向かいます。本日は大変だと思いますが、頑張りましょうね!」

 外見からは思いもよらない明るく丁寧な口調に、若い巡査は目を白黒させている。

 二面性のラボード。犯罪者への鬼のような振る舞いと、罪のない者への仏のように丁寧な振る舞いから、署内ではたびたびその二面性が(ある種の恐怖とともに)語られている。

「おっ、警部じゃん。ご苦労さーん」

 どこか間延びした声が届く。振り返ると、そこには一組の男女が立っていた。

「おお、レオン殿! 本日はお力添えを頂けるとのこと、大変心強いです! いやはや、お手を煩わせてしまいお恥ずかしい限りで」

 腰から深々とお辞儀をする強面の姿はなかなかの迫力だが、レオンは気にした風もない。

「うん。こちらは本日ちょっと手伝ってもらう美々栗コノハさん。こちらの家の娘さんだよ。あちらはご両親かな?」

 コノハはラボード警部へ一礼する。警部もまた深いお辞儀を返すと、レオンの目線を追った。屋敷の方から、壮年の夫婦が歩いてくる。

「美々栗博士。奥様。本日は警察の誇りにかけて、ご発明品をお守り申し上げます」

 これまた深いお辞儀をしつつ、警部は宣言するようにいう。

「お父様、お母様、今日は私も手伝うのよ」

 力強い口調でコノハは言った。

「ま、まあ。本当なの? レオンさん……でしたかしら。この子には危険なことはさせないわよね?」

「もちろん」

 レオンは足をぷらぷらさせながら答える。見ようによっては不真面目な態度だが、警部はレオンの力を知っている。過去に一度、彼の助力によって怪人二万面相を捕えたことさえあるのだ。しかし警察の不手際で脱獄されてしまい、本来なら合わせる顔もないのだが。

「ではご夫婦、ターゲットのある部屋を確認できますでしょうか」

「ええ。こちらへ」

 警部とレオン、コノハは夫婦の後について移動する。洋風の屋敷の玄関から進むと居間があり、その奥にある扉を開けて廊下を抜けると、美々栗博士の書斎兼研究室があった。

 美々栗博士の専門は航空工学であり、研究室で工作も行っているらしい。

「普段は、こちらで保管しているんです」

 研究室の扉を開けた先は、教室ほどの大きさもある空間だった。多数の工作機械や製作中と見られる試作品の山が雑然と置かれている。

「おお、これは……」

 ラボード警部は感嘆の声をあげる。部屋の中央には、今回の二万面相のターゲットであるエアライダーがあった。ジェットスキーの下部にローターが設置されたような見た目をしている。

「バイクのようにまたがって空中を走行します。推進剤も併用しているのでかなりの速度が出ますが、相当の反射神経がなければ扱い切れないでしょう」

 警部は先端技術の学識を持たないが、そうであっても驚かせるだけの迫力があった。

「設計データは盗み出せるような場所にはありませんが、実物ばかりはどうにも。これ自体を利用されてしまうのはもちろん、リバースエンジニアリングしてしまえば組み込みシステム以外はきっとコピーもできてしまいます」

 博士はため息をつきながら言った。リバースエンジニアリングとは実際の製品を分解・分析することで設計データや製造方法、動作原理を把握する手法だが、ラボード警部はよくわからないまま「なるほど」と頷いた。

「では、ここにも人員を配置しましょう」

 ラボード警部が言った。

「私もここで見張るわ」

 出し抜けにコノハが宣言する。

「なんだって。ここは二万面相が現れる場所だ。危険だよ」

 博士は慌てるが、コノハは首を横に振る。

「大丈夫。見つからないように隠れるし、それに二万面相は人を傷つけないっていうでしょう?」

「うーむ……危険ですが、相手は変装の天才である怪人二万面相。博士にとっては、警察よりも信頼できる見張り役かもしれませんな。その代わり、奴が現れたら決して無理はせずに、我々を呼んでくださいね?」

 警部は難しい顔をしながら言う。その言葉に、博士も渋々ながら頷いた。

 隠れ場所を探すコノハをその場に残して、警部達は研究室の外に出る。

「オレもちょっと準備があるから失礼しようかな。お願いしてた荷物は居間にあるかい?」

「あのスーツケースですか? 居間に置きましたよ。随分と重たかったですが、中身は……あっ! いえいえ、聞きませんとも! 秘密の科学道具ですよね?」

 尊敬の眼差しを浮かべながら警部は言う。

「うん。お気遣いありがとー。じゃ、警部も頑張ってね」

 手をひらひらさせながら退室するレオンを見送り、警部は美々栗夫妻に向き直る。

「では準備がありますので、私はこれで!」

 ラボードは一礼して、警備状況を確認するためにその場を後にした。

 

 警官の配備は完了し、警部は美々栗夫妻と居間で待ち構えていた。警官は塀に沿って等間隔に立ち、屋敷の周囲、研究室の付近にも満遍なく配置されていた。数十のLEDバルーン投光器は夜の敷地内を満遍なく照らし、光に入らずに外から屋敷にたどり着くことは不可能だ。いわばこれは光の密室。

「来られるものなら来てみろ怪人二万面相……! 今日こそ貴様の鼻を明かしてくれる!」

 凄絶な笑みを浮かべるラボード警部。時刻は18時55分を指している。

 あれからレオン、コノハ両名の姿は見かけない。元々警察からは独立して動くことになっている二人だが、危険が及ばないかが心配だった。

「いよいよか……」

 18時56分。警部の額に汗がにじむ。何度も腕時計を見てしまう。電波時計であり時刻が外れることはないが、無用な心配が次々と脳裏に去来する。

 18時57分。美々栗夫妻はそれぞれ椅子に腰掛け、床に目線を落としている。博士の方は貧乏ゆすりをし続け、夫人は何度も手を組み替えている。

 18時58分。警官一人ひとりの身元も全て確認済みだ。大丈夫だ。

 18時59分——

『ハァーッハッハッハァ!! 私は怪人二万面相!! 約束の品を頂きに参上した!!!』

 闇夜を切り裂く大音声。ラボード警部は弾かれたように動き出し、屋敷の玄関から声のする方へ飛ぶように駆ける。扉を抜け、転がるように庭に出た。

 サーチライトが向いた先、離れの屋根の上にそれはいた。七色のシルクハットを目深にかぶり、同じ色のマントを夜風にはためかせた文字通りの怪人。

 怪人二万面相。

「現れたな……捕らえろ!!」

 ラボード警部の号令一下、警官達が動き出す。

『とうっ』

 それに反応した怪人二万面相は屋根から飛び降りる。着地した次の瞬間——

 庭中に、五十人はくだらない怪人二万面相の姿が現れた。

 それらは好き勝手にそこら中を走り回り始める。

「くそ、またホログラムか……! 実体はない! 全て殴れ! 当たった奴が本物だ!」

 警部は必死に目を凝らすが、動き回られると見極めることも難しい。警官達も右往左往してしまっている。

「ぐぬぬ……退け! 守りを固めろ!」

 警部の号令に、我に返ったように動きを止め、研究室の方に駆け出す警官達……そのときだった。

 突然の爆発音。そしてプロペラ音。

「馬鹿な……」

 いつの間にこの警戒網を潜り抜けたのか。見上げると、研究室から垂直離陸したエアライダーが中空で静止していた。天井を壊したのか。搭乗しているのは、怪人二万面相その人だ。

「捕まえたぞ!」

 しかし、今度はすぐそばからそんな声が聞こえてきた。慌ててそちらへ向き直ると、驚くべきことにこちらにも怪人二万面相。その上、彼は既にレオンによって地面に組み敷かれていた。

『ぐっ……』

 二万面相の合成音声が小さく響く。

 ホログラムではない、怪人二万面相が二人。

「か……かかれーッ!」

 ラボード警部の号令のもと、警官達がその姿へ殺到し、そちらの方の怪人二万面相は無事に逮捕された。捕まえた一番の功労者のはずのレオンの姿は、しかしその場から消え失せていた。

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