第1話 開明探偵術研究所

 都内某所。

 <開明探偵術研究所>と書かれた看板の前で少女が佇んでいる。歳は十代の終わり頃、長い黒髪を赤いカチューシャで留めた姿だけなら幼く見えるが、勝気な瞳が芯の強さを物語っていた。華美ではないが仕立ての良い衣服が線の細い体を包んでいる。雰囲気や所作から、育ちの良さが窺えた。

 彼女は細い指を伸ばして、チャイムを鳴らす。

 それにしても、研究所。彼女の目には、普通の一軒家にしか見えないのだが。

「うん。よし……勝負よ、美々栗コノハ」

 意を決したように一人頷き、反応を待つ。

『はい。どちら様でしょうか?』

 落ち着いた男性の声が返ってきた。

「あの……こちらに名探偵がいると聞いて参りました。折り行ってお願いさせて頂きたいことがあり、お話だけでも聞いて頂けないでしょうか」

『そういうことなら。少々お待ちください』 

 ドアが開く。現れたのはスーツを着こなした老紳士。

「どうぞこちらへ」

 “研究所”内を進んでいく。普通の家族が住んでいても違和感がないくらいには民家だった。看板のイメージからは程遠い。

 突き当たりが居間らしい。促され、コノハはソファに浅く腰掛ける。

「少々お待ちください。ただいまお茶を——」

「どーもこんにちは、お姉さん」

 と。無人だったはずの向かいのソファに、いきなり少年が現れた。

「!?」

 固まるコノハ。老紳士は申し訳なさそうに一礼すると、ため息をつきつつソファの少年に声をかける。

「レオン様。お客様をからかうのは感心致しませんな」

「ええー、いいじゃん実害があるわけじゃなし」

 少年はソファにぼすんと座り直しながら言う。

「お嬢様、お砂糖はいかがですかな?」

「砂糖は、二つ……ではなくって! え、その、どうやって……?」

 コノハは動揺を隠せないまま尋ねる。レオンと呼ばれた少年は鼻歌を歌いながら自分の紅茶を混ぜている。年の頃は彼女と同じくらいだろうか。角のように尖った黒い癖毛に、大きなゴーグルが乗っている。ジャンプスーツのような服にタクティカルベストを重ねた姿は全体的に深いグリーンで統一されていた。

「面白いでしょ」

 レオンは簡単に答えるが、部屋に入ったときには確かに誰もいなかった。隠れていたにしても気配くらいはするはずだ。

 開明レオン。あらゆる科学技術を駆使し、時には他の誰かと成り替わり、時には何もないところから突如として現れる、変幻自在で神出鬼没な名探偵、というかそれほとんど怪盗の特徴じゃねーか、と噂の彼を前にして、コノハは力が抜ける。実際に会ってみると、想像とは随分異なっていた。

「それだけ驚いてくれるなら、罠ってこともなさそうだ。紅茶、どうぞ」

「あ……どうも……」

 素直に礼をいうコノハ。

「ナノ粒子迷彩って言ってね。周囲の風景に溶け込む装置さ。じいやに変装するって手もあったんだけど、じいやを知らない人にじいやを装ってもあんまり意味もないしね」

「しかし毎度ながら何故そのような」

 じいやと呼ばれた老紳士が茶器を片付けながら問い質す。彼は執事なのかもしれない。

「あはは。さてね」

 レオンは答えず、コノハに向き直る。

「……では本題に入ろうか。君はどこの何さん? どうしてこんなところへお一人で?」

 レオンは尋ねる。態度も表情も先ほどまでのおちゃらけた振る舞いから変わっていないが、目だけが爛々と輝いている。好奇心が抑えきれないとでもいうような。

 ——見透かされている。

 根拠もなく、そんな風に感じてしまう。

「わ、私は……美々栗コノハと申します。実は先日——」

「おおー! もしかしてあの美々栗博士の関係者!? いやぁそうか、実は最近手掛けている研究でも流体力学で行き詰まった時には博士のあの論文を参照して——」

「レオン様」

 柔らかいながらキッパリと嗜める執事。

「おっと……まあ発明の話はおいおいするとして。用件を聞かせてもらえるかい?」

「はい……実は昨日、家にこんな予告状が届きまして」

 コノハは一通の手紙を取り出し、レオンに差し出す。

 レオンはそれをテーブルの上に広げた。

<私が如何なる人物であるかは、貴下もニュースサイト上にてご承知でしょう。貴下は、ご自身が開発されたエアライダーを珍蔵せられると確聞します。私はこのたび、この類稀なる発明品を、貴下より無償にて譲り受ける決心をしました。来たる7月25日19時、貴邸に受け取りに参ります。

 追伸 警察、探偵、私兵、ご自由にお備えください>

 そして署名には「怪人二万面相」の文字。

 レオンはにやけた笑みを浮かべながら手紙を読み上げた。

「へええ……さすが、目が高いな」

「言っている場合ではありません! 予告の日時は二日後……家族が警察には知らせていますが、ここは怪人二万面相のライバルと噂のレオンさんにも是非お力添えを頂ければと。そして……」

 コノハは言葉を切り、ほんの少しの間、黙り込む。やがて意を決したように顔を上げ、レオンの顔を見据えて告げた。

「私を、助手にしてください!」


「助手って言ったってなぁ。まあ、いいよ」

 軽い。

「よろしいのですか、レオン様」

 さすがに執事が確認する。コノハは口を横一文字に引き結んだまま、レオンの言葉を待っている。

「別にコノハさん? だっけ? を信用するとかしないとか、そういうのは特にないよ。もし何か企んでるとしても、何かやるヤツはどこにいたってやるんだし、なら目の届くところに置いた方が安心だ。役に立ちたいというなら立ってもらえばいいかなって」

「そんな雑な……」

「いえ、やらせてください! テクノロジーを盗み、別のテクノロジーを手に入れるために使うなんて……科学者の風上にも置けません!」

 勢い込んでコノハは並べ立てるが、レオンは涼しい顔で聞いている。

「ほいほい。事情がありそうだけど、話したくなったら話してくれてもいいよ。じゃあとりあえずラボに行こうか。そこで作戦会議をしよう」

 飄々としたレオンの言に肩透かしを食いながらも、コノハは不意に立ち上がった彼についていく。その更に後ろを執事がついてくる。

 レオンはラボと表現したが、コノハが見る限りそんな大層なものがあるようには見えなかったが——

 と。レオンは廊下の只中で立ち止まる。執事が先頭に立ち、壁に手を触れると、内部から指紋認証装置が現れた。白い手袋を脱いでそこに手を当てると、続いて天井から降りてきた網膜認証装置に目を向ける。普通の民家にいきなり生えてくるように出現したそれらにコノハは目を丸くする。

 次の瞬間には執事の正面方向に続く板張りの廊下が沈み、階段のようになっていた。

「ようこそ、オレの城へ」

 レオンが笑みを浮かべながら言った。

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