第33話中間発表

 僕(私)は今、誰にも言わずに小説を書いている。そして紙の応募を繰り返している。実は今日発売のある文芸誌に中間発表が掲載される。僕(私)は普段、そんな文芸誌など買わない。本もほとんど買わない。読みたい本は図書館で借りて読むことが多い。理由は単純で経済的なこと。あと、今の文芸誌は読む価値がないとも思っている。文芸誌に原稿を掲載されることは小説家にとって名誉であると思っていた。でも今は『文才は二の次』みたいに感じる。肩書きの方が大事にされてるように強く感じる。芸人さんや俳優さん、アイドルさんだとか。そりゃあそういうすでにファンがついてる人の書いた文章を乗せた方がその文芸誌は売れる。本が売れないと出版社も大変だとは思う。それでも今の出版社はそういうのに『媚び』過ぎだ。また、紙の応募と言っても今は間口を広げているところがほとんどであり。メールで作品を送っても応募として受け取ってくれる。それでも僕(私)は紙での応募に拘る。完成した作品を一週間ほど寝かせてから読み返す。誤字脱字をチェックする。そしてそれをプリンターで印刷し。お決まりの略歴なども書き。受賞したら電話が来るって聞いてるけど、その電話が来た時にたまたま話中だったらどうしようとか考えたり。鳴ったらいいなあ、いや、鳴れ、いや、鳴らすのだ!と考えながら個人情報をすべて書く。僕(私)の性別を実は僕(私)の作品を読んだ下読みの人は知っているのだ。それなりに分厚い原稿。それらの紙のすべての右上をパンチ穴(正式名称を知らないので。昔からそう呼んでいる)で穴を開け。黒紐で原稿を綴じる。それにも注意することがあって。パンチ穴で開ける穴の位置がずれないよう原稿は十枚ぐらいずつに分けてトントンと綺麗に重ねて穴を開ける。その繰り返し。もちろんページがずれてないかもちゃんとチェックする。とても面倒くさい作業だ。でも気分はいい。一連の作業が終わってあとは封筒に入れるだけの状態の原稿を眺めながらのお茶とか最高に美味しい。そして封筒もちゃんと書き方があって。『御中』は絶対に明記すること。封筒の左側に『第〇〇回〇〇賞応募原稿在中』と赤のマジックで書き込む。それは四角の枠で文字を囲む。裏には作品のタイトルもしっかりと明記する。郵便局の窓口で赤面するけど。合っているはずなのに何度も住所を確認する。これを受け取った編集者さん、下読みさんが読みやすいよう。『媚び』ているのは僕(私)も同じなのかもしれない。中間発表は本屋で立ち読みして済ませばいいんだろうけど。参加料のつもりで普段買わない文芸誌をレジに持っていきお金を払う僕(私)。だって、あれだけの労力を注いだ僕(私)の作品が中間発表で残っているかもしれないのだから。立ち読みでそれを知ったら多分迷うことなくレジにその文芸誌を持っていきお金を払う。だったら家で心の準備と言うか、しっかりと結果を受け止めたい。レジで千百円を払って文芸誌を買って帰宅する。なんでだろう。いつになっても自分の作品が、自分のペンネームがこういう本に載っているイメージが一ミリも出来ない。お茶を淹れ、机に座って文芸誌を開く。中間発表のページをめくる。少しでも今の可能性がある時間を過ごしたいからものすごくゆっくりと右上から順番に見ていく。でも途中からどうでもよくなって『バババ』っと雑に最後までものすごいスピードでチェックする。自分の作品やペンネームには絶対反応すると思うから。載ってない。見落としたのかなと諦めの悪い気持ちで確認するけど載ってない。分かっていたけどこの気分は何回経験しても慣れない。と言うか人のせいにするのに慣れた。


『また下読みがクソだから』


 千百円が勿体ないからいくつかの『先生』と呼ばれる人たちの文章を読む。


「なんだこれ?みんな村上春樹さんっぽい文章だ。てか、村上春樹さんの真似だ。こんなのが載るんだ」


 僕(私)は文芸誌をゴミ箱へ放り込む。今は千百円をカツアゲされた気持ちだ。

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