無構え

 細く、長く、煙を吐き出し、ビスキーが口を開いた。


「そんで? トーキョーを通らずにどうやってバンブー・ヒルに戻るんだ? まさかこのまま南下して海路で帰るとか言わねぇよな?」


 プティーは間抜けを見るような目をし、顔を背けて濃密な煙を吹いた。


「なんでバンブー・ヒルに戻んのさ。おつかい終わりましたー、なんつって愛しのご主人ジャック様によしよしされたいって?」

「……あぁん!?」


 意味を解した途端、ビスキーはこめかみに青筋を立てて鼻から煙を噴いた。

 悠々と一服つけると、プティーは竹煙管の雁首を返し、カン! とククリの柄に打ち付けた。落とした灰をつま先で踏みにじり、怒る赤鬼を下から睨める。


すごんだって無駄だよ。時と場所を考えなね」

「……俺はプティーにも同じことを言いたいが」


 アヅマの淡々とした声に、二人は睨み合いを中断した。刀の柄尻を手で押し下げ、ぐるりと一度、大きく回した。


「海路というのも悪くはない。もちろん、船があればだが」

「――だから、知り合いがいるのは、トーキョーまでなんだよ。船のアテなんぞねえ。それとも何か? ご自慢の竹細工で笹舟でもこしらえようってのか?」


 ぷっ、と小さく吹き出しつつ、プティーが呆れたように言う。


「笹舟に大人が四人も乗れっかい。作るんならモーソー・バンブーのイカダか、でっかいデビル・バンブーを探して――」

「プティー」


 いさめるように名を呼び、アヅマは柄尻に手を乗せたままメリアの背に目をやった。


「――戻るなら陸路がいいだろう。船を用意できたとして、メリアが戻らなければならない場所は、バンブー・ヒルよりもずっと北にある」

「そりゃあ道理で言ったらおかだろうけど、ここはフジのお足元だよ? 北を回るとなると……」

「フォルナックの手形を捨てたのはプティーさんたちじゃないですか」


 メリアがつまらなそうに、冷えた声で言った。ようやく手に入れた原始の竹の標本を両手で包み持ち、じっと見つめていた。


「……あいつらをここまで連れてきて、無事にフォルナックのトコに帰したら、なにが起きると思う? さっきの里の連中なんか無茶苦茶にされちまうよ」

「……それができるなら、もっと早くやっていたと言っているんです。フォルナックは自分の足でここまで来れないだけで、場所は知っているはずです。人を集めて襲うこともできたはずなんです。そうしなかったのは無茶をされたくなかったからで――」


 ため息のまじる声だった。


「みなさんの言うように、カグヤ八二五は、万一に備えていたのかもしれませんね」


 メリアは鞄から薄緑の晒布さらしぬのを出すと、赤子を扱うような手付きで標本を一巻きした。


「アヅマさん、手伝っていただけますか?」

「……躰に巻く気か? 危険はないのか」


 脳裏に、デビル・バンブーに寄生された名無しが過ぎった。

 メリアは緩く首を左右に振りつつ鞄を下ろし、上着を脱いだ。


「平気です。この標本自体には力も意志も――」


 言葉を途中で切り、忌々しそうに言い直す。


「これはあくまで標本で、単体ではなんの役にも立ちません」


 四者の背後で昇降機エレベータが唸った。アヅマの手が刀に伸びる。


「どしたぃアヅマ。あいつらだろ?」

「……また躰に魔竹を仕込んだらしい」


 プティーの眉が寄った。


「……しつっこいねえ。何遍なんべんやったってオンナジだろうに」

「いや。少し様子がおかしい」


 低い唸りが止んだ。降りてきた名無しの、淡い緑光に照らされた顔は、また一段とやつれたように思えた。目の昏さからして竹を躰に植えたのには違いないが――。


「やりあう気はないようだ」


 覇気がない。もちろん、竹に躰を預けたのなら覇気などあろうはずもないのだが、それにしても気迫が緩いというか、特有の不気味さまで失せている。

 アヅマはたいの正面を向けつつ問うた。


「植えたばかりで育っていないからか?」

「……植えた竹が違うからだ」


 名無しは一瞬、驚いたような顔をみせたが、すぐに表情をあらためた。


「カグヤ様の御託宣ごたくせんを頂いた。お前たちを導くようにと」

「託宣、だと?」


 アヅマたちは怪訝な顔で互いを見合った。

 カグヤが言った――いや、託宣というからにはカグヤが誰かにいて語ったということだ。誰に憑いたというのか。


「なるほどなあ、あのじじいがシャーマンか」


 ビスキーのぼやきに、名無しが首肯する。地表に戻ってきたのは名無しひとりなのだから誰の口を使ったのか考えるまでもない。どうやって憑くのかもおおよそ想像がつく。おそらく、茎のひとつも伸ばして物理的に繋がりでもするのだろう。


「――つまり、本当にカグヤはすでに起きているというのですか?」


 メリアが手で目元を覆った。痛苦に耐えるようだった。


「名無しの言葉が真実ならば、そうなるな」


 アヅマは眼光鋭く名無しの双眸を睨んだ。半ばは虚ろ、半ばは疲弊、目に嘘は見て取れない――というよりも、嘘をつく余力はなくみえる。

 カグヤ八二五に意志を想定するか否か。否定を試みるなら、竹之光教の現教祖とでもいうべきあの老人が、託宣の正体となる。


 ――ありえるのだろうか。


 あの小さな老人に、フォルナックの権勢を奪おうという野心があるのだろうか。仮に野心で動いていたとして、それならば、なぜ、


「最初に出した調査団は壊滅させられたんですよ? 次も、その次も。それが、到達したら今度は手を貸そうと? おかしくありませんか?」

「状況が変われば取るべきすべも変わる。なにもおかしくはない」


 名無しは尖兵。カグヤの手足の一部だ。声を伝える役を老人が担うとして、フォルナックと違い直接、躰を操らないのにはなにか意図があるのだろうか。

 竹に、意図?

 メリアは胸元に巻きつけた標本を撫で、虚空に声を投げた。


「まさか、本当に私たちはカグヤに操られていただけなのでしょうか」


 疑心の膨張はそう安々と止められない。しかし、とアヅマは思う。


「竹をかんとするなら、まず念をすつるべし。疑う心は暗闇に鬼を生むというし、疑など捨ててしまえばいい」

「……私の疑心を育てたのはアヅマさんやプティーさんですが」

「竹であるならば、と道理を説いただけだ」


 アヅマはそこで口を噤むつもりだったが、しかし、メリアの苦しげな顔色に鼻で小さなため息をつく。


「……迷いは常に此岸にある。疑心なぞ所詮は己の心が生んだだけだ。己を捨てて彼岸に立てば迷うこともなくなる……難しく考えず、まずは己の信ずるところを信ずればよし」


 プッ、と小さく吹き出し、プティーが竹煙管に煙草を詰めはじめた。


「人はそれを信と呼ぶんじゃないかねえ」


 竹発条が火花を散らし。雁首の煙草が赤熱する。大きく一息、煙を吐いた。

 霧散する煙に、アヅマは言った。


「無論。いずれ信念すら捨てる」

「――あん?」


 プティーの歯が煙管の吸口を噛み締めた。

 アヅマは顔色ひとつ変えず、至極マジメに答えた。


「竹咲捨念流は竹と向き合い命を守るための剣だ。竹にどう出られようとも即応して打ち割る。そのために構えも捨てた。構えを作れば破られてしまうからな。あらゆる事態に備えるとは、あらゆる事態への備えを辞めるということだ。原点に立ち戻って考えてみるといい。たかが竹を割くのに、心構えがいるか?」


 プティーが難しい顔をしつつ腕を組む横で、メリアが深々と息をついた。


「……難しく言い換えてますけど、出たとこ勝負をすればいいって、そう言ってますよね?」


 向けられたジト目に、当然だとアヅマが頷き返すと、ビスキーが両肩を落とした。


徹頭徹尾てっとうてつびの出たとこ勝負ってのは無策っていうんだ、バカ野郎」


 プティーが肩を竦めながら煙を吐いた。


「アヅマに言わせりゃ、ムガマエって奴じゃないかねえ?」

「そうだ」


 一片の間もなく言って、アヅマは名無しに向き直る。


「――というわけだ」

「……ついてこい」


 名無しは拍子を消した歩みで進み出、肩越しに言った。


「ビッグムーンからクモトリ・マウンテンを越える」


 知らぬ土地の知らぬ山――ここも同じか、とアヅマは胸の奥で息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る