悪魔の竹の化身なれば

 音を立てながら微振動しはじめた。部屋のあちこちに置かれた絡繰が不規則に明滅し、メリアの見つめるガラス板には見慣れぬ文字が踊りだす。

 ゴボン、と重苦しい水音が響き、竹稈に浮かぶカグヤの足元の方から、赤子の頭ほどの泡が立った。泡が海月くらげのようにゆっくり昇り、カグヤの美しい顔と一瞬、重なる。笑顔に見えた。泡を通して像が歪んだか――いや、違う。


 アヅマは鯉口を切った。背後で名無しが気配を鋭くしたが、これにはプティーが反応する。不満はあれど相棒の背は守る。まだ若くとも子どもではなかった。

 あぶくがカグヤの眼前を過ぎった。顔色にも表情にも変化はない。アヅマも右手を垂らしたまま。竹に感情はない。だから殺気もない。それが人型で、デビル・バンブーであっても変わらない――はずだが。


「……メリア、こいつ、起きたぞ」

「えっ!?」


 メリアは弾かれたようにカグヤを見上げる。なんの変化もない。はじめて目にしたときと同じように竹稈の内側に浮かんでいるだけだ。メリアは眉根を寄せて肩越しに振り向く。


「私には起きたようには見えませんが」

「でなければ、俺は鯉口を切らない」

「――は?」


 ぽかん、と口を開いた。


「そんなのが根拠だというんですか?」

「そうだよ。そんなのが最大の根拠さ」


 プティーがククリナイフの柄を握った。


「メリアが竹に詳しいのはよーく知ってる。けどね、私らだって竹を相手に生きてきたんだ。なんにも考えてなくたって躰が反応するようにできてる。アヅマの手が動いたってことは、なんかが起きたってことさ」

「――で、でも!」

「信徒の皆様もお気づきのようですぜ」


 ビスキーが忌々しげに老人と名無しに目をやった。ふたりとも額を床にこすりつけるようにして伏していた。

 アヅマは余計な思念を捨ててカグヤを見つめる。


「……おそらく、気泡が湧いたのをきっかけに目覚めた」

「えっ!? でも、そんなはずありません! 早すぎます! 開花はもっとずっとあとですし、目覚めたのならなんで!」


 メリアは自説の正しさを証明しようとカグヤの漫然と浮かぶ姿を示した。


「なんで目を開けないんです!? 躰を動かさないんです!?」

「さっき自分で擬態だと言ったろう。そもデビル・バンブーなら目なぞいらん。むしろいままで寝ていたのかどうかすら怪しい」

「――だいたい、花ァ咲かすのと目ェ覚ますのは一緒なんかい?」


 皮肉っぽい片笑みを浮かべて言葉を継ぐプティーに、メリアはただでさえ白い顔を青ざめながらカグヤに振り向く。

 ただ浮いているようにしか見えないが、しかし、


「すべて罠だ。デビル・バンブーは常にそうしている」

 アヅマの声にビスキーが鼻を鳴らす。

「そりゃ植物だからなあ、自分からは動かねえだろうよ」

「うん。擬態にしても罠の一種だ。御伽話の竹取物語にしても同じだ」


 竹取のカグヤは光る竹の内にいたという。なぜ光っていたのかといえば、人を惹き寄せるためだ。惹き寄せ、育てさせた。金銀財宝が何を意味しているのかは知らないが、デビル・バンブーがもたらした恩恵もまた計り知れない。


「……ってのも、罠か」


 ビスキーが吐き捨てるように言った。

 アヅマは頷き返す。


「うん。人ならざるこいつの目的が国盗りにあるなら、そもそもが遠大な罠かもしれん」


 力を貸し、利用させ、竹なしでは生きられないように世界を作り変えてから、開花と崩壊によって人を根絶やしにする。その一方で、手足になりうる人の集団を作っておく。

 プティーが試すような目つきをして言葉を継ぐ。


「メリアんとこのご先祖様がこいつを複製したんだろ? ――けど、ほんとに複製したのかね? ?」

 仮にオリジナルが死滅しても国盗りを代替できるように。

 あるいは地表に伸びる竹が地下茎でつながり同じ遺伝子をもっているように、人というつながりを利用し表層としてのカグヤを伸ばしただけなのではないか。


「……ありえませんよ、そんなの」


 そう切って捨てるメリアだが、その口調は自分に言い聞かせるようだった。

 ガゥン! と硝子板のついた算盤のような絡繰が打音を響かせた。汽笛にも似た甲高い音を鳴らしつつ、絡繰の蓋が開く。内に、筒が立っていた。ちょうどメリアの両手で収まるくらいで、硝子のように透き通り、油のような粘り気のある液体で満たされている。カグヤの浮かぶ竹稈から採取した液体なのだろう。


「……それが目的のものか」

「そうです。せっかくですから、もっとたくさんの資料を採取したいのですが……機材の老朽化と保存容器の在庫不足が深刻なようです。これ以上は難しいです」

「言葉の意味が分からん。だが、目的を達したのなら、あとは来た道を帰るだけだ」

「来た道はもう使えないって」


 プティーが小さく肩を竦めた。


「フォルナックの手下衆をしばいちまった。トーキョーは避けて帰らないと」

「……たしかに。その方がいいかもしれない。それと、もうひとつ」


 アヅマは油断なくカグヤに目を光らせる。


「メリア、こいつカグヤはこのままでいいのか?」

「……下手に仕掛ける方が危険です。記録によれば、カグヤ八二五は自由自在に竹を操ったとあります。この施設をみてください。ここはカグヤの腹の中とも言えるんですよ」

「伐れば、上に広がる竹林も潰えるかもしれない」

「そうですね。最悪の場合、私たちはここに生き埋めにされます。もちろん開花を止めることもできなくなって、私たちの世界の終わりも確定します。――とはいえ、そんなことをしたら竹之光教が黙っていないと思いますが?」


 メリアが老人と名無しに目をやった。ふたりは平伏したまま動かないでいた。カグヤに対する作法なのかは分からない。あるいは、伐らないてくれと懇願しているのか。

 アヅマは一歩、硝子のような竹稈に近寄り、手を触れた。氷のような冷たさを想像していたが、思いのほか温かった。硬さからして竹稈ごと伐れなくはなさそうだったが、


「伐れば埋まる――そうして身を守っているのかもしれんな」

「……そうかもしれません。それに――」


 メリアは手に入れた原始の竹の標本サンプルを見つめ、首を小さく横に振った。


「いえ。行きましょう」


 ひとり部屋から出ようとするメリアの肩を、プティーが掴んだ。


「……それに、なんだい?」

「……別にいいじゃないですか」

「よかないよ。いくらなんでも隠しすぎだと思わないのかい?」


 メリアは唇を噛み、カグヤを見やった。ただ浮いているだけに見えるが、


「……さっきの、おふたりの考えが、少し気になっただけです」


 プティーの手を振り払い、逃げるように部屋を出た。アヅマとプティーは顔を見合わせ後に続く。ビスキーは、名無しと老人そしてカグヤと順繰りに眺め、肩を竦めた。

 メリアは竹の床を蹴りつけながらエレベータに戻り、ひとまずアヅマとプティー、ビスキーが乗り込むのを待った。


「……言われるまで考えたこともありませんでした」


 メリアがボタンを叩いた。上昇に伴い、ぐん、と躰が重くなった。


「もしかしたら、私たちがしてきた研究や開発も全部カグヤにやらされていたのではと思えてきました」

「でしょうねぇ」


 ビスキーが煙草を口に咥えた。


「複製がいるってのも怪しくなってくる。足りないのがさっきの気持ち悪ぃのの液体だけってのなら、なおさらですよ」


 喋りに合わせて先が上下する煙草を見て、プティーが口寂しそうに唇を舐めた。


「この旅もカグヤさまの思し召しって? ぞっとしないねぇ」


 うん、とアヅマも頷く。


「花開くのを止めようとするのも、折り込みずみかもしれないな」


 エレベータは唸りながら上昇を続け、やがて止まり、扉が開いた。

 真っ暗闇の竹林に、蛍を思わせる緑光が点々と灯っていた。火打を叩く音がし、ぼう、とプティーの竹煙管とビスキーの煙草の先が赤熱した。

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