御伽話
竹林の地下深くに生きる悪魔の竹――それそのもの。
一見すれば形は人で、艷やかな黒髪と儚げな美貌はこの世のものとは思えない。
だが、近づけば。
見るのでなく観れば。
分かる。
遠目に見る神仏の像と同じだ。硝子のように透き通る竹稈の大きさと、内側を満たす液体が、目で見る像を歪めているだけ。体躯は生半な
竹稈の外で立ち会えば化け物と呼ぶかもしれない。
竹林の笹葉がつくる陰の下で向き合えば、あやかしと呼ぶ。
「――
アヅマの声に、プティーが小さく鼻を鳴らす。
「ちょいと。冗談のつもりなら笑えないよ」
「冗談ではない」
老人と名無し――
天啓という言葉があるように、信仰心は一瞬で芽生えることもある。だが、代を重ねてなお信仰を貫くには、強固な道理や筋道がいる。すでにある人種や隔たりを越えて人を集め共に暮らしていくには、救済がいる。
竹咲捨念流の先代、それよりも前、ずっと昔は、人々に武芸のみならず教育を施し、互いに助け合いながら暮らしていたという。流派とは武芸の教義であるとともに、共同体の生活理念でもあった。
捨念――仏門には心頭滅却として通ずる究極の教義は、争いを根本から断つ。まだ道半ばと思っていたが――
アヅマは小さく息をつき、メリアを見る。
「それで、どうする。この竹を伐ればいいのか?」
硝子のような竹稈と内に浮かぶカグヤとやらに対するアヅマの言葉に、老人と名無しが弾かれたように顔をあげた。信じられない。そう言わんばかりにわなわなと両肩を震わせて、立ち上がると同時に吼えた。
「お主、正気か!? バンブーズでありながら分からんのか!?」
老人が見せる鬼気迫る表情に、しかし、アヅマはなんの感傷も抱かない。
信じるものが違うということは、そういうことだ。
バンブーズとは、竹の子とは、そういう意味かと少し思う。老人は、バンブーズのアヅマやプティーが、カグヤを見れば寝返るだろうと、無邪気に信じていたのだ。愚かと嘲笑う気はない。そう信じるだけの理由があるのだろう。
しかし、アヅマは捨念を貫く。
ちらとプティーの横顔を覗くと、幽かな迷いが見て取れた。捨念はあくまでアヅマの信ずるところ。彼女に付き合う義理はない。
アヅマはメリアに尋ねる。
「どうするんだ。伐るか?」
「いえ。できれば、それだけは避けたいと思っています」
当然とばかりにメリアは言った。
「カグヤ八二五は、この状態でも生きています。地上に蔓延る竹の始祖であり、今もなお繋がっているんです。もしカグヤの生体部分が死ねば、すべての竹が同時に枯れるか――最悪、もっと酷いことが起きるかもしれません」
「もっと酷いことってのはなんです?」
竹の売買を生業としているかか、聞き捨てならんとばかりにビスキーが訊いた。ジャックに密命でも受けているのかもしれない。
「……今この国を支配している竹はすべて、カグヤが生んだ品種が元です。カグヤは地上での生活に、竹という植物と、人という動物を使ったにすぎません」
「どういう意味です?」
「地底からきたカグヤという生き物にとって竹ほど利用しやしく生命力に富む植物はなかったのです。また、人ほど操りやすい動物もいなかった」
メリアの発言が癇に障ったらしく、
「違う!」
と、老人が口角泡を飛ばす。
「カグヤ一五〇一様は人を愛されたのだ! だから、我らもカグヤ一五〇一様を愛し守ってきたのだ! カグヤ一五〇一様はこの狭い国ので暮らしを豊かにし、海の向こうからやってくる蛮族共から我らを御守してくださったのだ!」
メリアは老人を冷めた目で見つめて言う。
「合っている部分は半分もありません。人はカグヤを利用しようとして逆に利用されてしまいました。カグヤは竹と人を使って星そのものを乗っ取ろうとしたんです。それを阻止したのが我らオークスですよ」
老人の目に怒気が宿り、気配に殺意が混じった。アヅマは自らの役割として刀に手を置き間に割り入った。
「ご老人。どちらも寄りかかるものが違う。論をぶつけ合っても答えは出ない。メリアは、カグヤとやらを殺さないと言っている。いましばらく待ってくれないか」
最大限の譲歩だった。老人はギラギラした瞳をそのままに両手を垂らした。
メリアが肩から下げていた鞄を開いた。
「そもそも、殺しても殺せないかもしれませんよ。私たちがデビル・バンブーと呼んでいる便利な竹は、すべてカグヤ自身が生みだしたか、私たちの祖先がカグヤの
「……複製?」
プティーが眉を寄せた。
「人の手で兄弟を作るようなものです。私たちはクローン・カグヤを作り、手入れをして、有用な新種を生むようにコントロールしてきたんです」
「なんか、胸糞悪い話をされてる気がしてきたよ」
プティーの手がククリナイフの柄尻に乗った。
「もうずっと昔の、私たちの先祖ですよ」
「勝手に私のご先祖様まで巻き込ないでくんないか」
「バンブーズの皆さんこそ、カグヤ八二五が生んだデビル・バンブーの恩恵に預かってきたじゃないですか」
「はあ?
ギリッ、とプティーの手が柄を握りしめた。竹之光教に感化されたとは言わないが、話を聞くだに彼女の一族にとっては腹立たしく思えて当然だろう。それは、アヅマにとってですら同じだ。虐げられる側に回されなければと思うことはある。
――だが。
やはり同じだっただろうと諦めにも似た感覚を得ながら、アヅマはプティーとメリアの――オークスとバンブーズの間に躰を滑り込ませる。バンブーズとして罪を背負い、贖う暮らしを強いられてきたからこそ、捨念に至れた。
「過ぎたことで言い争っても無駄だ。早く済ませて帰ろう」
「……ちょいと、アヅマ」
肩にかけられた手の力の強さに、プティーの怒りの深さを感じる。誰に頼まれたのでもなく背負っている。バンブーズを。
なるほど、竹之光教が流行るのも頷ける。
バンブー・ヒルで自活するプティーですら感化されるのだ。凡百なバンブーズや、お人好しのオークスなら次から次へと信徒になるやもしれない。
しかし、俺たちは、
「竹切り屋が竹の肩を持つのは道理に合わん」
「……今まさに、その道理ってのがつくりもんだって教わったんけど」
「メリアの話ばかり信じても仕方ない。その逆も然り。俺たちの仕事はメリアをここまで連れてくること。そして、来たところまで連れ帰ること。それだけだ」
「……そうかい」
ぱっ、とプティーは柄尻を離した。
ビスキーが、こっそりと起こしていた拳銃の撃鉄を下ろす。
「ひとつ教えちゃくれませんか」
「……なんですか?」
メリアは硝子のような竹稈の回りについた奇妙な絡繰に指を滑らせた。算盤に似ているようで、まるで違う。正面に据えられたガラス板に、見覚えのない文字列が無数に並んでいた。
「こいつの複製とやらがあるんなら、ここまで来る意味はなかったんじゃ?」
たしかに、とアヅマは内心で頷く。
原始の竹の何某かを利用し竹の一斉開花を食い止めるのだ、と聞いていた。原始の竹と同じものがいくつもあるなら、それらを使えば済む話だ。
「――いえ、残念ながら複製に成功したのは、カグヤ八二五の生体部分だけなのです。必要なのは原始の竹――」
メリアは算盤めいた絡繰を弾く手を止め、カグヤの浮く竹稈をコツコツと叩いた。
「――これがいるんです。正確には、カグヤが浸かっている、この液体――原始の竹というのは、カグヤ八二五を眠らせたまま力だけを抽出する、カグヤ八二五自身が生み出した、このシステム全体を指して言うんです」
「ちょいと待ちなよ。さっきメリアは、そのカグヤってのが原始の竹だって――」
「言いました。ですから、液体も含めてカグヤ八二五なのです。私たちの祖先が複製できたのはカグヤの本体――この人に擬態している生体部分だけです。すでに蔓延っていた竹をコントロールするにも、新たな品種の開発や生産するにしても、それで十分だったんです」
プティーは目眩をこらえるように眉間を手のひらで覆った。
「――でも、それだけじゃ竹の開花は止められないって?」
「仰るとおりです。――というか、そう気付いたのが、この旅の発端です」
メリアは絡繰を叩く手を止め、室内のそこかしこに置かれた機器の操作に移った。初めて目にする道具ばかりで、手を貸せそうになかった。アヅマにできるのは、老人と名無しを牽制し、プティーを諌めることだけだった。
あちらこちらと忙しく働きながらメリアは語った。
カグヤ八二五を最初に捕獲したときからこうだったのか、今となっては分からない。ただ、時の王がカグヤ八二五を囲い、またその力を利用し、後のバンブー・リサーチ・センターが奪取したのは間違いないという。今も御伽噺として残る『竹取物語』は、研究所の成り立ちとカグヤ八二五捕獲の顛末を後世に伝えているのだと。
「――つまり、なんです? 帝ってのは王様で、竹取のジジイが発見者。んで、月の民ってのが俺たちオークスなんだと」
「はい、おそらく。確証はありませんが」
メリアはふたたび硝子のような竹稈の傍に戻り、振り向いた。
「抽出を始めます。資料通りなら大丈夫だとは思いますが、万が一カグヤが目を覚ましたりしたら、そのときは――アヅマさん、お願いします」
「……伐れ、と?」
問いかけるアヅマに、メリアが頷く。竹稈に浮かぶ人のような姿のデビル・バンブー。この世のものとは思えぬ美しさが手を鈍らせにかかってくるが、アヅマはほとんど確信に近い形で承知している。
人ではなく、竹であると。
竹ならば、伐ることができる。
「心得た」
当然の如く言い、アヅマは刀の鍔に親指をかけた。
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