原始の竹

 遠ざかり、やがて暗闇に飲み込まれていく天井。無数の竹稈を束ねたような壁が、その節が、音もなく上に滑っていく。昇降機の底に、蝙蝠のようにぶら下がっているような、奇妙な感覚だ。

 アヅマの知る昇降機といえばバンブー・ヒルにもあった吊り下げられた箱をなんらかの動力で上下させる乗り物だが、これは――


「……板に乗っているのか?」


 誰に尋ねるでもなく吐いた疑問だが、メリアが肩越しに振り向く。


「壁に触れないほうがいいですよ。直に――」


 言い終わるよりも早く、微かな浮遊感とともに壁の滑り上がる速度が増した。足こそ着いているが体重がなくなる。ほぼ自由落下に等しいかと思いきや、今度は急に足がぴたりと底づいた。いったいどれほどの速度で下がっているのか、壁の節はもはや視認できない。胃の中のものが喉元までせり上がり顔をしかめる。プティーも、ビスキーも、名無しや老人やメリアでもあっても――。

 足に掛かっていた負荷が抜け、壁の動きが収まり、振動もなく昇降機が静止した。


「……ずいぶん慣れてるみたいじゃないのさ、メリア」


 プティーが、やや嫌味の色を乗せて言った。

 滑るように扉が左右に割れ、淡い緑光が奥へと続く通路を照らしだす。


「前にお話ししました。遠い昔に袂を分かったとはいえ、ここと私の故郷は兄弟も同じです。メンテナンスも含めて少々くたびれてはいますが、故郷とよく似ています」


 言いつつメリアが通路に踏み入り、すぐ後ろに名無しと老人が続こうとした。だが、プティーが二度、小さく舌を鳴らし間に入る。


「よく似てたって、実家ってわけじゃないんだ。気ぃつけなね」

「道中で始末をつけられなかった時点で勝敗は決したようなものです。この里は引き継ぎに失敗しているようですし、みなさんも居ます。平気です」


 メリアの瞳が肩越しに名無しを捉えた。長い通路と壁に埋め込まれた優に人ふたりは入れそうな竹稈の束に、半ば呆けたような様子に見える。老人の落胆ぶりとは対照的だ。

 ビスキーが退屈そうに言う。


「ンなもン見りゃわかりますよ。そいでも気ぃつけてくれって言ってんです。巣穴に帰った途端に気がデカくなんのは俺たちの悪い癖だ」


 メリアは不満そうに目を細めていたが、典型的なオークスの悪癖だとアヅマは鏡裏で頷く。当のオークスであるビスキーに自覚があったのも驚きだが、本来なら雲の上に居っぱなしのメリアとは認識に差があるのだろう。

 よく似ていても、メリアの暮らしてきた巣ではないのに。

 もちろん、を旨とするアヅマに油断はない。左手は常に刀の鍔元に置き要あればいつでも何時でも抜けるよう備えつつ、名無しと老人の背後を取る形で通路を進む。


 変な場所だとアヅマは思う。

 緑光の弱々しさに隠されているが、延々と並ぶ太い竹稈は床や天井に対してどのように伸びているのだろうか。乗ってきた昇降機と同じく壁も天井もないのだろうか。いや、そもそも、いま歩いている床は、本当に床として伸びているのか。

 疑心が床に曲面をもたせたか、心做こころなしか足が滑る気すらする。フォルナックの住処とはまた異なる息苦しさ。あのビルが巨大な竹の内側なら、こちらは群生するデビル・バンブーの林の中心地――だとしたら、おかしい。


「ここはメリアの住んでいた街と兄弟関係にあると言ったな」

「――厳密には街ではありませんが、そうです」


 アヅマの質問に、メリアは足を止めずに答えた。


「竹を研究していた」

「そうです」

「それはここでも行われていた」

「ええ。そのはずです。そちらの方のほうが詳しいと思いますけど――」


 ちらりと老人を一瞥し、言い直す。


「私が学び、調べたとおりなら、上で暮らしていた人々は研究所の雑用や警護を担当していた人員の末裔です」

「奴隷のように扱われてきたバンブーズの末裔よ」


 老人が恨めしげに言った。


「それに情けをかけたオークスもいたというだけのな」

「――それは」


 と振り向くメリアだったが、伏し目がちに口を噤んだ。向き直り、靴音を立てる。

 いつの時代もヒトの行いは変わらない。

 時は人を変えない。

 ヒトの行いを変えるのは、いつだって暮らしている土地だ。

 隙間なく伸びる太い竹稈が水を吸い上げているのか、獣の唸りのような音が間断なく鳴っている。

 その音に、珍しくも薄気味悪さを感じつつ、アヅマは老人の背に訊く。


「原始の竹とやらがここにあり、それを守っていたのなら、ここではなんの研究をしていたというんだ? ここで研究をしていた人々はどこに消えた」

「そして、なぜ竹之光教はここに残った?」


 唇の片端を吊り、プティーが最後の質問を重ねる。

 メリアも、老人も足を止めない。導かれるように、誘われるように、奥へ奥へと進む。竹の緑光が白みながら強まる。突き当りに出た。

 中央に薄っすらと割れ目の入った、扉だろうか。壁だろうか。金属質な乳白色をしているが、よく見れば微細な繊維の筋がある。古いメタル・バンブーの一種なのだろう。

 メリアがようやく振り向き、老人に言う。


「開けていただけますか? ダメというなら力づくで――」

「止めはせんよ」


 言って、老人が前に進み、壁の右隅につけられた四角い板に手のひらを押し当てた。シュッ、と空気が筒を走るような音が鳴り、扉が左右に割れ開く。目に飛び込んでくる一段と強い緑光。扉の奥、広いホールのような空間の中心に、ひときわ太く、硝子のように透き通った竹稈がそびえる。内側はごく薄い緑色をした液体で満たされており、そこから伸びる光が部屋を照らしているようでもあった。

 そして、竹稈の内側に浮かんでいたのは、


「……女?」


 思わず、見たままがアヅマの口をいてでた。

 長い黒髪の、息を呑むほど美しい女が、一糸まとわぬ姿で浮いている。まるで眠っているように両目を伏せて、佇むように静かにそこにいる。薄い胸は上下しているようだが鼻や口に気泡はない。

 生きている。そう直観する。

 だが、これは――。


「これは、なんだ?」


 緑光は竹稈を満たす薄緑の液体が発しているのか、あるいはまさか、女が光を放っているのだろうか――

 ありえない。そう切って捨てることができない。

 女のこの世のものとは思えない美しさが、よもや、と思わせる。


「カグヤ様……至らぬ我らをお許しください」


 言うなり、老人は両膝を落とし、額を床に打ち付けるようにして伏せた。慌てて名無しも老人に倣った。竹之光教の御本尊。または教祖。だが、その名前は、とアヅマは思う。

 いくらなんでもできすぎている。

 竹取物語と同じ名前だなどと。

 場所はマウント・フジの麓の湖。その地底。元はひとつだったというツキノモト・バンブー・リサーチセンター。

 まさか、そんな。

 アヅマは胸のざわめきに眉をしかめながらプティーに目を向けた。同じように、笑えばいいのか呆れればいいのかという顔で、こちらを見ていた。

 メリアが静かに、大きく息を吸い、背負っていたすべてを乗せるように吐き出した。


「ようやく、ここまで来れました」

 ゆっくりと振り向き、どこか自慢げに、親しい友人を紹介するように言う。


「この内側にいるが原始の竹――カグヤ八二五、または一五〇一です」


 ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。


「……生き物、って言ったかい?」


 プティーが竹稈に浮かぶ女を訝しげに見つめる。


「どうみても女じゃないのさ。多分、バンブーズの」

「擬態だとされています」


 フッとメリアが鼻を鳴らした。


「その正体はマウント・フジを隆起せしめた、この星の内側に隠れていた生き物――なのだそうですよ」

「ちょ、ちょいと待ちなよ」


 プティーは目眩をこらえるように両目を覆う。


「フジの山を作ったのがそいつだって? は? いつからあると思ってんのさ」

「この生き物を捕獲したのが我々の暦で八二五年だとされています」

「八二五年って……」

「ヘイアンと呼ばれた時代ですね。カグヤという呼び名も発見し交流し捕獲した人々が、そう聞き取ったからそう名付けただけだそうですよ」

「……ああ、ダメだ」


 プティーは目を覆ったまま首を左右に振り、アヅマに訊ねる。


「あたしがバカになっちまったのかね? それとも――」

「プティーはバカじゃないし、バカになるはずもない」


 さすがに、そういうことではないと承知の上で、至極マジメに答えた。プティーの眉が歪む。ビスキーは判断保留といった様子で両手を腰に黙りこくっている。

 アヅマは竹稈に浮かぶ女のようなとやらを見、それに完全に平伏している老人と名無しの有り様に、言う。


「だが、人じゃないのかと問われれば俺は、違うと答える」


 フォルナックと同じ。

 いや、似て非なるモノ。

 奴が竹の化け物であるなら、こいつは――


「デビル・バンブーそのものだ」


 光の加減か、アヅマの声に応じるように一瞬、女が微笑を浮かべたように見えた。

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