山中の湖畔
群青色に染まりゆく空の下、竹造りの長屋の軒先で、竹が緑色に淡く光っていた。列車で利用されていた照明とよく似てはいるが、光量は集落の自生種の方が強いようだ。
「……何故」
その光と光の間から、鋭い闘気とともに低い声が飛んできた。
「……何故だ」
また、別の影から声がした。
なんで連れてきたのかと言外に問うている。
名無しは伏し目がちに深く息をつき、明かりと暗闇の隙間に視線を巡らす。
「……
沈黙で答える影がひとつ、ふたつ――十、二十、まだ増える。
アヅマはいつでも抜けるように左手を鍔元に置き、プティーはメリアを背に隠す。ビスキーが見せつけるように短筒の撃鉄を起こし、銃口を名無しの後ろ頭に向けた。
「ちっと離れろや。仲間の頭が吹っ飛ぶところなんか見たかないだろ」
「……吹っ飛ばしたところでどうなるというものでもあるまい」
ほとんど間を置かずに返答し、名無しが血で赤黒く染まった唾を足元に吐いた。
「その短筒で俺を撃てば残りは五発だ。五人以上で仕掛ければ確実に勝てる」
「アホか。そこにアヅマって化け物がいるだろうが」
ビスキーの半ば嘲るような笑みに、名無しが力無く二度、頷く。命がけで竹を身の内に宿し膂力を人外の領域に高めても、なお届かない。笑うしかなかった。
集落の奥から近づいてくる、小さな、しかし物怖じしない気配に、アヅマは微かに首を垂れた。ここの長であろうと思った。
小さな気配は暗闇から抜け出てきて、名無しの顔面を一瞥し、アヅマ、メリアと視線を滑らせた。
オークスにしては珍しいくらいに小さな、
「コレでも止められなんだとは……」
嘆かわしいとばかりに首を左右に振り、メリアの両眼をじっと見つめた。
「誰に言われてここまで来た」
「……私は自分の意志でここまで来ました。竹の開花は絶対に止めなくてはなりません。竹が花を咲かせれば、この世界は根底から崩れてしまいます」
「『この世界』ではなく、『オークスの世界』だろう」
老人は肺を絞り潰すように息をつき、アヅマとプティーに憐れみの眼差しを投げた。
「……まったく情けない。それだけの腕がありながら完全に飼い慣らされおって。王の前に立ったのだろう? あれがどんなものか見たのだろう? なんでオークスなんぞに味方をする。お主らも竹の子だろうに」
プティーが苦虫を噛み潰したような顔でアヅマを見やった。彼は泰然自若としていた。どう見られていようと構わない。自分が知っていればそれで良かった。
だが、あえて答えてやるならば、
「竹の子でなくバンブーズ――それ以前に人だ。一息に竹が枯れ果てれば大勢の人間が死ぬ。止められるなら止めようと思う。手伝えと言われれば手伝う。それだけの話だ」
「手伝う、か……お主らは何を手伝ったのだ? ここまで連れてくる? 連れてきてどうするんだ。何の片棒を担いでいるのか、自分の頭で分かっておるのか?」
何をか言わんやと老人はメリアを一瞥し、アヅマを見据える。
「……聞いてはいる。開花を止めるには、原始の竹とやらのイデンシ? が――」
「遺伝子が何かも知らんくせにか」
嘲ると言うより呆れ果てたという調子だった。
プティーが面倒くさそうに肩首をぐるりと回し、ククリを抜いた。
「あたしらに世界を憂うオツムがありゃ、こんなモン握らずに済んだんだけどねぇ」
じくりと滲みでる鬼気。
抑えてくれと胸中に思い、アヅマは実直に繰り返す。
「竹咲捨念流は活人剣だ。誰それを死なそうというのではなく、活かそうという。現にその男も活かした。余計な血が流れぬようにとフォルナックの手下連中も置いてきた。俺たちを――いや、メリアを通してくれないか」
「竹咲捨念流……ネンリューの系譜か」
老人は自嘲するような笑みを見せ、名無しを指した。
「これから名を伝え聞いた時は驚かされたが……活人とくれば合点もいく。技が生まれて幾年経ったか……今ではそう伝わっているということだろう」
アヅマは胡乱げに眉を寄せる。
「伝わっている、とは? 翁、捨念流をご存知か」
「詳しくは知らんが、名を聞けば想像もつく。遥か昔、この地を守護してきたのはネンリューの使い手だったともされている」
「念流の……? この地は……そんなに古くからあると?」
ふっと鼻を鳴らし、老人は右のこめかみを指で叩いた。
「考えんか。創始者がこの地を治めていたというのではない。使い手がいたと、そう言っただけだ」
「それは……そうだが……」
念流の創始はムロマチ以前に遡り、現代までに膨大な流派を生んだが、多くは技を練る過程で名を変えた。念の一字が残る流派は少なく、なかでも念流とだけ称していた使い手となれば当然、歴史も古くなる。それが守護していたとすると――
「おしゃべりはもういいだろ」
ビスキーが訳知り顔で話を遮る。
「俺はな、俺の役目を果たして、さっさと帰りてぇんだ。分かるだろ?」
「分からいでか。我らの負け……いや、あるいはまだ分からんか」
「……まだやろうってか。死人が出てねぇうちにお分かりになられてくんねぇか」
「死人ならもう出ている。何千も、何万も、何十万もな」
老人は背を向け、肩越しにアヅマに鋭い視線を送った。
「お主らも原始の竹を――竹の光を見れば何が正義か気づく。何が活人か。竹咲捨念流だと? その名の意味を正しく解するだろう」
「どういう意味だ、翁」
「言葉通りよ。着いてこい。隣りにいるオークスが、獣に見えるようになる」
アヅマたちは顔を見合わせ、名無しとともに老人の後ろに続いた。湖畔の船着き場に巨大な笹舟が停まっていた。竹を組んで作った船ではなく、デビルバンブーの何らかの変種の笹葉を使った、単に大きくなった笹舟である。
「……この人数で乗れんのかよ?」
嫌そうに言うビスキーに、老人は愉しげに答えた。
「怖いなら残ればいいいではないか。その短筒があれば心配いらんだろう」
「……あんま調子に乗んなよ、ジジイ」
後ろ頭を小突こうと伸びる銃口を押し留め、アヅマは老人に続いて船に乗り込んだ。
また船かと思わずにいられないが、何かを守ろうというなら水で囲うのが早い。唇に感じる風に塩気はないが、塩水を使えば竹から守ることもできよう。
――もっとも、篝火で照らされる範囲に竹の影はないのだが。
「……管理者は――お爺さん、あなたですか?」
メリアが暗闇を見据えたまま呟いた。名無しが櫂を抱えて躰を捻った。
ぎしり、ぎしりと軋みながら、船が進んでいく。
ふいに老人が吹き出すように笑った。
「お爺さんとはな。――まぁいい、ここでは名などあってないようなもの」
「では、どうお呼びすれば? 管理者はどなたですか?」
「好きに呼べ。儂は管理者などという大層な代物ではないよ」
「では――」
「竹の光の君が。あの御方が、ご自身の意志で、我らを守っておられるのだ」
真っ暗闇にポツンと浮かぶ笹舟がひとつ。風はない。名無しが動かす櫂の軋む音と、時おり聞こえる波の音を除けば、あとは何もなかった。
奇妙な話に思えた。
バンブーズ・ライツ――竹の光教の信徒が竹の光の君に守られているのなら、彼らは何を守っているというのか。竹咲捨念流の活人の意味が分かるとはどういう意味なのか。
暗がりに、船着き場の影が、薄ぼんやりと見えた。
湖に浮かぶ小さな島。
いくつもの騒動を越えて辿り着いたそこは――
「……
大きさだけなら、バンブーヒルはおろか東京の竹の天辺に据えられていても不思議ではなかった。竹筋のコンクリートで補強され、鋼の格子と壁と見紛うようなスライド式ドアを備えている。
「そう。ここが我らが竹の光の君のつま先――竹の地下茎だ」
「……なんだと?」
地表が地下で、地下が地表で。
「竹が逆さに伸びて何が悪いか」
老人はかっかと笑い、扉の端に据え付けられた金属板に触れた。耳障りな金切り音を発しながら金属壁がスライドする。奥に暗闇が現れ、間もなく緑の蛍光色がぼんやりと浮かんだ。金属でできた竹の節とでもいえばいいのだろうか。
筒の内側に、無数の竹束が走っていた。
息を飲むアヅマをよそに、メリアが勝手知ったる様子で中に入った。
「急ぎましょう。彼女が目覚めてしまう前に」
「彼女……? 何を言っている? 何を黙っていた」
「下に行けばわかります。そうでしょう?」
言われて、老人が静かに頷く。いますぐにでも問いただしたいところだったが、アヅマは老人と名無しを先にいれ、自分たちもあとに続いた。
扉が今にも壊れそうな音を立てながら閉まり、節が滑るように下に昇り始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます