マウント・フジ

 差し出された倭刀とアヅマを見比べ、名無しは困惑しきっていた。


「正気とは思えんな……」

「姿を見れば斬りかかってくるような輩が正気を語るのか?」


 アヅマは名無しにかけていた縄を解き、倭刀を取らせた。


「やりたければかかってこい。お前が自らの未熟を認めるまで何度でも挫いてやる」

「……なぜ殺さない。話せば分かるとでも言う気か?」

「殺したところで次の刺客が来るだけだ。なににもならん。だが、何度も叩いていればいつかは真っ直ぐになる」

「……お前はなにを言っているんだ?」


 口を閉じるのも忘れる名無しに、プティーが苦笑を混ぜて言った。


「剣だよ、剣。熱くなったところをぶっ叩くんだと。どんだけ強情に曲がってようが叩き続けてりゃ、いつかは真っ直ぐになるんだとさ」

「……俺が曲がっていると言いたいのか!?」


 名無しは急に激高したかと思うと、倭刀の柄を強く握った。やにわに緊張が走ったものの、アヅマは冷めた目をして、

 それ見たことか。

 と、言わんばかりに顎をしゃくった。


「……曲がっているから熱くなる。撤回しろと刀を抜く。打たれる。よほどたちが悪いようなら圧し折ってでも打ち直す。――だが、『殺す』は『見限る』も同じだろう。俺は他人を諦められるほど偉くない。望むまで、求められるまで、打ち直すだけだ」


 ずっと昔、父が飽きることなく応じてくれたように。

 はるか昔、父の父が延々と応じてくれたように。

 アヅマは刀に手をかけ、名無しに問う。


「どうする。今一度ここで仕合しあうか」

「………………まいった」


 長い沈黙の末に、名無しは倭刀を躰の右横に置き、膝を揃えて一礼した。オークスの体つきで行うには窮屈な姿勢なのだが、それが礼節なのだと決めてかかっているようだった。

 ――分かっていないのだろう。

 ただ、戦っても勝てないと悟ることはできるようになった。進歩である。進歩は認めなくてはならない。それを指針に、次の鍛錬が始まるのだから。

 アヅマは両膝を並べたが、しかし、膝頭に拳を乗せただけの略式の答礼で応じた。


「うん。して、どうする。退くか」


 退こうというのを止める気はない。どうせまた仕掛けられるのだろうが、身軽に鳴っている分だけ楽に応じられる。すでに分かれたフォルナックの手下集を人質に取ったというならば、それも構わない。細かな策は策ごと潰す。そうされて、はじめて自らを省みる。

 名無しは小さくかぶりを振った。


「これだけの準備をしても勝てなかった。案内しよう。――いや、武人として、敬意を込めて案内させてほしい」


 言うが早いか、名無しは立ち上がるなり甲高い指笛を鳴らした。音は竹やぶに浸透し、やがて微かな返答があった。

 ――ちょいと。どうすんのさ? と、プティーが藪睨みにアヅマを見つめる。メリアは眉をしかめたままプティーとアヅマの間で首を振り、ビスキーは両手を腰に置いて重苦しいため息をついた。

 積もった笹葉を蹴り散らし、古い竹稈に手をつき、茂ったバンブーを倭刀で払い、名無しが振り向く。


「こっちが早い」


 アヅマはじっとりと湿った一行の眼差しを受け止め、ぐいと腰の刀を回した。


「行こう。罠があるようなら、罠ごと叩き潰す」

「すごい自信だな」


 名無しが言った。アヅマは淡々と応じる。


「自信なぞ無い。ただ、と決めただけだ」


 名無しが感心したように頷きながら竹藪に片足を突っ込み、指笛を鳴らした。牛や蛙が嘶くような奇妙な音色だった。音は藪に浸透し、やがて消えゆき、

 ガサリ

 と、竹藪が意志をもっているかのように左右に割れ、道を形作った。


「……な、なんですか、これ……」


 呆気にとられたメリアは訥々と呟きながら曲がった竹のさおを擦る。


「見た目は完全にモーソー・バンブーなのに……触っても動かない……デビル・バンブーじゃない……? でも……」


 ぶつぶつと続く呟きに補足するように、プティーが地団太を踏むようにして笹葉を蹴り散らかした。


「見た目はモーソーだけど、デビル・バンブーだね。地下茎がちょっと違う。だろ?」


 問われると、名無しは労るような手付きで竹稈のひとつを撫でた。


「デビル・バンブーという呼び方は好かん。この国の――いや、いま世にあるすべての竹は、我らの母、竹の光の君がお作りになられた竹の子だ」

……信徒のことを言うのかと思ったが、ここらの竹もそう呼ぶのか」


 人と竹の呼称を同じにするとは、と、アヅマはいくらかの驚きとともに竹を撫でた。古い見た目のわりにすべすべとした地肌をしている。


「……なるほど、手入れが……行き届いて……いる?」


 アヅマは思わずプティーに振り向く。彼女も気づいていたのか、メリアと視線を交わして頷き返した。

 奇妙な話だった。

 過密といっていいほどの密度で植わっているにも関わらず――かつて人の手による管理を諦めたほど広大な面積を有しているにも関わらず、手入れが行き届きすぎていた。

 メリアが唇を微かに湿らせ、辺りを見回した。


「……この竹林……竹そのものが移動していませんか?」


 さっき見ただろうにと振り向くと、アヅマは眉をしかめた。曲がったはずの竹が真っ直ぐに。あったはずの笹はなく、歩いてきた足跡すら分からなくなっていた。


「……驚いたな……この短時間に……」

「これまでも動く竹を伐ってきたのだろう。いまさらなにを驚く」

「……こうなるように植えた……間引いた……いや、管理していた……? どう言えばいいのか分からん。――名無し、お前は土地の竹をすべて把握しているのか?」

「無茶を言うな」


 名無しがくつくつと肩を揺らした。


「我らの光――竹の光の君を御守するために、竹の子が自ら動いているんだ」

「……いま、なんとおっしゃいました?」


 メリアの眉が見るも無残に歪んでいた。


「竹が自分で動いたと、そうおっしゃっていますか?」

「悪いか。俺たちはそう教わっている」

「ありえない……ありえませんよ。いくら宗教的なものだからって……元は同じだったはずなのに……いったい、どんな教育を受けてこられたんです?」

「……宗旨変えをするというのならともかく、オークスの女に――しかも我らの母たる竹の光の君に傷をつけようという輩に、なにを教えろと言うんだ」

「……人は人からしか生まれません。指導者は誰ですか?」


 不貞腐れたようにいうメリア。

 名無しは大きく息をつき、アヅマに振り向く。


「こうも話の通じん女とよくいられる」

「……偏った考え方しかできんのは竹の光教バンブーズ・ライツも同じだろう」

「……オークスかしずく犬め。……まぁいい。竹見たけみの翁様に会えば――」


 名無しはアヅマ、プティーと、淳に指差した。


「お前と、お前は考え方が変わるだろう。真実を知れば必ず――」

「竹見の翁さん? が、指導者なんですか?」


 メリアが名無しの話を遮り、苛立たしげに続けた。


「なにを教え込まれたのか知りませんが、私は原始の竹の真実を知っています。竹の光の君だとか意味の分からないことを……いいように使われているのはあなたたちのほうです」

「――貴様……ッ!」


 名無しが倭刀の柄に手をかけた瞬間、アヅマはわざと音を立てて鯉口を切った。無論、喧嘩両成敗とばかりにメリアにも鋭い眼光を飛ばした。

 すくみあがる少女を自分の背に隠すようにして、ビスキーが飄々と言った。


「なんだか楽しそうなお話だがよ、こっちは急いでんだ。いつまで聞いてりゃいいんだか先に教えといてくれよ。だいたい道は本当にこっちで合ってんのか? ええ、おい」

「……合っている。これから丘だ。上から湖を見下ろせる」


 宣言通り、足場は次第に傾いていき、ほどなくして登攀となり、そして――


「……どこ、がっ……丘、だっ……これはっ……山ってんだよ!」


 いつの間にか始まっていたビスキーの悪態が途切れ途切れになった頃、一行は山の頂に立った。珍しくも竹林に切れ間があった。


「遠見を望んでいたから、場所を開けておいてくれたんだ」


 名無しが自慢げに言うと、メリアは汗でベタベタになった額を拭い口先を尖らせ始めた――が、プティーがこっそり背後から近づき、その膨らみかけた頬を両手の指で潰した。

 ぶすぅと息を抜かれたメリアは頬を潰す手を掴み抵抗を試みる。もちろん敵うわけもなく、成す術もなく首を振られて、


「ほーれ、見てみな。デッカいだろぉ?」

「……お、大きいですね……」


 横手に望む赤富士に牙を抜かれた。

 さて、とアヅマはフジから目線を切り、麓の湖とやらを見つめる。ヤマナカ・レイク。山中にある湖という意味だ。

 名無しが人差し指を真っ直ぐに伸ばし、畔を指差す。


「あそこだ。あそこが俺たちの村だ」


 竹に覆われ、ほとんどなにも見えないが、しかし、ひとつ分かることがある。


「……大きな竹があるのかと思っていた……」

「なに?」

「原始の竹というからにはトーキョーのバンブー・ビルより――いや、なんでもない」


 アヅマは、少しがっかりしていた。

 竹林に潜む隠れ里なぞ、どこにでもあるじゃないか――と。

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