人か、竹か。

 獣より素早く、風よりも静かに、しかし、不可解なほど敵意も殺気もなく、林立する中途に断ち切られた竹に紛れるようにして、それはザクリと寄ってきた。

 。ゆえに影を目で追える――が。

 動きは読めない。


「――シィッ!」


 急速に寄ってきた影に対し、アヅマは手の内を返して峰を立てた。瞬間、火花が散り、猛烈な圧力が両手にかかった。倭刀。名無しだ。その目は虚ろで、筋骨隆々とした剥き出しの両腕に異常なほど膨れた血管が浮き立っていた。

 鍔迫――圧されて、足が滑る。力の方向が読めない。

 刃で受けるべきだったかと僅かばかりの後悔を抱きつつ、アヅマは後ろ足の爪先を外に向け、ひたすらに前へと押す。


「――フッ、ゥゥゥゥゥゥ……!」


 柄を握る手が震え、これでもかと体内を駆け巡る血が汗を吹かせる。小刻みに揺れる刀越しに見る名無しは汗どころか息のひとつも乱さない。

 本当に名無しか? と、アヅマの胸のうちに疑念が湧いた。まだまだ未熟で修行の身であるとはいえ、一度ならず二度も立ち会った相手の力量を見誤るはずが――。

 ぐい、と造作もなく押し込まれるに至って、アヅマは疑念を捨て去り躰の赴くままに刃を退いた。柄を返しつつ腰を落とすと、頭上を倭刀が抜けていった。

 アヅマは切っ先を地に落とし、鋭くひとつ息を吐く。


「――ッエェィヤァッ!!」


 大地ごと断ち割らんという切り上げは、しかしすんでで宙を斬る。名無しが退けた半身を軸に旋回、蹴りを放った。アヅマは受ける寸前、両足を僅かに浮かした。根拠があってのことではない。強いて言うなら大きく開いた右脇で受けるからには、と選んだ術だが――間違いではなかった。

 蹴り足が胸にめり込み、勢いそのままにアヅマは竹を拉ぎながらかっ飛ばされた。

 ゆらり、ゆらり、と名無しが左右にたいを揺すった。

 まるで絡繰からくりの人形のように首を振り、


「――ヒッ!」


 虚ろな瞳がメリアを捉えた。

 ポン、と小さく飛んだかと思うと、地に降りた瞬間、疾風さながらに駆け出した。


「こンの――ッ!」


 プティーが流星鎚を振り伸ばし、横薙ぎに払うように名無しへ投げた。名無しは即座に膝を落として竹を盾に躱すと、地を這う蛇が如く接近を続ける。

 ビスキーがメリアとの間に割入り、短筒を向けた。撃鉄を起こし、太い指を引き金にかけ、引ききると同時に名無しが右へと飛んだ。外れた弾が背後の竹を爆ぜ割った。


「――おっ、くンの!」


 撃鉄を起こし、狙い、引き金を。その度に名無しが動く。右に、左に、銃声が轟く度に位置を変え、みるみる内に接近し、

 ガチン、と撃鉄が空打ちした。

 ビスキーの顔から血の気が引き、メリアの口から声なき悲鳴が漏れた。


「オイコラァ! 手前ぇら盾になりやがれッ!」


 フォルナックの手下衆に向けられた怒声は、名無しが踏み切る切っ掛けになった。

 ――迫る、迫る、迫る。

 空中で弾丸のように旋回し、遠心力を思い切り乗せ、名無しが倭刀を振り落とす。刹那。

 全速で駆けてきたアヅマが怪鳥の如き気合を迸らせると、その竹切り庖丁で、名無しの倭刀握る右腕を薙いだ。刃が肌にぶつかり、肉を小削こそぎ、《なにか》の上をゴリゴリと滑りながら抜けた。突進と斬撃の勢いで名無しの躰が吹っ飛ぶが、しかし、崩れることなく地に降りる。

 アヅマは柄を通して感じた不気味な感触に思わず呻いた。鋼のように硬く、革のような靭やさ。手に残る感触は、


「……竹、か?」


 デビル・バンブー。それも細く犇めいた竹稈の束を思わせる。見れば、刀傷の残る名無しの腕には赤い雫の一滴もない。どころか、開いた肉の裂け目の下には深緑の影。

 ハッ、とメリアが目を開いてか細く喉を震わせた。


「寄生種を……植えて……? でも、そんな……自律性が……」


 なおもブツブツと続く呟きをよそに、アヅマはちらと刃筋を見る。かろうじて刃こぼれや捲れはないが、これは技ではなく竹切り庖丁の強さゆえだろう。竹に対して違えた刃筋を見せれば刀は折れる――が。


「メリア。あれは竹か」

「――えっ、あ……は、はい! 多分、そうです! 寄生種のデビル・バンブーを――」

「どう作ったのかはいい。どういう風になっている?」

「どうって――ぜ、全身に、えと、血管に、根を這わせるようにしていて……」

「全身、か」


 みしり、とアヅマは柄を握りしめた。竹を断つのに最も適しているのは繊維の方向に沿って刃を立てること。あるいは断ち切るのであれば垂直に刃を入れる。斜めに刃を入れるのは難しい。まして肉の下に竹があるとくれば脂もあって殊更に。


「メリア、あの躰から竹は抜けるか?」


 問うた瞬間、プティーが吠えた。


「ちょいとアヅマ! 助けようってのかい!? 斬っちまうしかないよ! あんなん!」

「斬らん!」


 鋭い目つきで一喝し、アヅマはメリアに問い直す。


「どうだ。抜けるか?」

「ぬ、抜けるかどうかと、言われれば……で、できるかもしれませんけど……」

「どうする」

「そ、それは、その、寄生種は宿主の肉体を土に見立てて血管を水脈のように捉えて根を伸ばすから……」


 しどろもどろに続く説明を聞きながら、アヅマは右足を前に踏み込み僅かに前のめりになると、切っ先を右後ろに隠すように引いて構えた。

 一見すれば前正面を敵に晒す無謀の構え。

 竹咲舎念流、独特の無構えである。

 気の読めぬ相手に合気は不可能。力点の見えぬ相手に続飯附そくいづけは出来ない。加えて無理に受ければ刀が折れるとなれば、取れる手段はひとつしかない。

 見て、躱し、一太刀を浴びせる。


「メリア。どうすれば竹を抜ける」

「えと、だから、躰の……そうだ。そうです! 躰のどこかに最初に植えた根の集合点があるはずです! そこを切ってから引き抜けば――」


 ゆらり、ゆらり、と名無しが揺れた。

 アヅマは、細く、長く息を吐く。


「それだけ分かれば十分」


 不自然に思えるのは、それまで身につけていなかった胸鎧。正中線を守るのは戦闘の道理とはいえ、鎧ひとつで勝てる気になったとは思い難い。となれば、他に守るあるいは隠したいものがあると見る。根、あるいは芽と言うべきなのか――


「――なんでもいいか。人は斬らんが、竹ならば伐る」


 誰に言うでもなく呟き、アヅマは肩越しにプティーを見やった。


「わーってるって。ちゃーんとやりますよぉ……ったく、お人好しなんだから……」


 片手で流星錘を回しつつ、ククリを握る手をだらりと垂らし、アヅマの背中に身を隠す。二対一だが、竹を相手にとって正々堂々もない。


「人の身であれば褒めたものをな」


 ずい、とアヅマが無構えのまま踏み込んだ。一歩、二歩、三歩。竹を身に宿すだけで唸るような剛力を得られるとは驚嘆に値する。

 しかし、所詮は竹。

 恐るるに足らず。


 また一歩アヅマが踏み込んだ、その瞬間。

 名無しが爆発的な加速を見せた。人であれば間合いに入ったということ。けれど竹に動かされているのなら、たとえばトラップ・バンブーの地下茎を踏んだようなもの。単なる反射だ。


 細く息を吐き、アヅマは斬ってみよとばかりに頭を突き出す。名無しが、より正確に言えばその身を操る竹が、応じて刀を振り下ろす。研ぎ澄まされた倭刀が額を叩き割ろうかいうとき、アヅマは十センチばかり首を引いた。

 名無しの倭刀が風を起こし、アヅマの肌の産毛を撫でた。その刹那、右後ろに隠していた切っ先に僅かな荷重。プティーが乗った。


「――エェィヤァアアアッ!」


 気合一発、アヅマは右切り上げに刀を振るった。その切っ先には器用にもプティーが乗っている。名無しの躰が不自然に折れ、強引に斬撃を躱すと、すかさず倭刀を握る右腕が反撃に転じた――が、その手首に流星錘の赤い紐が絡んだ。

 プティーが斬撃に乗って跳躍し、紐のもう一方を周囲の竹に絡めて水平に旋回、自身の手首に通していた紐を竹稈に引っ掛けた。

 デビル・バンブーを身に宿した名無しといえど、これには右手が動かなかった。大きく開いた正中線。アヅマは返し刀で胸鎧を狙った。


「ヤットゥッ!」


 斬られた鎧がバクンと開いた。刃先が僅かに肌を斬ったようだが、微細な竹が致命傷を防いでいた。名無しが右手の倭刀を持ち替えようと躰を閉じた。


「もらったぁ!」

 その大きな隙を逃すはずもなく、プティーはピンと張りつめた紐を走り、名無しの背中をククリで切った。

 そこに、

 毒々しい赤褐色の、地下茎に似た何か。

 アヅマは目にも留まらぬ速さで上段に構え、


「――エィヤァッ!!」


 人の躰に宿るデビル・バンブーの、その核らしき竹稈を伐った。ぐんと大きくのけぞる名無しの背筋。アヅマは刀を地に突き立てると解いた頭巾を両手に巻き、真っ二つに割れたデビル・バンブーに手をかけた。

 足裏を名無しの腰に押しあて、呼吸をひとつ。

 渾身の力をもって引っこ抜きにかかった。

 名無しの喉から耳を塞ぎたくなるような絶叫が迸った。

 その叫びは、駆けつけたメリアが普通の竹の地下茎を利用した処置を施すまで続き、また、デビル・バンブーがすっかり引き抜けるまでに、名無しの奥歯が二本も砕けた。

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