斬らせず、斬らせず。
フーマ・ニンジャ――元はカザマなる者を頭領とした野盗紛いの集団であったともいわれる。陰に生きたとされるシノビにあって、名が残ることは稀だ。むしろ、その性質からすれば、名が残っていないこと自体が腕を示すとも言える。
「普通、ニンジャは間者のことをいう。が、フーマは違う」
「どう違うんだってんだよ!」
ビスキーの怒り滲む咆哮に、アヅマは首すら向けずに答えた。
「戦闘、暗殺、拉致、そういったことが専門だ」
ビスキーの腕の中で、メリアがひゅっと息を飲んだ。追手の気配はもうそこまで来ていた。逃げ続ければ背を晒す。受けるには足場が悪い。
――が。
「プティー、頭を取れるか?」
「上げてくれりゃ、なんとかするさ」
「心得た」
アヅマは足元の感覚と目に映る竹の陰を頼りに、滑りながら振り向いた。巻き上げられた茶色い笹葉のその奥で、一本の竹を背に片膝を立てる。すかさずプティーが突っ込み、膝、肩と蹴りつけ飛び上がり、掴んだ竹を手繰ってさらに昇る。
規模の大小を問わず、戦術の基本は上から下だ。刃物を用いた白兵戦であれば尚更である。人力をもって上へと向かうのは多大な労力を要する。一方で下りるのは容易い。生まれた労力の差が、そのまま戦時の優位性となるのだ。
「ここで受けるぞ!」
アヅマが叫ぶのと、宙に鈍色が光るのは、ほとんど同時だった。手のひらに収まるくらいの、先が尖った鉄の棒。
眼前に迫るその一本を左の手刀で打ち払い、二本は刀の腹と柄尻で受けた。左右を、止まりそこねたビスキーと、隊長、手下衆が、転げるようにして抜けていく。
ギン! と遥か頭上で鉄が打ち合い、
「アヅマ! 一匹落とした!」
プティーが吠えた。長い竹の天辺近くで、短くもった流星鎚と足で躰を支えている。
日が出たとはいえ決して明るくはなく、また追手のニンジャは浅黒い緑の装束に身を包み、見事に竹林に埋没している。言うなれば
「だよねぇ。竹を渡るんなら、そうならぁね」
方々で数本の竹がしなった。竹から竹へと渡る影。隠しきれない鉤爪が竹を掻く音。こらえきれずに曲がる竹。どれほど巧みに身を隠そうとも、扱う力は到底、隠しきれるものではない。
プティーは竹に絡めた流星鎚を僅かに緩め竹を中心にぐるりと躰を回すと、しなった竹の反動を利用し影のひとつに飛びかかった。
「そこぉ!」
振り抜かれるククリの銀閃、宙にあるニンジャは身を捻り、やっとの思いで刀を抜いた。鉄が打ち合い火花が散った。
上を取っていたプティーはそのまま竹へ、向きを変えられたニンジャは竹の一本に背中からぶち当たり、錐揉み回転をしながら地に落ちていく。
地で待ち構えているのは――
「ぶっ殺してやる」
隊長だった。背負った片手半剣が唸りを上げて、周囲の竹を力任せに切り倒しながら、ニンジャに迫る。
気づいてはいるが、受け身もなしに背中を打たれ、刀を立てるのがやっとの様子だ。その刀も長さは短く刃は薄く、オークスの剣を受くにはあまりに心許ない。
必殺。
隊長の目は血花を確信していた――が。
「――ェェイヤァアッ!」
地を擦り上げるようにして、三日月が如く剣閃が走った。誰ともなく竹切庖丁と呼び始めた刀が、隊長の握る片手半剣の前半分を、空高く切飛ばす。
突然の、裏切りと見ざるをえないアヅマの技に、隊長が歯を軋ませながら刃を止めた。
ニンジャが地に着き、不可解な状況に動揺しながら忍刀を持ち替え、どちらを狙うか目を走らせた。
仲間の剣を断った動きのままに、明後日の方向に正眼で構えるアヅマ。牙を剥き出し、刃を小手先で返すオークス。その男の目はアヅマを見ている。
仲間割れに乗じれば、あるいは。
瞬時にそう判断し、ニンジャはアヅマへ切っ先を向ける。
しかし、アヅマは両者の動きを読み切り、一声吠えた。
それは怪鳥の鳴き声だと言われれば、誰しもが納得したに違いない。鼓膜を突き抜け脳を揺さぶり、さらには足元の笹葉までも散らす気合だ。
隊長も、ニンジャも、身を竦ませた。
アヅマは跳ねるようにして振り向きニンジャに刀を振り下ろす。刀の峰は左の鎖骨を打ち砕いた。間をおかず蹴りをくれ、反動で振り向き、次は隊長へと踏み込んでいく。
彼は自分が獲物になったと錯覚し、断ち切られた剣を取り落した。
長い刀の切っ先を前に突き出し、左の脇を大きく開くように構える奇妙な上段。その姿勢のまま突き進み、
「――ひっ」
怯んだ隊長が腰を落としたその瞬間、アヅマは峰を向けるようにして右薙に刀を払った。ボグリ、と峰は落ちてきたニンジャの脇腹にめり込んだ。
そのまま振り抜くようにして叩き飛ばし、隊長の後ろ襟を掴んで力任せに引き立たせる。
「――斬るな。できんのなら、せめてビスキーとメリアの傍で盾になれ」
言って、また別の影と打ち合う手下衆のひとりを援護に向かう。厄介だった。
斬らせず、また斬らせず。
撃たせず、また撃たせず。
プティーも上で頑張ってくれてはいるが、数が多すぎた。
続ければいずれ破綻をきたす。どちらかに死人が出る。敵陣中に死人を出せば、あとはずるずると殺戮に呑まれる。
だが、止めようにも言うことを聞くような輩でもない。
「――エェィッ!」
苛立ちがアヅマの口をついて出た――そのとき。
ビスキーの躰の下で、メリアが叫んだ。
「アヅマさん! 竹を! 竹を伐ってください!」
「あぁ!? 突然なんだってんだ!」
ビスキーが短筒を宙に撃ちながら問い返す。弾は影を掠めて竹を割った。砕けて散った木っ端に、アヅマは彼女の意図を察した。
「プティー! 竹だ! 足場を伐るぞ!」
先手は不得手。殺人は己の道に非ず。
しかし、竹を伐るのは、竹切り屋の本分である。
声を聞きつけたプティーは舌先で唇を湿らせ、目を光らせる。縦横無尽に走る忍びの影に、拍子で揺れる無数の竹。陰をつくる笹葉。
「――簡単に言ってくれんねぇ」
呟き、大きく反動をつけて飛んだ。次の竹へと移る間際にククリを振った。打たれた竹が葉擦れの音を立てながら落ちていく。渡り、打ち、渡り、打ち、ときに火花を散らして錘を投げ、また次の竹を打つ。
次第に陽の光が通るようになり、また、高く伸びていた竹の一本が、音を立てて倒れ始めた。下で、アヅマが竹を伐っていた。
倒れた竹が足元に陰をつくり、シュリケンを防ぐ屋根となり、さらにニンジャの足を奪う。開けた視界が長筒の射線を生み、彼らの移動を制限する。
だがプティーはといえば、
「ハハハッ! こいつぁいいね!」
まだ先を伐っただけの竹の断面に靴底を着き、ほとんど地表を走るのと同じように、竹の上を駆けていた。ニンジャの竹渡りとはまるで異なるその技術は、長年のデビル・バンブーとの格闘により生み出された、いわば竹切り屋のみが持つ技となっていた。
一本また一本と一心不乱に竹を打ち、いつしか音が地に伏す影どもの呻きだけになったとき、辺りはすっかり明るく、中途に伐られた竹ばかりとなっていた。
ザンッとプティーが地に降り、肘、腕、踵と紐を回して加速をつけて流星鎚を横振りに放った。大きく伸ばされた赤い紐は乱立する竹に絡まり向きを変え、退こうとしていた最後のニンジャの背を打ち、彼の倒れる音をもって、襲撃がはたと止まった。
「……とりあえず、俺らの勝ちか?」
隊長が上に覆いかぶさっていた竹を退けながら立ち上がった。
「あーあー、言っちまった。ばっかだねぇ」
プティーが嘲るように笑いつつ、器用に紐を操り、流星鎚を手元に戻した。
「喧嘩すんなら残心ってのを大事にしにゃあ。見なよウチの相棒を。大したもんだよ」
顎下の汗を拭いつつ、酷使で赤く色づいた指先で示した先では、
下段に構えたアヅマが、細く、長く息をついていた。
頭に巻いた青い頭巾は汗で濡れ、散った笹葉が服に絡んでいた。今にも切れそうな息を無心で押さえ、遠い竹林を睨んでいる。
「……名無しが来たな」
「名無し? さん?」
背中で聞いたメリアの声に、アヅマは柄を握り直すことで答えた。
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