乱戦
長い夜が明けると、護衛がひとり減っていた。昨晩遅く、竹林に響いた足音は彼のものだろう。矢傷を負ったのはひとりで済んだ。幸い命に関わるような傷ではなかった。脅しの一矢が偶然に当たったとみえた――が、
「……こいつにまたひとり付けようってか? 聞けるか、そんな話」
「歩けはしても剣は振れんぞ。連中に囚われたらどうする」
「どうもしない。人質になる方が悪いんだよ。間抜けめ」
隊長は無慈悲に手下の男を見下ろし、顔を背けて唾を吐いた。
アヅマは男の矢傷に触れ、静かに言う。
「連れていけば足手まといだ」
傷がなくてもそうだが、と内心に思いつつ忠告する。
「生きのびることだけを考えろ。まだ目的の地は遠い。連中も命を取ろうとまではしないはずだ。あるいは運が良ければそのまま帰れる。その後は知らんが」
護衛の男は顔を青くしたが、他にどうしようもない。バンブーズ・ライツの兵はこちらを追い払う気なのか、時間をかせぐ気なのか、積極的にしかけてはきていない。
アヅマは周囲を見回し、他の手下衆にも告げる。
「帰るなら今のうちだ。ここはトーキョーからも遠い。道さえ違わねば――」
「――そのへんにしとけよ、バンブーズ」
隊長が遮るように言った。
「数を減らそうったってそうはいかねぇ。見え見えなんだよ」
しばし視線が交錯し、剣呑な気配が漂った。
「――やろうと思えばもっと早くやってたよ。なんなら、夜のうちにでもね」
プティーの軽口に気が晴れる。
「進みましょう。あとどのくらいの時間が残されいているのか見当もつきません」
メリアの、クマの残る目を擦りながらの一言に、隊長は長筒を手に背を向けた。すぐにアヅマも腰を上げ、朝靄の残る竹林を進んだ。
どうしたことか靄は坂を下るにつれて深まり、足音が余分に聞こえた。
重く、肌に張り付くような空気。笹葉の擦れる音に混じり、風もないのに竹が軋んだ。
刹那、アヅマは鯉口を切ると同時に鞘を立て、逆手でもって刀を抜いた。柄尻近くに刺さる吹き矢の針。通常、吹き矢は直線的に飛ぶ。すなわち――
「散れ!」
叫ぶなりアヅマは針を吹かれた方へ駆け出す。後手必勝を旨とするのが竹咲捨念流だが状況がそれを許さない。時間をかければ手下衆に危険が及ぶ公算が高まり、また苛立ちを募らせた手下衆がバンブーズ・ライツの殺める危険も増える。
地の利は向こうにあるが、
「致し方なし」
呟くと同時に靄の中に人影を認め、アヅマはその三歩先を狙って刀を抜き撃つ。刃が一本の竹稈を断つと身を翻し、人影めがけて蹴った。落下の方向を変えた竹が地に刺さり、悲鳴とともに影が止まる。好機。
アヅマは手の内で刃を返し、
「エイヤァッ!」
渾身の力で刀の峰を振り下ろした。峰は靄に紛れていた男の左の肩口をとらえ、鎖骨を砕いた。絶叫とともに膝が落ちる。アヅマは即座に男の胸に蹴りをくれて振り向く。目前に迫る風切り音。しゃがんて躱し一歩踏み込み、足を高くあげる二歩目で加速を終えた。
突きは間一髪、懐の短刀に止められ、火花が散った。
アヅマは、それを待っていた。
刀が触れれば飯付は容易。相手の力を絡めて押し込み、地に押し倒した。
おなじとき、当然ながらプティーもまた追手に対していた。
靄に駆け出す相棒に舌打ちをこらえ、右手でククリを抜き放つ。左に垂らした流星錘に回転を加えながら、気配を探った。右か、左か、あるいは――
「後ろかい!」
プティーは遠心力を使って背後に流星錘を走らせた。錘はまっすぐ靄に突っ込み、潜んでいた追手に悲鳴を上げあせた。すかさず、近場にいた手下衆のひとりが長筒を向ける。
「やめなっての!」
慌ててプティーは紐を引き、手下衆の長筒に錘をぶつけた。はずみに銃口は空を向き、号砲を響かせた。
「なにをしやが――!」
手下衆が言い切るより早く、プティーは紐を引きつつ跳ね跳んだ。宙を駆けるその靴底は、男の顔に真っ直ぐ向かった。
くぐもった悲鳴を足場に上へと昇り、竹を掴んだ。足を稈に絡ませ固定し、上から追手の姿を探す。雷のような銃声がひとつ。隊長の握る長筒が火を吹いていた。弾を再装填する時間がないと見たのか、彼は銃を足元に捨て背負っていた片手半剣に持ち替えた。
――今のうち、かねぇ?
プティーは唇の端を吊り、投げ捨てられた長筒めがけて流星錘を投げつけた。
「ああくそ! なんだってんだ! 最悪だ!」
いつ来るか、いつ来るかと、内心、冷や汗をかいていたが、いざ乱戦が始まると、ビスキーの躰は自然と動いた。
「なに!? なんです!? ビスキーさ――ブッ!」
――といっても、その大柄なら体躯を生かして両腕のなかにメリアを収め、地に伏せただけだったが。何度も脳内で
拳銃を握ってみてはいるが、狙いをつけずに当たる気はしない。下手に撃てば味方を気づけかねない。腕力はそれなりでも技術の方は素人。そこに敵と味方の力量もくわて勘定すると、下手に動くのが最も危険に思えた。
特に、追手よりもフォルナックの手下衆。連中はバカで、素人だ。腕っぷしは十分だという彼ら自身の驕りすらも恐ろしい。今も隊長を名乗るバカがバカデカい剣をバカみたいに振り回している。
「あ、あの――苦し――!」
ビスキーの躰の下で、メリアが苦悶の声をあげた。だが彼は動かない。自分の命が大事だった。この場を生き残るだけならひとり走って逃げればいいが、それをすれば後々ジャック・王に殺される。間違いなく、何処へ逃げても追い詰められる。
ただ黙って守るべきものを守り、アヅマとプティーという貴重な信頼できる戦力に戦を任せ、自らの不運を心中で嘆くしかなかった。
新たにひとりを叩き伏せ、アヅマは背後に目を向ける。靄を走る赤い紐。プティーが竹から竹へと飛び渡り、密かに流星錘を投げ長筒を壊して回っていた。赤いポンチョも相まって、その姿はさながら飛燕。ついには邪魔な手下衆を狙いを定める――が。
やりすぎだ!
アヅマは咄嗟に声をあげる。
「プティー! ビスキー! 着いてこい!」
プティーに限ってとは思うが、弘法も筆の誤りという。万一、加減を違えて頭頂でも叩けば一撃で死んでしまう。追手の数は。手下衆の残りは。現況をたしかめ、また余分を振り切るためにも、動くのが良いと思われた。
刀を抜き身のまま肩に担ぎ、アヅマは坂の下へと躰を向ける。プティーが不承不承に足を竹に絡めて滑り降り、ビスキーがメリアを抱えたまま立ち上がった。
駆け出す。首だけを振り向けると、隊長と、ふたりの手下衆がついてきていた。
そして、追手。
「アヅマ! 面倒なのがついてきたよ!」
プティーがアヅマの横に並びかけた。
「竹から竹に飛んできてる! 早いよ!」
「飛んできてるってのはなんだコラァ!」
ビスキーと隊長の怒声が重なる。
さっきプティーがしてみせただろうにと、アヅマは思わずため息をこらえた。念を捨てきれていない。良くない兆候だった。
アヅマは足の回転をそのままに、声を鎮めて言った。
「竹渡りか」
「た、竹渡り!? 竹渡りってなんです!?」
メリアがガクガクと揺さぶられながら叫ぶように尋ねた。
プティーの唇がニマリと歪んだ。
「さっきやってみせたろ? ちょいと変わった歩き方だよ。――あたしよりずっと上手いっぽいけど」
「プティーさんより!?」
「そう、あたしより」
プティーは舌先で唇を湿らせ、愉しげに言った。
「ニンジャだね。間違いない」
はた、と皆が口を噤んだ。ガサガサと激しい足音だけが響く――いや、竹が軋み、葉の擦れる音が、段々と後方に迫ってきていた。
「ニンジャ!? ニンジャってのはなんだよクソがぁ!」
ビスキーが怒号とも泣き声ともつかぬ声で言った。
はるか昔のこと、オダワラにはホウジョーなる王がおり、金時伝説で知られるアシガラ・マウンテンの奥には彼の王に仕えたニンジャたちが暮らす、
イガ、コウガの有名に隠れて名こそ一段、知られていないが、荒事に長けたその者たちの名は、
「
一拍の間を置き、ビスキーと隊長が声を揃えた。
「分かるように言え!」
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