夜襲

 野太い悲鳴が笹葉を揺らし、メリメリと軋みながら一本の竹が倒れ、取り落した長筒や片手半剣とともに坂の下へと滑り落ちていった。

 右翼に回っていた手下衆のひとりが足首を懸命に握りしめ、うずくまっていた。靴が奇妙に膨らみ、やがて赤い湿りを帯びる。


「……だーからしんどくても竹に手ぇつくなって言ったんだ。バカだねぇ」


 プティーがしみじみと呟いた辛辣な一言に、男は獣のような悪態で答えた。死ねだのボケだの喚き散らすがしかし動けそうにない。

 アヅマは首だけ向けると、男の傍にいる手下衆に声をかけた。


「まず刺さっている竹を根本から伐れ。次に膝の裏を紐できつく縛り引き抜く。順番を間違えると死にかねんぞ」

「あぁ? なんで俺が間抜けの面倒を見なきゃいけねぇ」


 予想通り、露骨に嫌そうな顔を見せた。


「自分ではできない。誰かが支えてやらねば抜いた拍子に転げ落ちるぞ。仲間が死んでもいいのか?」


 隊長に目を向けると、渋々ながら手を貸してやれとばかりに顎を振った。

 悲鳴。無駄な停滞。だが、それだけでもなかった。

 足を穿った竹を伐った瞬間、蹲っていた男は後ろに転びかけ、縋る手がもうひとりの手首を掴んだ。ふたり揃ってあわやというとき、プティーの流星錘が唸りをあげた。

 上方から振り下ろされた錘が手下衆の顔をかすめて右脇の下を抜け、加速しながら絡み、背を打った。ピンと伸びる赤い紐。男ふたりの重さにプティーの躰が傾いた。アヅマは咄嗟に鞘ごと刀を引き抜き、彼女の躰を支えた。

 苦悶に満ちたうめきは無論、背中を打たれた男のもの……と、首に絡んだ紐のせいか。


「……転げ落ちるから気ぃつけろって、言われたばっかだろぉ?」


 その声は苛立ちに震え、笑みは糸で引いたようだった。

 間抜けふたりを引き上げ、急場しのぎの手当が終わるのを待ち、アヅマは言った。


「そのふたり、護衛をつけて帰らせてやれ」

「――あぁ?」


 隊長が首を突き出した。バンブーズに命令されるのが気に食わないのだろう。


「来た道を引き返すだけなら手負いでもできるだろう。ひとりはロクに歩けないし、長筒も剣も拾いに行くのは難しい。護衛がいるのは道理だろう」

「……山ン中歩くだけで、なんで護衛がいる」


 そう問われるだろうと、アヅマは坂上に生える細い竹を指差した。太さからするにまだ若いはずだが、引き千切られたような奇妙な折れ方をし、薄茶色に枯れかかっている。


「わかるか? 竹熊パンダだ」

「……あ?」


 カクンと肩を下げた隊長に、メリアが苦笑交じりに補足する。


「竹を食べる熊さんです」

「……はい?」


 かろうじて体裁を保つ隊長に、今度はビスキーが畳み掛けた。


「だから、熊だよ。白黒の。見たことねぇか? バンブーヒルにはちらほらいたぞ。ジャックさんも趣味で飼ってた」

「……熊をかよ」

「ああ。ツキノワグマよりでけぇし、見た目の割にクソ怖ぇ。熊だからな」

「……ヤバいのか?」


 隊長は誰よりも早くアヅマに尋ねた。


「……縄張りはそう広くない。ただ、熊は熊だ。長筒で仕留めるなら目か首――あるいは肛門を狙うといい。他は無駄だ。矢弾は抜けるかわからん。試したこともない」

「他にも獣はいんのか」

「当たり前だ。虎、狼、野犬……だから早く足場の平らないただきに行こうと言っている」

「火ぃ焚いときゃ虎以外は大丈夫さ。ただ、山ン中じゃ目立つから――」


 プティーが継いだ脅しに、隊長はうつむきがちに首を振った。


「今度は追手が来るってか? どうしろって?」

「血の匂いがする奴は麓に降ろす。火を起こすなら覆いをかける。それしかない」

「……おい」


 隊長が顔を向けると、手下衆のひとりがやけに素早く進み出た。


「俺が送ります。下に着いたらそのまま報告を」

「……俺が生きて帰ったら手前ェは腰抜けとして知れ渡る」


 ぶるっと男が身を震わせた。

 すかさずアヅマは付け加えた。


「案ずるな。死人に口なしと言う」

「――手前ェ……バンブーズ……ッ!」


 歯噛みする隊長を、プティーがこれでもかと冷笑した。


「よしなよ。あたしらがその気になりゃあ、あんたら明日にゃ崖の下だよ?」


 労せずして隊から三人が外れ、残る手下衆は九人となった。

 そうして、ぜこぜこと息をつきながら道なき道を昇ること数時間、一行はようやく息を付ける場所に出た。

 相変わらずの竹林だが坂はなく、遠く仄かに硫黄の匂いが漂う。

 山頂だ。

 はるか昔には温泉宿が乱立していたとも聞く。だが、今はその陰もなく、


「あたしの言うとおりに竹を伐りな。したらサクっと割いて屋根にする。いいかい?」


 自ら宿を作るしかない。若く太く近くにある竹を三本選んで背の高さ程度に伐り、それを骨に屋根を作る。プティーやアヅマには造作もなく、また竹を扱い慣れているメリアにとっても存外難しい作業ではなかった。

 落とした竹を細く裂き、竹紐で雑に繋いで屋根とし三柱の上に載せ立てかける。それだけで簡易的な寝床ができる。後は屋根の下で火を焚けば上々。屋根は雨を防ぐためではなく、暗がりから矢から見を守り火の明かりを隠すため。手下衆は皆、慣れない手付きで懸命に取り組んだ。


 それぞれが火を起こした終えたとき、日はすでにとっぷりと暮れていた。

 火に焚べられた竹の爆ぜる音を肴に、アヅマは昼に拵えた鯛を混ぜた握り飯を頬張っていた。その傍で、いつものように余分に伐った竹を細く裂き、プティーが編んでいる。浅い平笠のようにも思えるが、顎紐のつくりがやけに丁寧で、さらには笹葉の下の土を塗って焚き火に当て、強度まで出そうとしている。となれば用途は――、


 やはり来るか、とアヅマは目配せだけで会話する。

 来ないはずがないやね、そう視線のみで訴えながら、プティーは黙々と手を動かす。いつもなら吹かす竹煙管はなし。酒もなし。ひとつ終わればまたひとつ。隊長とともに別の竹笠の下にいるメリアとビスキーの分も拵える気らしい。

 隊長はオークスながらあれで勘の良いところがあるゆえに、そう心配もいらないように思えるが――、

 サクリ、と聞こえたごく微かな葉擦れの音に、アヅマは小声で誰何した。


「誰だ?」

「――えと……私です。その……メリアです……」

「……夜闇に身を晒すな。早く入れ」

「……はっ、はいっ!」


 メリアは青竹の傘に隙間を作り、這うようにして入った。プティーが口の端を奇妙な形に折り曲げ、その頭に作ったばかりの傘を乗せる。


「――へ? えっ?」

「護身用。なにが落ちてくるのかわかんないだろ? どんな用だい?」

「え、えと……その……ちょっと、居づらくて……」

「居づらい、とは?」


 アヅマは指に張り付いた米粒をみつつ尋ねた。


「なんというか……護衛の方の目がちょっと……怖くて」

「怖いぃ? なんだい、睨まれてんのかい?」

「と、言いますか……なんだかずっとピリピリしているというか……」

「そりゃそうだろうさ。むしろメリアはよく平気だね」

「あ、私、暗いところは得意で――」

「そういう話をしてるんじゃないんだけどね……」


 唇だけで苦笑するプティーを横目に、アヅマは耳を澄ました。緩い風。揺れる笹葉。日に焚べられて爆ぜる竹の音。夜の山は慣れないからといって、なぜ護衛対象を睨み、気に入らないはずのバンブーズのところに寄越すのか――

 アヅマの思索を遮るように、キリキリとはりの張り詰める音が聞こえた。


「伏せろ!」


 吠えるや否や足で焚き火を払い、メリアの躰を抱え込むようにして青竹の壁に背を向ける。プティーが伏せ、同じく手下がバタつく音がし、青竹の壁を一本のが穿った。

 青竹のテントのひとつから手下衆の悲鳴があがり、なおも箭が降り注ぐ。

 その一本を引き抜き一瞥し、プティーが笑んだ。


「見なよアヅマ。ヤダケだ。こいつは上物だよ」

「い、言ってる場合ですか!?」


 メリアの金を切るような声をかき消し、長筒の銃声が響き渡った。

 ――だが。

 乱立する竹に阻まれ、箭の出どころには届かない。弾を込めなおし、闇に身を翻し、わけもわからぬままに引き金を引く。その間も、夜闇と竹林の陰に潜む射手は恐れのひとつも見せずに射ってきた。

 アヅマが重い息をつくのと同時に、プティーが吠えた。


「ちったぁ頭を使いなね! 撃つだけ無駄だよバーカ!」


 横の青竹を蹴り飛ばし、ビスキーと隊長のいるテントに呼びかけた。


「おい! ビスキー! これ被っときな!」


 言うなり、丸い竹笠を青竹テントの隙間に投げ入れた。小さな悲鳴があがり、いくぶんか小さな銃声があった。

 アヅマは薪にしていた竹の一節を拾い上げ目配せをした。プティーが小さく頷くのと同時に滑り出て、箭の飛んできた方へと投げた。火の粉を散らしながら竹が飛ぶ。瞬間、瞬間、幾本もの竹が移り、やがてぶつかり、地に落ちた。


「な、なにするんですか!? 山火事になりますよ!?」


 メリアがアヅマの躰の下で叫んだ。


「なったらなったで急がないとねぇ」


 まるで他人事のように言い、プティーも薪を拾って投げ込んだ。

 点、点、と明らかになっていく道筋。いくら曲射を仕掛けようとも限界はある。箭の通りうる空間が伏兵の居場所を示す。

 アヅマはぐっと闇に目を凝らした。月明かりと落ちた火の明かりを返す僅かな光。夜風に乗った箭の一本が左方から竹を避けるように飛来した。

 抜刀。

 長大な『竹切り庖丁』を瞬目よりも早く抜き打ち、箭を払った。


「俺の刀の先を狙え!」


 言って、アヅマは切っ先で闇を捉えた。その先で、微かな動揺が走った。

 的がわかれば慣れたもの。

 銃声――銃声――銃声――。

 どのみち当たりはしないだろうが、それでよかった。

 アヅマは刀を肩に担ぎ、プティーがククリを握る手を垂らす。見れば、隊長も片手半剣を手にしていた。


「考えるこたぁ同じだね」


 声を低くした呟きに、アヅマは淡々と応じる。


らせるわけにはいかん」

「心得た、とか言ったほうがいいかい?」

「……いや」


 アヅマは小石をつまみ、隊長の足元に投じた。顔がこちらを向いた瞬間、

 待て。

 と、唇だけを動かした。箭の雨は止んでいた。耳に入るは手下衆の呻きだけ。

 退いたのだろう。


「……賢いな」

「ほんとにねぇ……」


 いつ襲ってくるのかわからない。囲まれている。それも近くにいる。苦悶の声をあげる怪我人も出た。眠れるものなら寝てみろと、疲弊した頭で朝を歩けと、そう言われているようだった。

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