警告

 不夜城らしからぬ静けさの中、アヅマは瞼を持ち上げた。

 微かな寝息がベッドにふたつ。廊下、隣室、階下に動きなし。

 寝入ってしまったか、と自らの不覚を恥じつつ背筋を伸ばす。右肩、腰、両足が小さく軋んだ。船の上にソファーの上にと、寝床が悪かった。


「…………」


 屋外に気配が三つ。アヅマは音を殺してベッドの傍に立った。

 プティーはメリアを抱き竦めるようにして眠っていた。いつ潜り込んだのか、一晩中そうだったのかはわからない。だが、抱きつかれた当人の寝顔は苦悶に歪んでいた。

 アヅマは息を潜め、赤毛の襟足を指でなぞった。

 ぞぞぞ、とプティーが伸び上がるようにして目を開けた。


「……もうちょっとこう、起こし方ってのがあるだろ? 危うく叫ぶトコだよ」


 プティーは頬を赤らめ、うなじを擦った。


「すまない。どう起こせばいいのか分からなかった」

「……揺するとか声をかけるとか色々あるじゃないのさ」

「客が来てる」


 その一言で、プティーの目が鋭くなった。


「ビスキーは?」

「戻ってない。どこの部屋かは知らん」

「……あたしも行くかい?」

「いや。なにか様子がおかしい。メリアとビスキーを頼む」

「あいよ。気ぃつけなよ」

「うん。プティーも」


 アヅマは刀を腰に差し、慎重に廊下へ出た。まったくの無音。昨夜の内に宿中で焚かれた香のせいで鼻も利きそうにない。もっともすでに血が流れたあとなら、自分たちが無傷でいるはずもないのだが。

 階下の酒場では酔客と店の男女が高鼾をかいていた。卓や晒し場カウンターに残る飲食の跡が昨晩遅くまで続いたであろう宴を思わせた。

 カブキチョーにあっては人の気配ひとつでいちいち起きていられないのだろうが、追われている人間を匿うにしては暢気なものだ。

 あるいは、それだけの自信があるということか――

 出っ張った腹をぼりぼりと掻く店主の寝姿に、アヅマは口を真一文字に結んだままかぶりを振った。

 気を捨て、念を捨て、呼吸を鎮め、

 アヅマはそっと戸を開く。

 青白い朝日に晒されて、三人、横並びに立っていた。左右のふたりは街に馴染んではいるがしかし派手派手しい出で立ちで、腰帯に匕首と拳銃を差している。

 一方で、中央の、倭刀を下げるオークスには見覚えがあった。


「……一度会ったな」


 問うと、横ふたりが拳銃に手をかけた。オークスの男は手を広げて制し、倭刀の柄尻に手を載せた。応じて、アヅマも鍔に親指をかけ鯉口を切る。


「――待てタケザキの。ここでやりあう気はない」

「応じたまでだ。手を下げれば刀を納める。抜けば――」

「斬るか?」

「人は斬らん。その倭刀と、横のふたりの短筒と、匕首を切る」


 じり、と手下ふたりが身じろいだ。

 男はちらりと左右に視線を走らせ、柄尻から手を離した。


「ただの癖だ。許せ」

「許すもなにもない。応じるだけだ」


 アヅマは静かに鯉口を納めた。先に抜かれたとしても問題なく合わせられる。すでに一度刃を交え、力量の見当はついていた。


「……我々は話をしに来ただけだ。お前なら気づいて出てくるだろうと思っていた」

「話か……なにを話す」

「手を引け、と」

「順序が逆だろう。汽車では死ぬところだった。それにメリアの話では――」

「だからこそ言っている。お前も、あの女も、まだ死にたくはないはずだ」


 こちらの話を聞く気はないのだろう。

 ならば、応じるまで――


「まず名を名乗れ。お前は名も名乗らずに消えた」

「……名はない。好きに呼べ」

「名無しか。雇い主は誰だ?」

「雇われているわけじゃない」

「では信仰か」


 問うと、名無しは沈黙を保った。答えたようなものだ。


「分からんな。なぜバンブーズ・ライツが彼女のやろうとしていることを止める?」

「オークスが聖域に立ち入るなどあってはならない」

「名無し。お前はオークスじゃないのか?」

「違う。我々は竹の子だ」

「……竹の子か」


 アヅマは思わず頬を緩めた。だが、すぐに表情を改め問い直す。


「彼女は世界を守ろうとしているだけだ。そのために聖域とやらに立ち入る必要がある。それに――お前たちの言う聖域にとっても危機が迫っている」


 竹の花が開き、ほどなく竹が枯れるなら、原始の竹とやらもただではすむまいに。名無しの口振りからするに、竹の開花については知らされていないのだろう。

 いっそ伝えてみるのも手かとアヅマは口を開いた――が、名無しが先に言った。


「なにを吹き込まれたのか知らんが、なぜあの女を信用する」

「――メリアの話が真実なら世界が変わる。俺は世界がどう変わろうと知ったことではないが、人の命を救えるのなら相手が誰であろうと手を貸すまでだ」

「相手がオークスでもか」

「オークスも人だ。少なくとも話をする前に腕力に頼るような輩よりは信用できる」

「……では、手を引く気はないと」

「ない。――というより、なにを恐れている。なぜ俺たちを止めようとする」


 街は奇妙な静寂に満ちていた。通りの端に立つ店から疲れ切った男が顔を出し、足をもつれさせて転んだ。ポケットからこぼれ落ちた小銭が乾いた音を立てた。

 名無しは一度たりともアヅマから目を離さなかった。


「竹の光のために」

「……そう思うのなら、俺たちを止めないほうがいい」

「竹の光のために」


 もう一度祈るように言い、名無しは倭刀の柄尻に手を置いた。


「必要とあらば我々は誰でも斬る。聖域に立ち入れば後悔することになるぞ」

「後悔など」


 アヅマは鯉口を切った。


「この刀を継ぐ前に済ませた」

「……竹咲捨念流、だったか」


 名無しが逆手で柄を握った。抜く。刹那。アヅマは左半身で踏み込み、鞘を握りしめたまま腕を伸ばして、柄尻を鼻先に突きつける――

 はずだった。

 そうなるのを悟ったのだろう。俄に額に汗を浮かし、名無しは柄を手放した。


「……警告はした」

「言ったろう。人は斬らん」


 アズマは涼しげに言った。

 名無しはキリリと歯を軋ませ、手下とともに背を向けた。

 叩いておくべきだっただろうか。

 いくらか縮こまったように見える背中が通りの角に消えていくのを待ち、アヅマは鯉口を納めて店に戻った。

 すぐ外で立ち合う寸前であったなど露知らず、店主は変わらぬ鼾をかいていた。

 部屋の戸を開くと、プティーはすでに身支度を終え、抜き身のククリを持っていた。その小さな背の後ろで、着替えを済ませたメリアが顔を強張らせている。


「――で? どなたさんだったんだい?」

「……トンネルで会った連中だった。聖域に立ち入るな、手を引けと、警告だそうだ」

「け、警告!?」


 メリアが硬い顔をさらに青くする。

 なにを恐れているのかと、アヅマは平然と答えた。


「安い脅しだ。少し脅かしたら冷や汗をかいて逃げていった」

「逃げてったぁ? なんだいそりゃ。拍子抜けもいいトコだよ」


 プティーがカクンと肩を落とした。


「こっちは今度こそこいつククリで頭を引っ叩いてやろうと思ってたのに」

「……やめておけ。それで叩いたら頭が割れるぞ」

「なに言ってんだい。峰に決まってんだろ?」

「やめろ。峰でも割れる」


 ふたりのマジメなのか不マジメなのか分からぬやりとりに、メリアは複雑な色の笑みを浮かべた。


「あ、あの……おふたりとも……?」


 その後、どう言葉を続けようとしたのか。廊下に足音が響き、目にも留まらぬ早さでプティーがその口を塞いだ。

 アヅマは身を翻し、扉を前に腰を僅かに落とす――と。


「おいこら、起きてっかー?」


 ビスキーが乱暴に扉を開いた。半裸だった。異変を察知し、立ち竦んだ。


「……な、なんだ? なんか……あった……か……?」


 メリアの、矢のような視線がビスキーを射抜いた。

 アヅマは姿勢を正しながら、静かに尋ねた。


「……お前、正気か?」

「……な、なにがだよ……?」


 喉を鳴らすビスキー。

 ぷっ、と小さくプティーが吹き出し、これでもかと笑い転げた。

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