カブキチョー
空に月が浮かぶ頃、一転、下へ下へと向かって地に足を着けると、息が詰まるような賑々しさが待っていた。
無数に光る提灯、張り出し看板。店の通りに面した飾り窓では竹格子の内側で半裸の男女が客を誘い、焚き火に集る蛾のように若き男女がかぶりついている。むせ返るほど焚かれた香でも隠せぬ腥さ。下卑た顔を隠そうともしない人々。目に余る酔客はゴミ溜めに捨てられ、
「……な、なんですか、あの……」
メリアが若干怯んだ様子で言った。
プティーは今にも吹き出しそうになりながら首を向ける。
「変な格好の人たち?」
問に、メリアがぶんぶん首を振った。
プティーは扇のように手を翻し、妙な節をつけて歌うように言った。
「ヤクザ、痴れ者、婆娑羅に傾奇――」
「な、なんです? それ……」
「意味は同じですよ。いつくたばろうが誰も気にしない馬鹿どもです」
ビスキーが吐き捨てるように言った。
「イキんなよ。あんただってそのひとりじゃないのさ」
「うるせぇ。こんなとこ来てどうしようってんだ? ホントにツテあんだろうな?」
「そりゃあるさ。バンブー・ヒルの前はここで働いてたんだ」
初耳だった。ぎょっとするビスキーやメリアの陰に隠れて、アヅマも相棒の懐かしそうな横顔をちらと見る。
そうくるだろうと思ってた、とプティーは竹煙管を咥え込む。
「飾り窓のなかじゃあないよ。用心棒さ。も少し南にシンジュク・ギョエンってデカい御庭があんのさ。そこでやっぱり竹なんかを伐ってた。ま、植物園とかってんで、オークス様お好みの木も植えられちゃいたけど」
花街としてならヨシワラの方が名高いが、人種も階級も意味を成さないという点でカブキチョーを選んだ。バンブーズ特有の、なかでもプティーの血縁すなわちグルング特有の、遠かろうが近かろうが家族は家族とみなす目を頼り身を寄せた。
「飲み屋と売春宿をやってね。あたしは下宿の用心棒」
「今でも乳臭ぇのにもっとだろ? 仕事になったのかよ」
ビスキーの挑発めいた言葉も、プティーは軽々と受け流す。
「バンブーズのチビなメスガキにやられたなんて人に言えるかい?」
「……笑いものになるだけだな。キレて店に仕掛けりゃ大事だ。ガキの頃からその調子でスレてたのかよ。たまんねぇな」
「たまんないのが世の中なのよ~♪ ――って」
歌うような口振りで言い、プティーは肩越しに背後を一瞥した。
「……アヅマ」
「うん。ついてきている」
雑踏に紛れて一定の距離を保つ、提灯にも看板にも顔を向けない気配が四つ。九郎と臭いのが三人と素人がひとり。
「トーシロさんは
「私ですか?」
ありえない、といった顔をしていた。
「なに驚いてんのさ。そこらの飾り窓を見てりゃ分かんだろ? オークスの女ってのが一番稼げるのさ。バンブーズにもオークスにも大人気。ま、下の下にゃ違いないけど、中にゃそういう趣味でやってんのだっているし、上手くすりゃあっという間に天辺の情婦に収まれる。追っかけ回す女衒屋だって必死だよ」
呆れを通り越して感心したように頷きを繰り返すメリア。
アヅマは懐から青い頭巾と、列車で失敬した光る竹を抜き出す。
「どこの手の者か分からない。散らしてくる」
「あいよ。店の名前は『チャンドニ』。月明かりって意味だ。前に手紙をやりとりしたからまだあるはずだよ。分かんなかったら案内所に行って聞いて」
「心得た。同じ名前の店があったら困る。これを」
アヅマは光る竹片をプティーに手渡し、音もなく雑踏に消えた。
煙管を一服、竹辺を手の内でくるくると遊ばせる。
わっ、と悲鳴混じりの歓声が通りを走った。反射的にメリアが首を向けようとするも、すぐにプティーが彼女の手を取る。
「大丈夫。アヅマなら上手くやってくれるさ」
「……本当に大丈夫なのかよ?」
ビスキーが言うや否や、耳障りな怒号が響いた。打音。新たな悲鳴と歓声。足音。続いて驚嘆の声と――
「……多分」
プティーは苦笑交じりに振り向いた。野次馬の間を縫うように、青い頭巾の男が裏路地へと走って行った。一瞬、迷うような素振りを見せたが、追跡者は頭巾に目標を定めたらしい。残るは一匹、女衒の男。
「面倒な……ビスキー、あたしらの後ろに立ちな。薄らデカい躰の使いドキだよ」
「薄らデカいは余計なんだよ」
三人が雑踏に消えた。
そのころ。
カブキチョーの油臭い裏路地に、男のくぐもった悲鳴があがった。腹の少し上側、鳩尾の辺りに刀の柄尻が喰い込んでいた。
倒れゆく男の後ろ襟を引っ掴み、躰を回すようにして壁に押しつけ、アヅマは鍔元で男の顎を上げさせる。
「オークス……バンブーズ・ライツか?」
低い声の問いかけに、答えはなかった。足音。アヅマは男を離し、闇に紛れて身を隠す。
追跡者のひとりが地にへばる仲間に気づき、腰を曲げた。
――仲間か。
これは重畳、とアヅマはするりと背後に回り込み、鞘を使って喉を絞った。
「――グッ! ゴッ……アッ……!」
背に膝を押し当て、両の腕に力を込めて、絞り、絞り、絞っていく。やがて息とも声ともつかない音が途切れがちになると、アヅマはようやく顔を近づけ囁くように言った。
「誰に言われて俺たちをつけ回していた?」
フォルナック、ジャック・王、バンブーズ・ライツ。どれもあり得た。
喉を絞る手を緩めると、男は喘ぐように大口を開いた。
「…………! ……!」
聞き取れるような声ではない。アヅマは背にのしかかるようにして身を乗り出す――と。
喉を絞る鞘を握りしめ、男が渾身の力を込めて地を蹴った。アヅマは咄嗟に腕を引くも僅かに遅く、背を壁に打ち付けられた。拍子に左手が鞘から離れ、男がその場で旋回、乱暴に拳を振り回す。
一打目を肩で止め、二打目をわざと腹に受ける。鈍痛。だが耐えられぬ程ではない。三度、男が腕を引く。瞬間、
「――シィッ!」
鋭く息を吐き、アヅマは前蹴りを放った。弾き飛ばされた男は地に伏す仲間に足を取られ、仰け反るようにして壁にぶつかる。
見越して、アヅマは踏み込んでいた。
男が
ヒュゥッと風を切った銀光を、アヅマはすかさず鍔で受け止め、造作もなく押し込んでいく。続飯付である。
成すすべもなく押さえ込まれた男は、匕首を握る自らの腕で、肩で、喉を締められる羽目になった。
アヅマはあくまで平静に問いかける。
「……どこの手の者だ?」
男は答えない。
「……バンブーズ・ライツ」
もはや答えは待っていない。ただ見る。
「……ジャック・王」
瞳は怒りで血走り、荒くなった鼻息は収まる気配がない。
「……フォルナック」
一瞬、瞳が左右に震えた。アヅマは瞼を閉ざし、小さく息をついた。よもやの名だった。ただ人を送り届け戻ってくるだけの単純な仕事が、敵とも味方ともつかない追手ばかり増える。いっそ互いに潰し合ってくれれば良いものを。
顔を上げると、男は困惑と不安に目を潤ませていた。
殺される。そう顔に書いていた。
「……すまんが居場所は教えられん。見失ったと言うか、逃げるか、自分で選べ」
アヅマは一息に男を押し離すと、目にも留まらぬ早さで水月を打ち、昏倒させた。まだ駆け寄ってくる足音があった。
「……連絡役にしては……」
ふとジャック・王の腕試しを思い出し、アヅマはひとりごちた。
「まったく面倒な連中だ……」
消えてなくなってしまえば良いものを。
口からまろび出そうになった言葉を飲み込み、頭巾を解く。
黒髪、黒瞳、黒い身なりが闇に溶け、足音は不夜城の喧騒に呑まれた。
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