竹の化け物
「――バンブーズ・ライツがアレにまとわりつきはじめたのはいつごろだったか……どういう手練手管か最近ではオークスの間にも信仰が広がっておってな。いっそ焼き払ってやりたいくらいだが、原始の竹もろとも灰になられてはかなわんだろう?」
フォルナックは緩慢な動きで肘掛に片肘をつき、愉快そうに笑った。冗談――というより、害獣に手を煩わされること自体を楽しんでいるのかもしれない。ジャック・王も似たようなことを言っていた。正常なオークスの心性なのだろう。
メリアは視線を足元に落とすと首を微かに横に振り、息を吸いながら顔を上げた。
「手伝っていただけるのでしょうか。立ち入る許可はいただけるのでしょうか。私が聞きたいのはそれだけです。無論、協力していただけなくとも、許可をいただけなくとも、勝手にやらせていただく覚悟はできていますが」
「ハ、ハ、ハ」
フォルナックは無機質な笑い声を立てた。
「覚悟とはまたおろかで青臭いことを言ってくれる……だが、まぁいいだろう。竹の開花と世の終わり――疑っているわけではない。言ったろう。余のために。余のために。手を貸してやるとも。しかし、アレをあまり多くの人間に知られては困るのだ」
「……原始の竹とやらがどこにあんのか、どんなもんなのか……あたしらバンブーズに知られちゃ、せっかく築いた天下も店仕舞だしねぇ」
プティーの軽口に、ビスキーとメリアがぎょっと振り向く。
フォルナックは唇を歪め口の中で笑った。
「余は、人に知られては困る、と言った。竹が喋るな」
バンブーズは人にあらず。オークスの生きる糧である。
竹に生かされる身で偉そうに。
プティーの瞳が、そう言わんばかりに鋭くなった。
「メリアをここまで連れてきたのはあたしらだよ? まず礼のひとつも寄越しなよ」
「お前は手足に礼を言うのか?」
「おや、竹から手足になったらしい。次は首から上に――」
パン! とアヅマが背後から頭を抱え込むようにして口を塞いだ。掌を火傷しそうなほど熱くなっていた。放っておけば、いずれククリを抜いていただろう。
「――追手のなかに倭刀を持ったオークスがいた。心当たる者があるようなら――」
「人ではない。斬って捨ててしまえ。余が許す」
「斬らん。それよりも原始の竹とやらがある場所を教えてもらいたい。案内できる人間でもいい」
「……案内人ならそこにメリアがおるだろう。違うか?」
フォルナックに問われ、メリアは頷いて答える。
「マウント・フジの裾野……レイク・ヤマナカの畔と記述がありました」
「そうだ。トーカイドーを下った後、フジに向かって北上する……が、トーカイドーは使えん」
「バンブーズ・ライツですか」
「ヒラツカ、オオイソ……オダワラ辺りまでなら余の手も届くが、そこから先は竹林に分け入っていくようなものよ」
フォルナックは枯れた小枝のような指先で顎を撫でた。
「――そうだな。多すぎても始末に困る。明日までに三十ほどのオークスを見繕ってやろう。頭は弱いがその分だけ腕が立つし命令もよく聞く連中をな」
「それと、あるなら地図も」
「フン……そのようなもの、余が作らせると思うか?」
「では、どうしろと」
「強行するか、あるいは――」
「フジなら何処からでも見える。地図などいらん」
アヅマが遮るように言った。いかに背の高い竹林に視界を奪われていようとも、列島でも最も高い山は竹間に覗くことができる。あとは方位さえ違えなければ――
「最悪、そのバンブーズ・ライツとやらをどやして道を聞いてやりますよ」
ビスキーがアヅマに同調する。
フォルナックは口元を歪め、愉しげに言った。
「それができるなら容易いのだがな……まぁ、よい。人を集めるのに少々時間がいる。今日はここに泊まっていくといい。出立は明日の朝早くだ」
「ありがたい。まったく今日は朝から――」
と、ビスキーが顔を明るくしたが、すぐにメリアは断った。
「ありがたいお話ですが、宿にはアテがあります」
そんな話は一度たりとも聞いていない。振り向くメリアに、ビスキーが顔をぐにゃりと折り曲げる。続いて視線はアヅマに飛んだ。どういうつもり彼女の瞳は、頼むから首を縦に振ってくれ、と言っていた。
しかし、諸国を放浪していた身とはいえ、アヅマはトーキョーだけは避けてきた。無論、土地勘などまるでなく、身よりも頼れる知り合いのひとりもいやしない。
どうしたものか。
フォルナックが愉悦混じりに目を細め、口を開いた――そのとき。
ぐい、と口からアヅマの手を引き下ろし、プティーが呆れ眼で言った。
「ちょいと。メリア。あんた本気だったのかい? あんなとこオークスが寝るにゃ背板が硬すぎるって言ったろう?」
寝ている間になにか合意があったのだろうか。アヅマがビスキーに目を向けると、彼は瞳だけで聞いていないと答えた。
「構いません。そう言ったはずです」
メリアの口振りは平静そのものだった。しかし、フォルナックの視線から逃れたその顔は固く強張っていて、指先は扉を指している。咄嗟に口裏を合わせたのだろう。
プティーはふっと短く息をつき、腰の鞄を叩いた。
「王様の前で煙管を加えるわけにいかないしねぇ。あたしら竹は、地に足ついてないと肩がこって寢らんないよ」
見上げてくるプティーに、アヅマは訳も分からぬまま頷き返した。
「……余の申し出を断ると?」
重く、足元に絡みついてくるような声だった。
プティーはアヅマの手首を強く握り、背筋を伸ばした。
「竹に寝首を掻かれたくないだろ?」
ビスキーが歯を剥くのを見て、プティーはすぐに言い直した。
「――ってのは冗談にしても、メリアみたいのを匿うんなら都合のいいとこがあんのさ。まぁ、あたしらが信用できないってんなら、オークスはここに泊まりゃいい。あたしとアヅマは予定通りに下に行く。それでいいだろ?」
「何処に泊まろうというんだ?」
やけに食い下がってくる。それがなにかは分からないが、メリアの危惧は正しいのだろう。フォルナックには、アヅマたちを留め置きたい理由があるのだ。
「何処だっていいだろ? まぁざっくりいえばカブキチョーだよ」
「フン……バンブーズらしい選択だ」
「そりゃそうだ。あたしらはバンブーズだし」
プティーとフォルナックの視線が交錯し、彼の傍に控えていたお付きの青年が虚ろなままに右手を垂らした。なにかする。される。背後の扉にも奇妙な気配があった。
「では! 私たちも!」
さっとメリアが躰を割りこませた。
「お心遣いだけ受け取らせていただいて、私とビスキーさんも、プティーさんたちと一緒にカブキチョーで休ませていただきます」
フォルナックが、細く、長く息をついた。
「メリア・オークス……遠い親族のはずなのだがな……」
「そ、そうであれば、嬉しく思います……ではまた、明日……!」
メリアは大急ぎで一礼し、プティーとビスキーを押すようにして部屋を出た。
そして。
「……ちょいと。メリア。どういうことなんだい?」
建物を後にして一本足の汽車を待つ間に、プティーがジト目を向けた。メリアはきょろきょろと辺りを見回し人気がないのを確認し、ほっと安堵の息をつく。
「突然すいませんでした……でも、あそこで夜を明かすのは危険だと思ったんです」
「なんでだい? あいつも信用できない?」
「私と、ビスキーさんにとってみれば、大丈夫だと思います」
「……と、いうと?」
「あの建物はフォルナックの躰も同じです。傍に居たバンブーズ、気づきました?」
人形のように佇む虚ろな存在。人のものではないが、アヅマは似たような気配を感じたことがあった。
「……寄生種のデビル・バンブーか」
メリアが頷き、プティーがうんざりとばかりに肩を落として空を見上げた。
「あれ全部が寄生種だって? 勘弁してほしいねぇ」
「おい、俺にも分かるように言え」
ビスキーに肩を小突かれ、プティーはすかさず彼の靴を蹴り返した。
「傷をつけたとこに種を仕込んで宿主を乗っ取るタイプのデビル・バンブーだよ。どういう仕組みか、ふらふらそこらを歩き回って適当なとこでおっ死ぬのさ。すると死体から同じ寄生種の竹が生えてくる――」
「厳密には種ではありません。あれはもう竹とは言えない」
メリアが言葉を継ぐ。
「仕組みとしては茸やヤドリギが近いかもしれません。目に見えないくらいの極小の苗を植え付けて生体から栄養を吸収して成長します。ですが、あの建物はそれとは又少し違うんです」
「どう違う?」
アヅマが問うと、メリアは恐々と振り向き肩越しにフォルナックの塔を見つめた。
「フォルナックの躰から伸びている茎の一部を人の躰に入れて、意思の大半を奪います。おそらくあそこにいたバンブーズは、生き人形というか……傀儡のようになっているんだと思います」
意識と肉体、より正確に言えば脳と神経系を自らの躰から伸びる地下茎で支配する。占有する領域を増やせば増やすほど動作の精密性と感覚器の共有率も上がるが、制御そのものが難しくなる。
扱う傀儡が増えれば、糸の本数も加速度的に増えていく。多くの傀儡を同時に動かしたいのなら、精密性に目をつむり糸の本数を減らせばいい。
「人の場合、最低限の意識を残しておけば、自分から動いてくれます。特に、一度教育を施した肉体を奪えば、より簡便に扱えます」
「……あそこで寝てたらあたしらも躰を取られてたって? 冗談じゃないよ」
記憶は肉体に宿る。アヅマは捨念流の教えを血肉とした掌を見つめ、握り込んだ。
「竹の化け物……あれは人と言えるのか?」
「どっちが竹だよってね」
うぇっと舌を突き出し、プティーは心底嫌そうに言った。
「あんなの、枯れて誰が困んのさ」
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