フォルナック
オークスは白、バンブーズは鉄錆に似た赤色――それを象徴するような廊下だった。
天は白く、壁は褐色、地は赤く――ただし、広く長い廊下を覆う赤色のカーペットにすら白色の模様が乗せられている。捻じくれた根に太い幹、そして円弧を描く豊かな枝葉は紛れもなく樫の木を表す。
竹の内といえば絢爛豪華が常ではあるが、バンブー・ヒルの天辺で見た賑やかな地獄とはまるで様相が異なる。あるいは、あの世界はジャックが王であったがゆえの有り様だったのだろう。
「……なんか、すっごい居心地が
プティーがぼそりと呟いた。アヅマも黙したまま頷き返す。
たとえるなら、一切の隙がない極楽浄土。
清廉かつ厳粛な空気もさることながら、武器はそのままにただ両手を腰の前で組んでおけばよいという警護の在り方が底知れぬ余裕を感じさせ、転じてそら寒さをおぼえる。
やってみよ、できると思うならば。
衛兵ひとり立たない廊下が言外にそう示している。
「……その口閉じとけって言ったよな?」
自然、ビスキーの声も微かな震えを帯びる。
音もなく、揺れもなく、昇降機が滑るように昇っていく。そこが竹の内なればこそ、大地から吸い上げられる水のように。
デビル・バンブーの腹に呑みこまれ、押し流されていくように。
王の間の前で、ひとりの男が待っていた。お仕着せらしき黒い洋装を纏うバンブーズの青年だ。整った顔立ちはどこか人形じみており、生気がない。
「衛兵より聞いております。メリア・オークス様ですね?」
青年の光の失せた黒瞳は虚空を見つめていた。
「そ、そうです。私は――」
異様な気配に喉を詰まらせながら用件を伝えようとすると、青年がさっと手を伸ばしてそれを遮った。
「しばし、お待ちを」
ビスキーが懐からジャックの手紙が入った竹筒を出し、青年に差し向けた。
「バンブー・ヒルの首長ならびにジャック・王からの伝言です。お渡しいただけますか?」
「では、そのように」
青年は間断なく答えて竹筒を受け取り、物音ひとつ立てず二枚扉の奥へと消えた。妙だった。そう評するより他にない。生きた人というよりも高度に組まれた発条仕掛けのからくりに近いか。
捨て、忘れたはずの怖気が、ひたひたとアヅマの足元を浸す。それはプティーも、メリアやビスキーも同じとみえ、みながみなどういう顔をすればよいのか戸惑っているようだった。やがて、また風に押されたように扉が開き、隙間から先の青年が悍ましいほどに整った顔を突き出した。
「どうぞ、お入りください。今日はお加減が良いようです」
瞳はやはり虚空を見つめていた。
王の間とだけ聞いていたその部屋、あるいは空間は、巨大――というより広大――な玉座が半分以上を占めていた。
もし部屋に人がいなければ、玉座があるとは気づかなかったかもしれない。
この、鈍色の壁一面にびっしりと彫り込まれた、美を通り過ぎ不気味に達した白金の彫刻群なんであるのか、首を傾げていただろう。
アヅマがそれを玉座と認識できたのも、中央に、干からびたというのが相応しいが、しかし、異様な迫力をもつ老体が座っていたからで、すぐ脇に分厚く古めかしい本が乗った書見台が立ち、扉の前にいたのとよく似た気配の青年が控えていたからだった。
老人が筋張った手を震わせながら伸ばして開かれたままの本の上に置き、嗄れたうえに耳障りな高音を発した。
「……メリア……オークスだったか……」
声と声の狭間に、ひゅう、ひゅう、と息が抜けていくような音が混じっていた。
「どこの……オークスだったか……調べていた……」
乾いた指先がサリサリと頁を滑り、落ち窪んだ瞳が行をなぞる。右上にメリアの首飾りと同じ形の印章が描かれていた。
ひ、ひ、ひ、と老人は喉を引き攣らせるようにして笑った。
「随分と……古い……庶流よの……まだ残っておったかと……言うような……」
言って、老人はまた薄気味悪い笑い声を立てた。息を切らしたのか小さく咳き込みながら書見台の紙片を握り、丸め、ビスキーの足元に放った。
「なにが首長か……ジャック……王……厚かましい男よの……」
その口振りとは裏腹に、骨と皮だけになった老人の顔は愉しげに歪んでいた。
メリアが意を決して口を開く。
「お、お願いします! 竹の開花が迫って――」
「――頼みとやらは……見た……聞いた……このフォルナック……オークスが……」
煩わしそうに言い、フォルナックがビスキーの足元に転がる手紙を指差した。指先がゆらゆらと揺れ、糸が切れたように書見台に落ちる。
「竹の開花……? 世界の崩壊……? 証拠もなしに信じろ……と……?」
「しょ、証拠なら――! 証拠……なら……」
メリアは肩を落とした。プティーは善意で動いてくれただけだ。アヅマは相棒に付き合っただけ。ビスキーもまた命令に従っているだけで、彼女の言葉で動いたのはジャックひとりしかいない。それも信じたかどうかは甚だ怪しい。
だが、
「……放置して、竹の開花が始まれば、その玉座も停まりますよ……?」
玉座が、停まる?
メリアの奇妙な言い回しにアヅマとプティー、ビスキーが眉を寄せたが、玉座に居るフォルナックの落ち窪んだ瞳は鋭くなり、傍らの青年が微かに顔を上げた。
「……なにが……言いたい……?」
「その玉座がなにか……私、知ってます。分かります」
メリアは部屋全体を示すように両手を広げた。
「この部屋……いえ、建物そのものが、その玉座のためにある。それは、ここは、デビル・バンブーの内側に他なりません。違いますか?」
「……なにを……バカな……」
フォルナックがひゅうひゅうと喉を鳴らした。だが、その干からびた躰が発する圧が極微量ながらたじろぐのをアヅマは肌で感じた
話の意味は取れないが、押している。ならば、
押せ、とアヅマは気をもってメリアの背筋を支えた。
「この建物は、デビル・バンブーは、竹稈で吸い上げたバンブーズの命を貴方の躰に注ぎ込んでいる。違いますか?」
デビル・バンブー? バンブーズの命を注ぎ込むとは?
メリアの口から放たれた言葉は、フォルナックのみならず、アヅマをも圧した。
「あなたは今おいくつですか?」
「……な……に……?」
「お歳です。私は医術の心得はありませんが、特殊な竹の見立てなら多少は自信があるんです。フォルナック様の後ろにある装置――研究所で資料を目にしたことがあります。資料の記述がたしかなら、発見から製造、今日まで維持しつづけたのなら間違いなく二百年以上は経っているはずです」
「……なるほど……なるほど……研究所とは……そうか……」
ぎしり、とフォルナックが姿勢を正した。
得体のしれない怖気が、朧気ながらも輪郭を帯びていく。アヅマは我知らず腰の前で組んだ手を強く握り込んでいた。
「ツキノモト・バンブー・リサーチ・センターか。言われてみれば、あそこにオークスの庶流を置いておったわ」
ぞっとした。フォルナックの、金属を擦り合わせるような音の混ざる嗄声が、急に張りを取り戻し明瞭になっていた。
「なるほど、それで竹の開花と……世界のな……。置いておくものだ。何年昔の話か覚えておらんが余も過去の己に感謝せねばならんな」
フォルナックが玉座の肘掛けに手をつき、首を傾ぎながら腰をあげた。ずるり、と背中からなにかが垂れ下がる――。
獣の背骨のように太く短な節が繋がる管。竹――いや、地下茎のようにみえる。地中にあるはずの地下茎が空中、それも玉座から伸び、フォルナックの背に繋がっていた。
化け物――。
内心でつぶやき、アヅマは眉間に皺を寄せる。長く竹切り屋を営んできた者の本能か、あるいは竹咲捨念流を修める者の本能か、組んだ右手が刀に伸びようとし、左手で押さえ込んでおかなくてはならなかった。
こくりとメリアの喉が鳴った。フォルナックの気配に押し負けぬようにと、彼女もまた両手を白くなるほど握り込んでいた。
「で、では、原始の竹のサンプル採取にご協力いただけると思って構いませんか?」
それでも震える声は隠せない。
フォルナックが、先程からは想像もできないほど強い声で嘲るように笑った。
「いや、すまぬ。そう怯えられるとこう、愉しくなってしまってな?」
ぺたり、ぺたり、と躰を左右に揺らすようにしてフォルナックが前に進み、メリアの目を覗き込んだ。彼女が固く瞼を閉ざした瞬間、哄笑が部屋に響き渡った。
フォルナックは糸に釣られた人形のように首を上下し、やがて満足げな顔を見せたかと思うとすぐに、悲しげに言った。
「手を貸してやるとも。余のために。世のために。だが――ちと、困ったことになっておるのよ」
フォルナックが踵を返すと、背中から伸びる竹の茎を束ね持ち、ずるずると壁に押し込みつつ玉座に戻った。化け物の気配が離れたからかメリアが小さく息をついた。
「困ったことというのは……」
「うむ。オークスの。お前を追っておる連中も同じだろう」
「――と、いうと……まさか!?」
なにか心当たりがあるのか、メリアが前のめりになった。
フォルナックがゆらゆらと首肯する。
「そう。そのまさか。
「は、はい。聞いています。原始の竹のを御神体として崇めているという――」
原始の竹とやらを崇め奉る宗教。ありそうな話だとアヅマは思う。
なにも原始の竹とやらに限った話でなく、今でこそバンブーズと呼ばれている竹と暮らす人々は、かつて万物に神や精霊が宿ると信じてきた。まして竹は人の祖先とされる古代の神々が使った植物である。
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