バンブー・トーキョー、オークス・トーキョー

 都市部を流れて濁った川の水が注ぎ込み、海面が泡立っていた。白化した竹壁の前に風は凪ぎ、犇めく船は夜に備え一眠りしている。

 トーキョー港――貨物、漁船、客船、用途の多様化と需要の増大に応えるべく浅瀬を埋め立てながら巨大化しつづけた人工の群島に、大気を切り裂く軋りが響いた。すわなにごとかと港の人々にさざめきが広がり。やがて誰ともなく音の正体に気づき南を指差す。同時。

 遠鳴りを思わせる爆発音とともに衝撃波が押し寄せ、白波が立った。

 客船のオークスはもちろん、港で働くバンブーズも、また港に乗り付けようとしている一隻の小さな帆船の甲板上でも、遠く霞がかって見える湾をまたごうという橋と、そこに引っかかり爆発炎上する大型汽船を見つめていた。

 ただひとり、ぐっすりと眠るアヅマを除いて。


「――ほら、起きなよ、アヅマ! トーキョーに着いたよ!」


 凛と響くプティーの声に瞼を持ち上げ、街へと振り向き、アヅマは呆然と呟く。


「……これが、トーキョーか……」


 遠目には竹を打倒したかに見えた白い街並みは、寄って見れば白い筍の群れというのが近かった。

 天を摩するが如くに伸びた山形の竹稈式高層建築物バンブー・ビルディングが林立し、段々になった外壁を碧々とした竹林が覆う。建物同士は極太の茎のようなもので繋がれ、そこに乗っかる――あるいはぶら下がる――汽車が白煙をあげながら宙を渡っていた。

 それは竹に勝った世界と言うより、オークスたちが自ずから敗北を認めて竹に呑まれるのをよしとした世界に見えた。

 異形と評すに相応しいトーキョーの街並みを前にして、アヅマは小さく身震いする。


「……これは……街がでは……竹の花が開けば……」


 繚乱――街の至る所で竹の花が垂れ落ち、その意味を知らない人々は風流と見て宴のひとつも開くのだろうが――


「――はい。そうです。竹は一斉に死に絶え、次には、街が」


 そして、人が。

 メリアの低い声に、アヅマたちは顔を険しくする。


「ビスキー、急ごう」

「わーってるよ。こっからだと――」


 ビスキーは紙巻きの煙草を咥え、胸元から地図を引っ張り出した。奇妙な地図だ。数えるのに難儀するくらいびっちりと地名が書き込まれ、それらをさらに無数の線が繋ぐ。しかも地図は一枚で足りず似たようなものが三枚、四枚とある。

 ビスキーは一枚の地図を選ぶとひとしきり睨み、太陽の加減を見ながら唸った。


「……ここがトーキョー=シバだろ……? ――で、シバウラ運河キャナルを渡って……シンバシー……ヨドバシー……シンジュク……ああん!? 地下か……!?」


 地下? と首を傾げるアヅマたちに複雑な顔面を向け、ビスキーが決然と言った。


「よく分かんねぇけど、ついてこい」

「……はぁ? 分かんねぇのかい? とんだ案内人だよ、まったく……」

「うるっせぇな! トーキョーなんてのはハナっから分かんねぇ街なんだよ! 黙ってついてこい!」


 呆れ顔のプティーに瞬き返し、アヅマはメリアに首を向けた。原始の竹――ひいてはトーキョーを目指して来たというからには、少しは分かるのかと思った。

 だが、


「すいません……私も直接、目にするのは初めてで……」


 アヅマは鼻で息をつきプティーに目配せすると、ふたりでメリアを挟むように隊列を整え、踏み固めれた道をビスキーの後ろに続いた。

 生の竹林と竹造りの建物で構成された駅舎に入る間際、田舎者丸出しでダサいから一列に並ぶなと怒鳴られた。

 だが、人目を気にする余裕などなかった。


 最下層の通りはもちろんバンブーズで溢れ、昇降機で一階層――すなわち十米もあがると間の子が混ざる。ビル同士をつなぐ竹の空中回廊を抜けてもう一階層、駅舎の門をくぐると純血のオークスまで加わり、バンブー・ヒルの竹上アップ・タウンよりも騒がしい。

 もちろん、火打の長筒を抱えた衛兵がそこかしこに立っているし、竹が節をなすようにビルのひとつひとつが階層ごとに竹藪の外壁を備え、ビル同士を縦横無尽につなぎまわる空中回廊も背の高い竹垣で守られているが――しかし。


 人種で敵味方の判別ができない今、客も衛兵も刺客にしか見えず、竹藪も竹垣も死角でしかなく、高さの異なる交差は全天の警戒を求められる。

 船で寝ておいてよかった、とアヅマは本気で思った。

 を旨に生きてきたアヅマをして、無力を痛感する世界――

 それが、トーキョーだった。


「おら、ボッとしてんな。こっちだ」


 ビスキーに促されて歩廊ホームに立つと、一本足の汽車が滑り込んできた。蒸気を吐く煙突は見当たらず、単軌条はホームを抜けると宙を渡って別のビルへと繋がる。間を遮るものはなく、これに乗るのかと思うとぞっとしなかった。

 灰と緑で彩られた無数の摩天楼を縫うようにして一本足の汽車が滑り昇っていく。車両の内にいると、小さな羽虫となって竹林に迷い込んだかのような気分になった。


 客のほとんどはオークスのように見えたが、それも都会のまやかしなのだろう。どうも匂いが違う。気配が違う。立ち振舞も言葉遣いも視線の色すらも違う。上層のバンブーズ、間の子、低階層のオークス――それぞれが自分こそがより上で暮らしているのだと見栄を張る。内心、互いに見下し合いながら、車両の先頭に最も適当な雑魚を認める。

 奇異の視線と、一握の嘲笑。

 車両の先頭近くに陣取るアヅマは、それらの一切を背中で受け止め、車窓を覗く。

 気を休めるためでなく、窓の外に敵がいたときのために。

 単軌条の汽車は螺旋は赤く塗られたバンブーズ・タワーを横目に螺旋を描きながら上へ上へと昇り、やがてバンブーズ・タワーを見下ろす白い竹稈を視界に取り込む。


「あれがオークス・ツリーだ。すげぇだろ。お前らの塔の倍の高さだぞ」


 誇らしげに言うビスキーを一瞥し、アヅマは淡々と問う。


「なんで色が違う?」

「白はオークスの色だろが。バンブーズは鉄錆色って決まってる」

「……そうか。あれはなんのために作られたんだ?」

「……あぁん? なんでって……知るかよ。見張り塔かなんかじゃねぇのか? バンブーズはバンブーズの天辺が見張る。で、その上は俺らが――」

「――竹となんとかはおそらがお好きって言うしねぇ」


 プティーの呟きにメリアが小さく吹き出し、車中の気配が一瞬とまった。

 アヅマはひとつ睨みをくれ、刀の鍔に親指をかける。乗客たちは示し合わせたように視線を外し、関わりたくないとばかりに背中を丸めた。

 ビスキーが唇を湿らせ、小声で言った。


「……おいプティー。減らず口はこの辺までにしとけ。アヅマもだ。つぎ乗り換えた先からは冗談じゃすまなくなる」

「……だろうね。せいぜい気をつけるとするさ」


 プティーは赤髪をかきあげ、ポンチョを軽くつまんで見せた。


「ついたらコイツも脱いじまった方がいいかね?」

「その方が話は早そうだがな……まぁ、ジャックさんから預かってる手紙があるし、なんとかなるんじゃねぇか?」

「なんだい、頼りないねぇ……俺に任せろくらい言えないもんかね」

「……やめろっつったろ。俺が大目に見てやってるだけだってのを忘れんな」

「心得ている」


 上に昇る人間は腕のいいを子飼いをもつ。

 ジャックの言い様を思い返しつつ、アヅマはビスキーに問う。


「――そうであればこそ、確認しておきたい。どちらを優先する?」

「あぁ? なにをって……なんだよ」

「メリアか、お前か」


 それまで窓の外に向けられていたメリアの瞳が裏切られたかのような色を湛えてアヅマを捉える。唇が薄っすらと開き、音が漏れる、その前に、

 ビスキーが二本の指を揃えて伸ばし、黙らせた。


「バカか? どっちもだ。手前ぇらの命をかけて俺たちを守るんだよ」

「……そういうだろうと思っていた」

「だったら聞くんじゃねぇよ」


 ぶっきらぼうに言った。車両が減速を始め、歩廊に停まった。


「おら、降りるぞ。次で最後だ」


 他に降車する客はなく、歩廊にも人気はない。にもかからず、足元から微かな喧騒が聞こえる。さすがに土地が高すぎるのか、土が足らないのか、庇あるいは外壁代わりの竹藪も背の低いバンブー種になっていた。


「俺たちが行くのは、あそこだ」


 ビスキーが宙を指差す。その人差し指の先に、二本の、互いを支え合うようにして建つ竹稈式高層建築物があった。

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