プティーは眉の上に手庇てひさしをつくって遠見し、おー、と暢気のんきに息をついた。


「ありゃなんだい? 燃えてんのかね? それとも――」

「ああ。おおかた汽車と同じだろう」


 頷くアヅマに、ビスキーがくたびれながらも得意げな顔を向けた。

「ざまぁみろだな。どうだよ? 俺の作戦がバチッとハマっただろ?」

「なに得意になってんのさ。ハマったってことは筒抜けだったってことだよ?」


 秒の間もないプティーの指摘に、ビスキーが舌打ちした。

 メリアは不安げな瞳でもうもうと煙を吐く汽船を見つめる。


「あ、あの……あの船、こっちを追いかけてきてませんか?」

「……ああん? どうだかねぇ。まぁこっちに向いちゃいるけどさ――船長、どうなんだい? あっこからこっちまで追いつけるもんかね?」


 船頭は一瞬吹き出すような素振りを見せ、苦笑しながらあら汁の器を置いた。


「それについちゃ心配いりません。いくら汽船たってデカいし重いし……小せぇしボロく見えるかもしれませんが、こっちの方が速いんです。まぁ仮に向こうさんが気ぃ吐いたとしても、ほら、こっちと違って、この橋を避けなきゃなんないでしょう?」


 言って、船頭は頭上の橋を指差した。


「デカい船ってのはそのぶん向きを変えるのも大変なんです。それに竹を継いで作ってるのは同じですからね。無理に進路を変えたらバラバラになっちまいますよ」

「バラバラか……」


 沖に出てから沈没となれば危なかったか、とアヅマは遠目に船を見つめたまま黙々と箸を動かす。なんにせよ、追手に対して先行できたのは喜ばしい――?

 アヅマは箸を置き、首を捻った。


「……どうしたい、アヅマ」


 プティーが訝しげに眉を寄せると、アヅマは汽船、メリア、ビスキーへと順繰りに視線を動かす。


「……ビスキー。あの船、安いものではないのだろう?」

「はぁ!? 当たり前だろうが! おかげでこっちは冷や汗モン――」


 吠えた瞬間顔を青くし、ビスキーはのろのろと船縁に寄った。

 メリアがぱちくりと目を瞬き小首を傾げる。


「あの、どうなさったんですか?」

「うん。追手について、少し」

「えっと……ですからそれは研究所の――」

「――いや。おそらく違う」


 船頭も含めて一同が眉根を寄せた。

 アヅマは腕組みをしたまま視線を胡座に落とした。


「正確には、追手が増えたやもしれない」

「……追手が増えたって?」


 プティーが竹煙管を咥え、赤い髪をかきあげた。


「うん。思い違いであってほしいが、ジャックの仕業かもしれない」

「あぁ!?」


 プティーより早く、ビスキーが苛立たしげな声をあげた。こめかみに青筋を浮かべてアヅマに突っかかっていく。


「なんでんなことする必要があるんだよ! 竹が――」


 枯れたら、と続けようとしたのだろうが、ビスキーは船頭を気にして言い直す。


「……メリアさんを運ばなきゃ困るのはジャックさんだろうが。忘れたか?」

「そこだ。ジャックは、そんなことで困るのか?」


 アヅマは真摯な瞳でビスキーと視線を交える。

 汽車を通し、船を走らせ、海に橋までかけてしまったジャックにとって、竹の開花と喪失はどれほどの意味をもつのだろうか。

 ビスキーが唸りながら腰を下ろした。


「そりゃまぁ……汽車も汽船も新しく作っちまうだけなんだろうけどよ……」

「そうだ。あの男、終わったら借りは返せと言っていただろう」

「……なるほどぉ?」


 プティーが火打を鳴らし、煙草の煙を横に吹きつつメリアの顔を見やった。メリアがぎょっとして自分を指差すと、アヅマは神妙な顔で首肯する。


「どれだけ被害がでようと後で返してもらえばいいだけだ」

「なんなら損害は大きけりゃ大きいほどいい。その分だけオークス様に尽くしたってことになる」

「そうだ。あの男、手段を選ぶような性質たちには思えん」


 重い気配に、メリアは顔を青ざめ、ビスキーが乾いた喉を鳴らした。広い額に船酔いとは別の脂汗が浮いていた。


「ちょ、ちょっと待てって……ジャックさんがそんなこと――まぁするかもしれねぇけどよ。けどだ。無茶苦茶なお人かもしれねぇが、それにしたってやりすぎだろ? 下手すりゃ汽車の時点で俺たちは死んでんだぞ?」

「うん。それはそのとおりだ」

「だろ!? だったら――」

「だが、そう考えたほうが辻褄が合う」


 なぜメリアの話を信じられたのか。竹の開花が世界の終わりを告げるなど、普通は狂人の世迷い言と聞き流す。それを信じたのは、メリア・オークスの名と首飾りの印章とやらのおかげか。いや、信じるフリをしただけと見るのが自然だろう。

 となれば、闘場で行われた試験とやらは、追手に顔と名を覚えさせると同時に護衛としての腕も確かめられる妙手といえる。

 ジャック・王――狡猾かつ狂乱を愛する男。


『愚かなバンブーズを狩るのは実に楽しかった。礼を言ってやろう』


 ビスキーに運ばせた言葉が、あの男の行動原理を端的に表している。おそらく、本当に楽しんだのだ。それゆえに、あの狂気にじむ笑みの幻影を見たのだ。


「……ジャックはどう転ぼうが得をする」

「あぁ!? どう転ぼうがってお前――」


 眉をしかめるビスキーに、アヅマは厳しい視線を送った。


「ジャックはオークスの世界に喰い込んでいる。それに身を流れる血の半分はバンブーズのものだ。すでに王国がある以上、世界の行く末がどちらであろうと困りはしない。問題なのはそんなことではなく――」

「――あいつにとって一番おもしろそうな結末はなにか、だねぇ」


 じっくりと煙を吹き、プティーは掌に燻る火種を落としてコロコロ転がしながら火皿に新たな葉を詰め、火種を戻した。


「ま、あたしらに苦労させたいってのはあるだろうね、あの性格じゃ」

「うん。それは間違いない」


 成功するにしても、失敗するにしても、襤褸ぼろになるまで引きずり回してやりたい。あれはそういう男だ。


「で、でも――」


 メリアが身を乗り出すようにしてアヅマに詰め寄る。


「それなら、なんでビスキーさんを私たちに同行させているんですか?」

「察しが悪いねぇ」


 プティーがくつくつと笑った。


「ビスキーは証人さ。あたしらになにがあったか見させられてんの」

「え……でも……」


 メリアが気遣わしげに目を向けると、ビスキーは諦めたとばかりに片手を振った。


「ジャックさんがなにをお考えなのか――んなの、俺には分かりませんよ。ただ、トーキョーに行ったら使うようにって言われた手紙は預かってる。……もちろん俺らが開けたら後でエライ目にあうだろうけどな」

「だろうな。それに使わないという手は俺たちにはない」


 アヅマは白煙をあげる汽船を見やり、首を捻って霞の向こうのトーキョーを覗く。

 あるいは、ジャックの狙いは、自らの手で《あれ》を壊すことでは、と思う。

 ひどく遠回りだが、真綿で締め上げるように殺したいのだとすれば理解もできる。

 オークスとバンブーズ、両方の血を引くということは、見方を変えればどちらの世界の人間でもないということだ。自分だけが知っている破滅。そこに至る道筋。己の掌に世界の命運を握る。

 かつて父を亡きものにしたように、世界に復讐しようとしているのではないか。


 怨恨という念の強さは、アヅマもよく知っている。

 竹咲捨念流の源、念流の開祖は、五つの頃に父を失い仇を討つために剣の修業を始めたとされている。開祖は十年以上をかけて剣を究め見事に仇討ちを果たしたが、世の無常に打ちひしがれて俗世を捨てたという。つまり、念流の念とは怨恨を発祥とした、なにを賭してでも勝つ、という一念をさしている。

 時を経た傍系でそれを捨てることを真髄としたのには、それだけの意味がある。

 怨恨とは、復讐心とは、果たす日まで躰の内で燻りつづける。捨念とはまさに至難であり、生涯をかけても辿り着けるかわからない境地だ。

 アヅマは、それを身に沁みて知っていた。

 ゆえに――


「――ご馳走様でした」

 

 パン、と顎の下で両手を合わせて頂いた命と作ったプティーに感謝を捧げ、刀の下げ緒を左の手首に結んでごろりと横になった。


「……えっ!?」「あぁ!? なにしてんだ!?」


 メリア、ビスキー、そして船頭までもが顎を落とした。

 ひとり声を殺して笑うプティーを、アヅマは肩越しに見やった。すでに目が少しとろんとしている。


「少し、寝る。着くか――」

「――あいよー。なにかあったら起こすよ。オヤスミ」

「……うん」


 小さく頷き、手元にあった行李を頭の下に敷くと、ふと思い出したように振り向いた。


「……酒は呑むなよ?」

「あいた。釘刺されちまったよ」


 と、プティーが愉しげにメリアとビスキーに目を向けた。その間にも、アヅマは実にのんびりとした寝息を立てはじめている。

 ビスキーとメリアはふたりしてあんぐりと口を半開きにし、その背を指差し、プティーに顔を向けた。


「……なーに間抜け面晒してんだい。食えそうなら残りを平らげてくんない? したら、あたしもちょっと寝させてもらうよ。さっきのいまであたしも疲れた」


 念の強さは、しつこさは、計り知れないものがある。

 ゆえに、休めるときに休んでおかねばならない。

 

 ――刺身は漬けにしとけばいいとして、残りは干しときゃいいかねぇ? と、プティーは竹煙管をぷかぷか、霞むトーキョーを眺めた。

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