海の上にて

「……なんだ、あれは」 


 整えたばかりのアヅマの心にさざ波が広がる。カズサ=フッツの北、カズサ=キサラヅから湾へと伸びる長大な橋を目にして、アヅマは両足首を太腿にのせる結跏趺坐の姿勢を崩して胡座の形に組み直す。


「……見事なもんだろ」


 ビスキーの死にそうな声。船酔いがよほど酷いとみえ、青を超えて紫に近づきつつある顔を空に向け甲板に寝転んでいた。


「あれこそ、ジャックさんの権勢の源よ」


 オークスを父にもつジャック・王は、姓名の通りバンブーズの妾腹の子ではあるが、出自を巧みに使い分けて竹上から竹下まで一本の地盤を築くと、父を取っ掛かりに後にバンブー・ヒルの首長となる男に、ある事業の誘いをかけた。

 それが、トーキョー・ベイに橋を架けるという計画だ。

 中央すなわちトーキョーとも連携しなくてはならない大変な仕事だが、上手く運べばバンブー・ヒルの名は天下に轟き、主導した首長は歴史の一部となるだろう――と、功名心をくすぐったのである。


 もちろん、ジャックの本意は違った。

 湾を跨ごうという馬鹿げた規模の橋を建造するには、膨大な竹とバンブーズが必要となる。その点、母の出自を利用し竹下にまで顔の利くジャックは、オークスとのつなぎ役にうってつけだったのだ。

 首尾よく竹と人を揃えたジャックは権力の内側に潜り込むと、次には首長の誕生を父とともに後押しし、直後にで親を亡くして権力の中枢に立つ。

 そしていまでは、橋はジャック・王の名とともに語られている――。


「……だが、まだ繋がっていないようにみえる」


 アヅマは橋を舐めるようにして視線を西へと滑らせる。橋の切れた先が浮島のごとく盛り上がり、巨大な海蛍うみほたるを想像させる建造物が背を丸めていた。

 ビスキーが喉になにかがからんだような笑い声を立てた。


「橋が切れてんじゃねぇよ。海の下を通したって噂だ。本当かどうか知らねぇし、本当だとしてどうやったのかは分からねぇ。けどま、んなちまっこいこと――グッ!」


 急に言葉を切ると、ビスキーは弾かれたように飛び起き、船縁へと走った。その背に一瞥ひとつくれず、アヅマはぼうっと橋を見つめる。


 海の下を通すトンネル……? 


 眉唾ものの話だが、あの男の生き様を思えば、さもありなん。仮にそうでなかったとしても、バンブー・ヒルにそびえる竹の天辺で繰り広げられる乱痴気騒ぎを鑑みれば、城の内部で動揺の宴を開き権力を広めている可能性は高い。まして場所は海の上。、なんら不思議ではない――。

 さながら橋は陸から伸びるデビル・バンブーの茎。海上の巨大なは魔の巣食う万魔殿も同じか、とアヅマが鼻で息をついた瞬間だった。


「ひあぁぁぁっ!?」


 絹を裂くような悲鳴があった。すわ敵襲かと振り向くと――、


「……なにをしている?」


 プティーが、その小柄な体躯に余る、目方で二瓩はあろうかという見事な真鯛の眉間に極細の竹串を突き刺し、グリグリと捏ねくり回していた。魚の尾びれが反り返り、やがてくたびれ落ちると、悲鳴の主たるメリアが青白い顔をして両肩を抱いた。


「なにって……見りゃわかんだろ? 釣った魚を締めてんのさ」

「……さっきの悲鳴は?」

「……魚が跳ねたからビビった?」


 ふいとプティーが顔を上げると、メリアは口元を引き攣らせながら力なく頷いた。


「と、というか、き、き、き、気持ち悪くないんですか……!?」


 あまりといえばあまりな感想。

 プティーとアヅマが視線を絡めて眉根を歪め、揃ってメリアを見上げた。


「兎だの猪だの鳥だのに比べると、多少……?」

「兎!? 兎を食べるんですか!?」


 メリアの反応に、プティーとが再びアヅマと顔を見合わせ。アヅマは腕組みをして、生じた違和感のままに、と、と、と、とゆっくり首を傾げ、そのまま尋ね返す。


「筍飯も口に合わなそうだったが……いままでなにを食べていたんだ?」

「え? 食事ですか? ……ソイレント・バンブーですね」

「……ソイレント」「……バンブー?」


 三度、アヅマとプティーが顔を見合った。

 メリアは固まりかけるふたりに視線を往復させ、バンブー・ヒルで新調したらしい小さなヌメ革の鞄を開け、


「これです」


 と、長さ十五せんちほどの真っ黄色の棒を出した。


「……なんだい、そいつは? 見たことない品種っぽいけど……」

「はい。遺伝子組み換えの結晶! 食べられる竹です! ひと口どうですか?」


 船酔いはどこへやら、メリアはなにやら得意げな表情で黄色い竹の棒を突き出す。

 だが、プティーは黄色い竹を嫌そうに見つめて首を左右に振り、鯛に向き直った。


「せっかくだけど、あたしはこいつと握り飯でいいや……」

「え!? なんでですか!? 美味しいですよ!? 昨日の変なのよりずっと!」

「変なの!? ちょいとメリア、変なのって――」

「――ひと口もらえるか?」


 にわかに高まる闘争の気配を察知し、アヅマは横から口を出した。それこそ物音を聞きつけた兎のように振り向くメリア。プティーは、こいつは? とばかりに鯛を突いた。

 もちろん、鯛と握り飯も食べたい。

 そう伝えるべく目配せし、アヅマはメリアの手からソイレント・バンブーなる黄色い竹を受け取った。


「……どう食べる?」


 触れた感じは、完全に、育ちきった生の竹だ。

 メリアはにっこり笑って空気をつまんだ。


「これくらい齧るだけです。前歯で咥えて、こう、パキっと」

「……パキっと」


 アヅマはそっくり復唱しつつ、メリアの躰越しにプティーを見やった。鯛の鱗を取っていた。船室の窓から白い湯気が微かに見える。海水を沸かしているのだろう。


「――ささ、どうぞ食べてみてください! パキっと!」


 頭上から降ってくる自信ありげな声に頷き返し、アヅマはまず匂いを嗅いだ。無臭。竹の青臭さすらしない。舐めてみたいところだが、舐めればひと口食べざるをえなくなる。

 もしや、とアヅマは甲板にひっくり返るビスキーを見やった。気持ち痩せた頬に鯛の鱗が数片、貼りついていた。目が合うと、ざまぁみろとばかりに笑った気がした。


「えっと……どうなさいました?」


 メリアの胡乱げな眼差しに、アヅマは内心、エイ! と気合を入れて口を開いた。前歯に振れる感触は竹よりも柔軟さに欠け、竹板というより石だった。

 小気味よく響く破砕音。舌に触れる砂っぽさ。味は――、

 みしり、とアヅマの眉が寄った。

 星空と、それをかすめる銀河のもやが、意識を奪う。

 ひとつ、ふたつ、みっつと、船が波を乗り越えた。


「――んで? どんなもんだい?」


 プティーが手際よく鯛を三枚に下ろしながら尋ねた。

 はっ、とアヅマは気を取り直し、口中に残るザラザラとした塊を無理矢理に噛み砕いて喉に通した。流れない。唾とともに飲み下す。胃の底に溜まる奇っ怪な重み。

 どう、たとえるべきか――。

 まだ四半世紀に足らない人生なれど、未だかつて味わったことのないなにか。


「……たとえるなら」

「たとえるなら?」


 察したか、プティーはいまにも笑いそうな顔で船頭に鯛の御頭と中骨を渡した。

 まだ少し具合の悪そうな、しかし期待をはらんだメリアの眼差しを受け止めて、アヅマは意を決して言った。


「たとえるなら、乾かした山羊の乳と湿気った茶葉を混ぜた落雁らくがん


 さんさんと降りそそぐ光線がアヅマの肌に浮く汗玉を照らす。吹きつける逆風に船は斜行しながら前進し、横腹にあたった波が砕けて散った。


「……えっと、それって、美味しいんですか?」


 ブッフォ! とプティーが吹き出した。死にそうな顔色のビスキーが肩を揺らし、やがて天を仰いだまま笑い声を立てた。

 アヅマは、至極マジメな顔をして言う。


「……俺の好みではない」


 メリアの表情がかげるが、しかし、それを見越してアヅマはつづけた。


「――が、そもオークスとバンブーズでは好む味が違のだろう。メリアの口に筍飯が合わなかったのとそう変わらん。いい勉強になった」


 アヅマは残ったソイレント・バンブーを返し、頭を下げる。メリアはいまいち納得がいかないと言った顔でそれを受け取るが、


「――ほんじゃ、あたしらバンブーズは手前ぇの口に合ったもんを食うとしようか」


 追求されるよりも早くプティーが言った。その手元には、アヅマたちの他に船頭を含めても足りるであろうそぎ造りと、なお四、五人前を賄える半身が残っていた。

 それから。

 竹皮に包まれた握り飯を鍋に沸かした海水の湯気で温め、同時に鍋では味噌仕立てのあら汁を拵え、さらに竈の火で半身の一部を串焼きに。

 予想に反して温かい飯。それも、いつもの筍飯の握り飯とモーソーのメンマをのぞけば鯛づくしとなる昼飯に、アヅマは丁重に箸を揃えて頭を下げた。


「いただきます」

「あい、いただきます」


 作り手のプティーの言葉を受けてから、アヅマはまず仄赤い刺身に箸を伸ばす。塩気もいらない柔らかな甘味と、硬すぎず柔すぎず安堵すらおぼえる歯ごたえ。温められた筍飯を箸で崩して口に運び、出汁のたっぷり利いたあら汁を啜る。


「……うん。美味い」

「うんうん。やっぱし、あたしらにはこいつがいいやねぇ」


 アヅマとプティーと、船頭まで交えて焼いた鯛をつつく。こちらはさすがに皮が硬いが、初夏へ向かって脂の戻り始めたほくほくと解れる身ときたら、自称・都会生まれ竹林暮らしのプティーをして、


「しくったなぁ。こうなると知ってりゃ、ただの白飯も持ってきといたのにねぇ……茶漬け。これは焼き鯛茶漬けにすべきだったよ……」


 と、まで言わしめた。

 うん。それもまたよし。

 アヅマは海の幸を噛み締めながら遠く出立の大地を見やり、眉を寄せる。


「……やはりか」


 水平線の間際で、乗るはずだった汽船が火災を思わせる白煙をあげていた。

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