出港

 山中と比べればいくらか透かされた竹林の向こうに、海原が煌めいていた。長い長い竹桟橋を叩く靴音と、海風で揺れる笹葉、遠い潮騒が重なりあう。

 これで追手がなければな……。

 と、アヅマは詮無きことと知りながら思う。


「――海を見るのは初めてですか?」


 ふいにメリアが尋ね、アヅマは平静を装い視線を戻す。


「いや。あちこち流れていたころ何度か見た。ビワ・レイクでは船にも乗った」

「ビワ・レイクは湖です。海じゃありませんよ」


 メリアは口元を隠すようにしてクスクスと笑った。嘲るような笑みではなかった。

 トンネルでは前進にしか興味がなさそうに見えたが――、


「はしゃいでいるのか?」

「えっ?」


 さっとメリアの顔が強張った。桟橋を叩く靴音が少し重くなった。

 プティーがビスキーとの会話を切り上げ、肩越しにアヅマに振り向く。


「ようやく気が抜けたのさ。怒ってやりなさんな。なぁ、メリア?」

「え、えっと……」

「怒ってはいない。聞いただけだ」


 もじもじと言いよどむメリアを一瞥し、アヅマ竹林の狭間に海を見通す。


「水は己の心意を映す。水鏡も、川の流れも、崩れる波も、己の心意がそれを見させる。有り様を水に映して、念を捨てる」

「――なんだそりゃ? どこの仙人の教えだ?」


 ビスキーがしかめっ面を見せた。

 アヅマはやはり一瞥をくれ、視線を戻す。


「竹咲捨念流、七代目の教えだ」

「それって――アヅマさんのお父様ですか?」


 メリアの顔の強張りが解けた。

 アヅマは顔を正面に向け、そうだ、と小さく頷く。


「えっと、お父様はどのような方だったんですか?」

「分からん」

「……え?」

「分からんと言った。毎日顔を合わせ、剣を習いはしたが、今でも分からん」

「えっと……」


 メリアは救いを求めるような眼差しをプティーに向けたが、彼女は肩を小さく竦めてみせただけだった。

 収まりの悪さを感じさせる沈黙に、アヅマは鼻で息をつく。


「父は百姓だった。祖父もそうだったと聞いている」

「えっと……剣術の道場とかでは……」


 アヅマは腰に差した刀に触れ、ビスキーの大柄な背に目をやった。


「門人を取るのはオークスに禁止されていた」

「禁止って……でも七代目って……」

「一子相伝だ。それも禁止されていたらしい。俺が継いだと知られて父は死んだ」


 鉛のように重い沈黙が降りた。アヅマの顔を直視できないのか、メリアは伏し目がちなまま口を開きかけ、なにも言わず閉じた。

 ビスキーがちらと振り向き、冷めた目をして言った。


「禁を破ったんなら当然だろうな」


 すぐにプティーが顔をしかめた。


「息子に剣を教えたくらいで命まで取るのはやりすぎってもんだ。オークスってのはどいつもこいつも……」

「いや。理はわかる」


 アヅマはプティーの話を遮り、後を続けた。


「門人を増やされるとは、武力を持つ異人種が増えるということだ。竹咲捨念流は護身の剣だが、知らなければ嫌われるのも頷ける」

「知ってたって同じだろ」


 ビスキーが言った。


「バンブーズの頭を押さえ込んでんだ。護身だとかほざいて斬ってくる」

「竹を伐っても人は斬らん」

「お前はな。教えられた奴らもそうかと言われりゃ分からねぇだろ」


 剣呑な気配が満ちた。ビスキーは紙巻きの煙草を口に挟み、プティーが竹煙管を出して苛立たしげに噛み咥えた。

 メリアはおろおろと首を振り、言いにくそうに唇を動かした。


「あの……ご、ごめんなさい……」

「なにを謝る?」

「えと、お父様のことを……」

「メリアのせいじゃない。それに、オークスのせいでもない」


 アヅマは竹間で揺れる海を見つめて念を消し、淡々と言った。


「俺に剣を教えたのは父の決めたことだ。それをオークスに伝えたのはバンブーズだった。それに――逃げようと思えば逃げ切れた」


 なぜ逃げなかったのか。

 あの日以来、父のことが分からない。

 紙巻きの煙と、煙管の煙が、それぞれ左右に分かたれて散った。


「そのへんにしとけ。港だ」


 ビスキーが吸いかけの煙草を足元に落とし踏み消した。

 むっと鼻につく生臭さ。ちょうど朝の漁から帰ってきたところらしく、大小様々な漁船が乗りつけ漁師たちが忙しく動いている。

 そこはオークスに飼われているバンブーズと、そのまた子飼いが暮らす世界だ。


「あー……せっかく海まで来たんだし、雑魚の一匹でももらってきたいねぇ」


 プティーが伸び上がるようにして首を鳴らし、煙管をポンと叩いて灰を落とした。


「そいつは手前ぇで勝手にやれ。ほら、あれだ」


 ビスキーは鼻を鳴らし、桟橋の方へ顎を振った。漁船より遥かに大きな三本煙突の貨物船が停泊していた。初めて目にする巨体に、アヅマは思わず感嘆の息をつく。


「すげぇだろ。ジャックさんの船だぞ? あれで竹を運んでるんだ」

「……竹なんぞどこにでも生えているだろうに」

「『名は体を表す』んだとさ。バンブー・ヒルの竹は使えるのが多いって話で――って、んなことはどうでもいいんだよ」


 得意げに話していたビスキーだが急に言葉を切り、金属竹の火打銃を携え桟橋の前に居並ぶ四人の護衛に片手をあげてみせた。


「俺に任せろ。変なこと話すんじゃねぇぞ?」


 変なこととは、と疑問を思いつつもアヅマは頷き返した。

 ビスキーが護衛のひとりに声をかける。


「来たな。話は聞いてるか?」

「はい。我ら四人しっかり務めを果たさせて頂きますので、そのあかつきには――」

「ちゃんと報告するさ。そいじゃ、先に乗って待っててくれ。先に用を済ませたい」

「用……? 船がでるまでもう一時間もありませんが……」

「朝からなにも食ってねぇんだ。すぐ戻る」

「ならば我らも――」

「やる気だけもらって……いや、銃を一揃い寄越せ。それで十分だ」


 ビスキーの物言いに、後ろに控えていた護衛のひとりが眉をひそめた。


「それで万一のことがあったら我らが――」

「――よし。じゃあ手前ぇのを一揃い寄越せ」

「はっ!?」


 動揺する護衛に、ビスキーは冷たい眼差しを向ける。


「俺を誰だと思ってやがる? 依頼人の言うことにいちいちケチつけるような護衛をジャックさんのお傍に置いとけるかよ。そんなら、まだこいつらの方が役に立つ」


 言って、ビスキーは肩越しにアヅマたちを指差した。


「お前は解任だ。帰りたきゃ帰ってもいいが、銃は置いてけ。俺が使う。残る気があんなら他のと一緒に船で待ってろ。いいな?」


 言われた護衛は顔を真っ赤にして火打の長筒と拳銃を差し出した。ビスキーはそれを受け取ると、拳銃を腰の革帯に挟み込み、さっさと動けとばかりに立てた人差し指をくるくる回した。

 護衛たちが一斉に背を向け、浮き桟橋を歩き出す。銃を取られたひとりが恨めしげに振り向いたが、ビスキーが睨みをくれると慌てて前を向いた。


「……どういうことだい?」


 プティーが小声で尋ねた。


「陽動だよ。四人組でひとり得物を持ってない。列車で襲ってきた連中なら顔見りゃ気づくだろうが出港までにここまで来んのは容易じゃねぇ」

「ふーん? で? あのバカどもが騒いで出港が遅れたらどうすんのさ」

「そん頃には船の上だ。ついて来い」


 ビスキーは火打銃を肩に担ぎ、踵を回した。

 港を離れ砂浜へ降り、乗り付けた小舟を横目に歩きつづける。

 浜辺を見下ろすように立つ竹林に埋もれた謎の建造物にアヅマは息をついた。

 まるで茸のようというべきか、高さの違う何本もの柱に屋根のない舞台が乗り、それぞれを橋で渡してあった。


「……ビスキー、あれはなんだ?」

「いつ誰が作ったのかも知らねぇよ。――ってか、そっちじゃねぇ。あれだ」


 言ってビスキーが指差したのは、砂浜から長く伸びる浮き桟橋と、いくつかの帆船だった。どれも先の汽船に比べればずっと小さく、釣り小舟にしては大きい。

 アヅマは謎の舞台に後ろ髪を引かれつつ、後につづいた。


「……この仕事が終わったら、あすこ、ちょっと覗いてみるかい?」


 ふいにプティーに話しかけられ、アヅマはくっと背筋を伸ばした。


「別に、いい」


 プティーがくつくつと肩を揺らした。


「いいじゃないのさ。付き合いなよ。あたしも気になるんだ」

「……考えておく」


 ビスキーが振り向き、苛立たしげに言った。


「いつまで駄弁ってんだよ。あれに乗るぞ」


 白茶けた樫材の船だった。支柱は船首と船尾にそれぞれ大小二本で、船の中央に小さな小屋が建っている。

 と、足音に気づいたのか小屋から初老の男が顔を出し、目を丸くした。


「ビスキーさん! どうなさいました!? 今日は聞いてませんが……」

「言ってねぇからな。野暮用でトーキョーまで行きたいんだが、出れるか?」

「トーキョー!? トーキョー・ベイをこいつで渡ろうってんですか!?」


 男の口調と、年嵩のわりに大柄で引き締まった体格からすると、オークスとの間の子か大陸北方を起源とするバンブーズだろうか。

 ビスキーは唇に湿りをくれ、吐き捨てるように言った。


「渡れないか? 渡れねぇんなら他を当たるが……」

「いえいえいえ! 渡れますよ!  渡れやしますがね……?」


 男は躰を傾げ、メリアとアヅマたちの姿を認め、顔色を窺うように言った。


「こいつじゃ酷く揺れますぜ? ビスキーさんたちは汽船の方が……」

「やるのか、やらねぇのか、どっちだ?」


 ビスキーが火打銃を肩から下ろし顔を前に突き出すと、男は大慌てで背筋を伸ばし、左手を船首に伸ばした。


「や、やります! やらせていただきます! どうぞ乗ってやってください。いますぐ出れるように支度しますんで……」


 男が言い終わらないうちにビスキーが船に乗り込み、メリアを手招いた。


「さ、どうぞ。こいつは俺たちが釣り遊びに使ってる船です。ちょいと古いですが、船頭の腕もたしかですよ」

「えっ、と……」


 メリアは船頭の男に愛想笑いを見せ、ビスキーに手を渡して桟橋を蹴った。


「あの、もうちょっと丁寧に頼んだりできないんですか……?」


 そうメリアが耳打ちすると、ビスキーは大げさに腰を伸ばし船頭に叫んだ。


「頼むぞ! 急ぎだからな!?」

「は、はぃ! いますぐ!」


 船頭がどもりながら返事をするのを見て、メリアは深いため息をついた。

 その一方で、


「やったね。釣りができそうだよ、アヅマ」


 プティーは意気揚々と船に乗り込んだ。

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