落着

 竹林に横たわる胴の破れた機関車、くしゃくしゃに潰れた車列、さらに一本の竹のようにそびえ立つ客車が一両。中途に傷つけられた竹が潮風に晒され、危なっかしく揺れている。

 歩廊にいたオークスたちは我先にと群がり、距離を取って覗き込む。はたして生き残りなどいるのだろうか。火が出る恐れもあるのか手を貸そうという者はいない。それは、彼らの『荷物』たるバンブーズも同じだった。

 ぎぃっ、と直立していた客車が軋み、野次馬がどよめいた。なにが起ころうとしているのだろうか。考えるまでもないことだが、初めて目にした列車事故に人々の頭は思考を停止していた。軋みがさらに大きくなり、車両が微動し、ようやく気づく。


「倒れるぞ!」


 野次馬の群れから声があがった瞬間、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 車両はゆっくりと、確実に傾ぎ、やがて勢いを増し、地響きにも似た音を立てながら倒れた。拍子に笹葉と土埃が舞い、死に体だった竹のいくつかがへし折れた。

 一旦、散った野次馬が恐る恐る集まり覗き込むなか、扉の吹っ飛んだ客車の最後尾ドアからひとりの男が這いずり出た。

 煤で汚れた黒ずんだ顔、濃紺の作業着、機関士だ。

 機関士は転がり落ちるようにして社外に出ると、地に手足を突いて言った。


「――な、なかに……生き残りが……誰か、手を……!」


 その懇願に、オークスの野次馬は顔を見合わせ、振り向き、大声で笑った。『積荷』のバンブーズの肩を叩き、なんで笑わないのかと問う者もいる。機関士が疲労で顔を歪め、伏したとき、


「――ジャックさんの汽車が壊れたってのに、笑うとは、いい度胸じゃねぇか」


 のそり、とビスキーが顔を出した。額の左半分を真っ赤に濡らし、背にはくたばり損ないの護衛を背負っていた。


「手を貸そうってんなら黙っといてやってもいいが――分かってんだろうな?」


 眉間に深々と刻まれた皺、血で汚れた眼窩から睨みを利かせる碧眼、握り固めた左の拳を前にして、野次馬の笑い声は消え失せた。誰ともなく生唾を飲み、ビスキーの後ろにジャック・王の影を幻視し、縮こまりながら手を貸そうと進み出る。

 ビスキーは血の味混じりの唾を吐き捨て、背負っていた護衛を下ろした。

 そして。


「――マさん! アヅマさん!」


 未だ聞き慣れない丸っこい声の緊迫に、アヅマは瞼を持ち上げた。霞がかったメリアの姿。二度、三度と瞬く内に焦点が定まり目に涙を溜めた顔がはっきりと写った。

 なぜ、泣いているのだろうか、とアヅマは痛む頭で思考する。

 生き残れたからだろうか。アヅマが生きていたからだろうか。それとも――、


「良かったな。旅がまだ続けられそうで」

「――えっ」


 目を丸くするメリアを見て、アヅマは考えすぎかと自嘲しながら痛む躰を起こした。見れば、客車の天井は左手側に、長椅子の列は右手側に並んでいる。


「気にするな、冗談だ」


 出そうになったため息をそう誤魔化しておき、アヅマは右腕、左、胴、足と順に握った。動きに問題はなさそうだった。打ち身と擦り傷、小さな切創と、数え上げたらキリがない。骨が折れた様子はないが、躰を捻ると左の脇腹が酷く傷んだ。


「――生きているならそれで良し、か……プティーと……ビスキーはどうした?」

「ご無事です。プティーさんに見ておくように頼まれて……さっき荷物を取ってくるといって外に出ました。ビスキーさんは汽船と新しい護衛の手配をするって仰ってました」

「……汽船?」

「えと、蒸気船です。私も乗ったことはないんですけど――」


 正気か? とアヅマは首を垂れた。蒸気機関車が簡単に操られた結果がこのザマだ。このうえ汽船に乗ろうだなんて、よくもそう思えるものだ。変なところで図太いのか、単に頭が悪いだけなのか、あるいは汽船とはそれほど早いのだろうか――。

 はっ、とアヅマは顔をあげた。


「俺はどれくらい寝ていた?」

「寝ていたって……えっと」


 メリアが傍らの肩掛け鞄を開き、懐中時計を引っ張り出した。大まかに言うというのを知らないのだろうか。


「五分……いえ、八分ですね」

「そんなにか!?」


 アヅマの切迫した声に、メリアがびくんと固まる。


「そ、そんなにって……」

「ビスキーの話を忘れたか? バンブー・ヒルからフッツまで汽車で十五分。襲われたのはトンネルだ。すぐに追いつかれる――いや、待ち伏せがあるかもしれない」


 アヅマは腰に手をかけた。そこにあるはずのものがなかった。急ぎ首を巡らせると、メリアがすぐ後ろから刀を出した。


「これですよね? さっき見つけたんです」


 自分とプティー以外――それもオークスが手にしているという事実が許しがたく、アヅマは腸が煮えくり返るような思いで鞘を掴んだ。しかし、


「――ありがとう」


 雑念はすべて捨て去るべし。アヅマは竹咲捨念流の教えに従い、礼を言った。


「行こう。時間がない」

「行こうって……休まなくていいんですか!?」


 信じられないと言わんばかりの目をするメリアに、アヅマは至極マジメに答えた。


「休むなら船の上でもできる」


 後手必勝が竹咲捨念流の極意といえど、それは立ち合いでの話。追手を撒こうというのに遅れを取るわけにはいかなかった。

 客車から出たアヅマは、妙に強く感じる日差しに目を細めた。汽車が竹藪を切り開いたことで陽光を遮るものがないのだ。近くに並べられた夥しい数の遺体と、微かに香る爽やかな潮の匂い、そして不満と怒りと諦めの入り混じった顔で右往左往するオークスたち。

 彼らが時折ちらりと視線を向けるその先で、ビスキーが紙巻きの煙草を口端に咥え、さながら蒸気機関車の如くパカパカと煙を吹いていた。


「ビスキー」


 アヅマが名を呼ぶと、ビスキーは振り向きざまに少し待てと片手を挙げた。傍のオークスに二言、三言を言付け走らせて、首の骨をコキコキ鳴らし、額の包帯を撫でながらアヅマの側に歩み寄る。


「無事だったみたいだな。悪運の強い野郎だよ」

「運ではない。道理だ」

「道理って手前てめぇ……まぁいい。いま追加の護衛と汽船を手配したとこだ」

「それだが……汽船はまずい。いま起きたことを忘れたか?」

「忘れるもんか。一生夢に見そうな最高の思い出だよ」


 そういうビスキーの目は冷めきっていた。腹立ち紛れの軽口ではないらしい。

 ひとまず任せるべきかとアヅマは小さく頷き返す。


「それで、プティーは」

「あぁん?」


 ビスキーは首を伸ばすようにして辺りを見回し、アヅマの背後を指差した。


「あいつなら――ほら、あっこだよ」


 大柄な腕の伸びる方に振り向くと、ちょうどプティーが小さな竹行李をふたつ担いで客車の陰から出てきたところだった。色鮮やかだったポンチョに、べったりと赤色の染みができていた。


「プティー!」


 アヅマは半ば我を忘れて駆け寄った。

 プティーがぎょっと目を見開いて行李を下ろす。


「なんだいなんだい、犬っころじゃあるまいし……どうしたね?」

「その血はどうした!? 怪我は!?」


 プティーは煌めく黒瞳をぱちくり瞬き、次いでポンチョに目を落とし、苦笑した。


「これかい? これはあたしの――」

「どこをやられた!?」


 アヅマはプティーの返答を待たずにポンチョを一息にめくりあげ――ようとして、


「ちょいちょいちょい! なにやってんのさバカ! あたしンじゃないって!」


 ベチン! と頭を叩かれた。

 怪我ではない? と首を傾けるアヅマ。

 プティーは仄かに頬を染めつつ、竹煙管を出した。


「死体があたしの上におっ被さったんだよ。ちったぁ落ち着きなよ、らしくない」

「ぬ……」


 と、アヅマは小さく唸り、竹行李を拾った。


「煙草は止めておけ。傷に障るぞ」

「はぁ? だーかーらー、傷なんてないって言ったろう?」


 プティーは器用に片手で刻み煙草を丸めて詰めると、牙を剥くようにして咥え込み、火打を鳴らした。あたかも何ら臆することなしと見せつけるかのように煙を含み、細く、長く吹き出す。唇を舌で湿らせ、もう一服。


「まったく情けない声出してさぁ。もう甘えるような歳じゃねぇだろう?」

「……すまん。動揺した」


 口を結び頭を垂れるアヅマに、プティーがかくんと肩を落とした。


「おーい、今度はしょぼくれすぎだよぉ。どうした、変なとこでも打ったのかい?」

「かもしれん」


 なおも暗い顔をするアヅマに、プティーは煙管を持つ手を舞うようにくねらせた。


「……だーいじょうぶだよぉ。ほら見な、ピンピンしてんだろう?」

「ああ、そうだな……」


 これ以上の心配をかけぬようにと、アヅマは半ば無理矢理に口角を吊った。

 そんなふたりのやりとりを遠くに見つめ、メリアが呟くように言った。


「驚きました……アヅマさん、あんな顔もするんですね……」


 傍らのビスキーは、口中に紛れ込んた煙草の葉を吐き捨て、鼻を鳴らした。


「家出モンのプティーと違ってアヅマは天涯孤独だったそうですからね。あいつにとっちゃ家族みてぇなもんなんでしょう」

「……ビスキーさん」

「なんでしょう」

「助けて頂いているのはこちらですし、敬語は不要ですよ」


 慇懃いんぎんに言って、ビスキーは新たな煙草を唇に挟んだ。

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