激突

 いまの加速をつづければ、五分もかからず突き当りの車止めに衝突、脱線、その先の竹藪に突っ込むことになるだろう。


「……屋根に登れば俺たちだけ先に飛び出せないか?」

「で、竹にバラバラにされんのかい?」

「まずは加速を止めないことには、か」


 アヅマたちは燃料として積まれている朱色に塗られた火炎竹の稈の山を越え、機関室の扉を開いた。尋常ではない熱気にすぐさま汗が吹きだす。顔に火傷を負っていた機関士は床に寝かされた状態で震え、かろうじて動けるもうひとりがいくつもの計器を睨みながらハンドルを操作していた。


「おい! どうなってる!? なぜ止まらない!」


 機関室の騒音に負けぬようアヅマは叫んだ。機関士は一瞬、肩越しに振り向き再びハンドルを動かした。ほとんど悲鳴のような音をかき鳴らし、車両がひとつ震えた。


「くそっ! またダメだ! だから手ブレーキをつけてくれって言ったんだ!」

「ちょいと! なにがどうなってんのさ! 少しは教えてくんないかね!?」


 業を煮やしたプティーが機関士の背を小突いた。

 機関士は煩わしそうに振り向き、煤で汚れた顔を赤くした。


「ブレーキが利かない――いや、利いてるんだが、制動力が足りてないんだよ! ここでかけられるブレーキは一回使ったら二回目には時間がいる!」

「どうして加速しつづける!」


 アヅマの問いかけに機関士は計器のひとつを指差した。針はとっくに振り切れていた。


「ボイラー圧が下がらないんだ! 正面の窓の外を見ろ! 安全弁に変なもんが絡みついて開かないんだよ! アクセルも利かないし――だから速度が落とせない!」


 見れば、窓の外、巨木な竹稈が横たわっているようにも見えるボイラー室の天辺に緑の塊――連結器にもあった竹らしき植物――が絡まっていた。


「またあれか……あれは伐るのは難しいぞ」

「アヅマで無理ならあたしでも無理か……万事休すだねぇ。本当に屋根に登ってぶっ飛んでみるかい? それともこいつから飛び降りる?」


 プティーがふざけ半分に言うと、機関士がヤケクソ気味に笑った。


「そいつはいいアイデアだな! ボロ布にならなかったら教えてくれ! 俺も飛ぶ!」


 機関士が指差す計器では、針が百二十と書かれた線を振り切っていた。時速百二十キロメートル以上――飛び降りてどうなるかなど、アヅマには想像も及ばない世界だ。


「……俺やプティーなら無事かもしれんが、ビスキーやメリアはもたんな」

「じゃあどうする? もう時間がないよ?」


 プティーの言う通り、先程はまだ遠く思えたどん突きも、いまはもう目の前とすら感じられる。安全弁とやらに絡まる竹を斬り飛ばせるかは怪しい。

 打つ手なし――いや。

 アヅマは機関士の肩を叩いた。


「あれは安全弁だと言ったな? 弁の代わりに穴を空けたらどうなる?」

「はぁ!? 穴を空ける!? どうやって! ありゃどっからか持ち込まれたドデかい金属竹を引っこ抜いてきて拵えてんだぞ!? 穴なんか空けられるやつがいるかよ!」

「いるねぇ、ここに」


 プティーがニヤッと唇の片端を吊り、アヅマの胸を叩いた。


「言ったからにはやってくれるんだろうね、アヅマ?」

「他に方法もない」


 未知の竹ならまだしも、既知の竹なら切って切れないはずがない。ふたりは機関室の外に出、プティーが昇り、アヅマを屋根に引き上げた。

 轟々と受ける風に負けじと足を根張ねばり、プティーに背合わせで押してもらいながら前進する。黒光りするボイラーの稈は膨大な圧力に膨れ上がり、表面の塗料が繊維の方向に沿ってひび割れていた。


「……目に見えているなら、これほど楽なこともない」


 アヅマは腰を落とし、長く肉厚な竹切り庖丁を大きく、高く振り上げた。竹咲捨念流にはない大上段、太刀筋も真っ直ぐ落とす特殊な形。試したことはないが、やってできないこともない――はずだ。


「やらいでか!」


 アヅマは神経を研ぎ澄まし、破裂間際まで膨れたデビル・バンブーを見据える。全身から放たれる覇気が、竹稈の内側に溜め込まれた圧力に負けじと膨れ、躰の内を通じて刃先に達する。敵と、己を、釣り合わせる。

 気を合わせ対と成る。

 己と敵とを融け合わせるべく、意思なき竹の意を汲み、呼吸を合わせる。アヅマの内から全ての念が削ぎ落とされ、一本の長大な枝を持つ竹と化していく。

 その背が放つ一種異様な迫力に、機関士は、


「気をつけろ! 穴が開くと同時に高温の蒸気が噴き出すぞ!」


 百も承知。もそれを望んでいる。

 あとはただ、刀で道を拓いてやるだけ――!


「――ッェェェエエイヤァッ!!」


 気合一閃。アヅマの刃が黒金の稈に喰い込み、溜めた圧が爆発力に変わる。刹那。

 ひときわ大きく胴が膨らみ、轟音とともに爆ぜ割れた。

 なにもかもを焼き尽くさんとする蒸気が風に流されアヅマを襲う――が、肌に触れるよりも早くプティーのポンチョが彼を包んだ。

 熱気。

 車輪から急激にトルクが抜け、アヅマの躰が前へと押し流される。プティーはアヅマの腰帯を掴み、機関室の窓枠に引っ掛けたククリを頼りに躰を手繰った。


「ブレーキをかけるぞ!」


 機関士の声と同時にさらなる減速がかかるが、止まるには至らない。車輪は火花を散らしながら慣性による回転を再開する。亀裂によってボイラーの圧を抜いたため、真空の再充填は不可能。したがって再度の制動もできない。


「急げ! 後ろに移るぞ!」


 払われた蒸気の向こうには、すでに竹林が迫っていた。眺める余裕さえあれば、歩廊に待つオークスたちが恐れ慄く顔も見えただろう。

 プティーはポンチョを払い、アヅマを力いっぱい引き寄せた。


「行くよ!」

「承知!」


 アヅマは素早く納刀、プティーを追って機関室の屋根から飛び降りた。床で震えていたもうひとりの機関士を背負い、急ぎ揺れる車上を駆けていく。

 まず機関士がもたつきながら客車に滑り込み、次いでプティー、怪我人、アヅマとつずく。客車に入ると、ビスキーがうんざりした顔で怒鳴った。


「今度はなにがどうなってやがる!」

「話してる余裕はないよ! ビスキー! デカいんだからそこの生き残りを背負いな! 後ろに行くよ!」

「後ろだぁ!? しかも俺に背負って!?」

「あんた以外にゃ背負えないんだよ! 置いてきたいなら好きにしな!」


 言うなり、プティーは慌てふためくメリアの手を引き走りだす。アヅマも後ろに追いすがり、横を過ぎる間際ビスキーに言った。


「助けてやれ。同じオークスだろう」


 ビスキーは、駆けていくアズマの背と床に転がる死に体の護衛を見比べ、床を蹴った。


「――クソがっ! なんで俺がこんな役立たずを助けなきゃいけねぇんだよ!」


 後ろの客車は二両ともプティーすら唸るような惨憺たる有様だった。一両目を塞がれて後ろに回されたのであろう客たちに生存者はひとりもいない。皆、椅子に腰掛けた姿勢のまま息絶えていた。おそらく、襲撃者は客に紛れ込んでいたのだろう。雇われのオークスなどという存在がいるとは思い難いが、でなければ、オークスにとって都合のいいはずの竹が作った世界を滅ぼす意味はなんだろうか。


「――で!? こっからどうすんだ!」


 ビスキーの苛立ち吐き捨てるような声に、アヅマは思考を中断、客車最後方の扉を蹴り開けた。床に押さえ込まれるような微かな圧力。列車が坂を降りきった。軌条の間に横たわる枕木を視認できるくらいには速度も落ちてくれていたが、


「あ、あの、まさかそこから飛び降りるんですか……!?」


 顔を青ざめるメリアに、アヅマは淡々と答えた。


「違う。車両がひしゃげた後で出口がなくなったら困るからだ」

「――え? それって……」

「プティー。死体を借りよう」


 アヅマはメリアを無視して、客の死体のひとつを最後列の椅子の前に移した。


「いやな座布団だねぇ……」

「急げ。もうぶつかるぞ」


 わかってるとばかりに手を振り、プティーも、ビスキーもならう。怪我人も機関士も含めた全員が死体の前に揃って並び、


「――嫌だねぇ、あたしら、死ぬにはまだ早すぎるよ。ねぇメリア?」

「――へっ? え、あ……そ、そうですね……」


 ハハハ、とメリアが乾ききった笑い声を立てた。

 重く厚い空気を切り裂き、車両が駅の歩廊ホームに差し掛かる。車窓にうつる客たちの驚愕に満ちた顔。アヅマはため息ひとつ漏らさずに答える。


「早すぎるなら死なん。安心しろ」

「――できるか! なんで手前ぇらは平然としてられんだよ!」


 吠えるビスキーに、アヅマは淡々と言った。


「ビスキー、足を突っ張るな。膝から折れるぞ」


 大柄な体躯に見合わぬ怯えようでビスキーが膝を抱え込み、その裏でこっそりと機関士も膝を曲げた。

 瞬間。

 アヅマは爆発的な圧力を受け止め背後の死体に押し付けられた。

 歩廊で待つオークスたちの目の前を猛然と横切り、機関車が車止めに衝突、粉砕してなお突き進む。軌条という束縛から解き放たれた喜びからか、土埃を巻き上げ笹葉を散らし、鬱蒼と繁る竹藪を次から次へとなぎ倒して行く。

 連結器が悲鳴をあげながら叩き折れ、機関車から一両目、二両目と順に蛇のように躰をくねらせ横転、三両目は穴にはまると同時に前の車両にぶつかり、派手に軋みながら直立した。

 車中のアヅマは、玩具のように宙に投げられたそのとき、キラキラと光りながら飛散するガラス片の向こうに、青空を見た。

 衝撃。暗転。

 アヅマの意識はそこで途切れた。

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