暴走

「無事か?」


 アヅマは客車に入るなり緑に光る竹を椅子の間に投げた。ぼうっと照らし出される床に伏した護衛の面々。ふたりは白目を剥いて絶命し、ひとりは舌を突き出し痛みに喘ぎ、残るひとりは腹に受けた傷を押さえて震えていた。


「あんな連中に遅れを取るわけ――なんて言いたかったんだけどね」

「やられたのか!?」


 アヅマの緊迫した声に、客車の一番奥でプティーが鼻を鳴らした。


「もう最悪だよ。前髪をちょいと切られちまった」


 ハハハッ、と軽やかに笑い、プティーが竹発条の火打を鳴らした。一瞬、見て取れた顔に焦りはなかった。

 アヅマは鼻で息をつきつつ納刀、腰から鞘を抜き、喘ぐ護衛の首に指先を当てた。脈が早すぎた。長くはもつまい。


「苦しいだろうが呼吸を抑えろ」

「あ、あ、あの! 私が手当を――」


 メリアが怯えたような顔をして立ち上がる。

 アヅマは傷を押さえる護衛を指差し言った。


「そっちを頼む。それと――ビスキー。お前は無事か?」

「まさか心配されるとは思わなかったよ。……右の拳が死ぬほど痛ぇ」

「拳か。なら死なん」


 アヅマは淡々と言い、息の衰えていく護衛の肩を強く掴んだ。男はべっとりと血のついた手をアヅマの手に重ね、呼吸を減らし、やがて止めた。


「プティー。追手はどうなった?」

「信じられるかい? 五人も突っ込んできた。追っ払うのが精一杯さ」

「それもあるが……気づいたか?」

「ああ、うん。ふたりいた」


 ふーっ、と細く長く竹煙管の煙を吹き出し、プティーはせっせと手当をするメリアの背を見つめた。アヅマも姿を認めたオークス。五人のうちにふたり。多すぎた。

 追手に心当たりはあるのか? 遅きに失した疑問を問おうとしたとき、

 ガンッッッ! と鋭く車両が揺すぶられ、アヅマは床に手をついた。


「今度はなんだよ!?」


 ビスキーが吠えながら窓に顔を近づける。


「やめておけ。まだ竹が生えてる。首を飛ばされるぞ」


 嫌そうな顔をして首を引っ込めるビスキー。揺れは激しさを増し、轟々と音を立てて車両が加速していく。

 プティーが胡乱うろんげに背後の壁を見つめた。


「ちょいとアヅマ、ちゃんと竹は始末したんだろ? えらい揺れるじゃないさ」

「火炎竹の延焼は食い止めた――が、動かすようには言っていない」

「――あん?」

「戻る前、先頭の車両の前に人影を見た。なにかされたのかもしれないが――」


 機関車を外から動かすなぞできるのだろうか? アヅマは眉を寄せてメリアを見下ろす。

 応急処置を終え、メリアは自分を見つめる三つの視線に気づいた。


「……え、えと……どうしまし――ひゃぁ!?」


 またひとつ大きく車両が揺れ、メリアが小さな悲鳴をあげながら転がりかけた。

 アヅマは咄嗟に背を支え、声を低める。


「……蒸気機関車ロコモーションが加速している。機関士が触っていないとしたら、どうしてかわかるか?」

「機関士が触っていないとしたら……? ええと……蒸気機関車はお湯を沸かして蒸気で動いてるはずで、蒸気は機関士が操作してますから……」

「仮の話として聞いている。こいつは見たところ金属竹の加工品で組み立てられている。なにか操作を加えて、外から無理やり動かすことはできるか?」

「外側から……?」


 メリアは口を半開きにしたまま忙しく視線を宙に彷徨わせる。プティーが前髪をかきあげ、面倒くさそうに首を左右に傾けた。


「アヅマ。デビルバンブーったって、死んだ竹なんだよ?」

「心得ている。もしも、で聞いたんだ」


 ガンッ! とまたひとつ車両が大きく揺れ、窓を割らんばかりの汽笛が響いた。

 メリアは瞳の焦点をアヅマに合わせ、顔を強張らせた。


「できるか……できないかでいえば……」

「……できるか」


 アヅマの問に、メリアが喉を鳴らしながら頷いた。


「できるできないで言えば、できます……でも、」

「やるには研究所とやらの技術がいるか?」


 メリアが首を小さく縦に振った。

 その震える肩にそっと手を置き、アヅマは刀を手に腰を上げる。


「内通者がいるのは確実だな。だが、そう悪いことばかりじゃない。却って手の内も知れるというものだ」


 そう話す内にも機関車は加速をつづけ、めりめりと竹を拉ぎながら猛進し、終には、パッと辺りが明るくなった。トンネルを抜けたのだろう。陽光に焼かれた目を瞬くと、窓の外を濃密な煙が流れていった。

 プティーが震動する車両の壁に手を突き、前の扉に寄る。飛び去る景色はもはや線としか見えず、金切り音を上げる車輪がときおり火花を散らしながら弾んでいる。


「……こいつはちっとまずいねぇ」


 飄々と言ってのけ、プティーはメリアに振り向く。


「こいつを止めるにはどうしたらいい?」

「えと、えぇと……」


 メリアは瞳をぐるぐると動かし、はっとして叫ぶように言った。


「連結器を外せば暴走するのは機関車だけです! それか先頭の一番太い稈――胴に穴を空ければ加速できなくなるかもしれません!」

「なるほど。なら……アヅマ?」

「うん。竹を伐るのが仕事だ」


 アヅマは刀を腰に差し直し、プティーの側に寄る――が、ビスキーが顔を歪めてふたりを止めた。


「おい! 外に出る気か!? 死ぬぞ!?」

「このまま乗ってたって生きるか死ぬかはおんなじさ。バカだねぇ」


 プティーがくつくつと肩を揺らした。


「バカはてめぇらだ! こいつはな、こうやって止められんだよ!」


 言って、ビスキーは客車の隅に走り、天井からぶら下がる鎖を思い切り引いた。瞬間。

 鼓膜をつんざく金切り音を響かせ車両が減速、アヅマたちは壁に押し付けられた。

 しかし、


「……止まらんな」


 車両は変わらず前へ前へと進み、一旦は下がった速力もまた勢いを上げていく。


「――なんでだよ!?」

「アハハハッ! そいつがわかりゃ楽に止められんだけどねぇ!」


 プティーが声をあげて笑い、ビスキーのこめかみに青筋が浮かんだ。

 アヅマは鼻で息をつき、扉を開ける。流れ込んでくる猛烈な風が、汗の浮いた躰に心地よく思えた。


「……前に行くのはいいとして、どうやって行く?」

「えぇ? そりゃ――」


 プティーは笑いすぎで目尻に溜まった涙を指で払い、アヅマを脇に押しのける。


「こうやってだよ」


 言うが早いか、プティーは扉の枠を蹴って飛び上がり、天井と扉の上端に手をかけくるりと回転するように天井へと消えた。

 見事なものだと感心するアヅマの前に、プティーの手が伸びてきた。


「ほらアヅマ! 捕まりな!」

「承知」


 手を握り返すと、頭の上でプティーが息を合わせようと言った。


「いいかい? 一、二の――」


 三を聞くのと同時にアヅマは床を蹴った。風を受けた躰が一瞬、流されかけたがすぐにプティーが引き上げる。彼女は屋根にククリを突き立て身を支えていた。

 速度が上がりすぎているのか、機関車が吹き出す煙は煙幕のようだ。

 ふたりは顔を見合わせ、頷きあう。


「あたしが先。マヅマが後」

「心得た」


 するりするりと前に進み、機関車と客車の狭間で下を向く。鍵金を組み合わせたような連結器には、竹とも笹ともつかない植物が何重にも絡みついていた。


「……どう見る?」

「やるだけやってみる」


 アヅマは車両の間に飛び降り、鞘を立てるようにして刀を抜いた。不安定な足場に、通常なら振り下ろすことのない角度。雑念も音も迷いも搦めて其処に置き、


「――エィヤァッ!」


 アヅマは刀を振り下ろした。刃が植物に食い込み、断ち切り、止まった。手応えは至らず。連結器にぶつかる前に引こうと企んでいたが、それ以前。

 止めたのではなく、止められたのだ。


「……ただの竹ではないか」


 歯噛みするアヅマを嘲笑うように列車が弾んだ。咄嗟に体勢を整え、もう一太刀くれてやろうかと下を向くと、竹とも笹ともつかぬ植物が海月くらげの足のような根をうねらせ再び連結器を覆った。


「……面妖な」


 アヅマは素早く納刀し、腕を伸ばす。


「ダメかい!?」


 プティーが引き上げながら言った。

 アヅマは首を左右に振るしかなかった。


「まいったね。もう街が近いっぽいよ?」


 プティーが肩越しに車両の先を指差す。竹藪の頭を越したずっと向こうに真っ青な海が広がり、遠くぼやける対岸に緑を切り裂く白い街並み。トーキョーだ。

 だがその前に。

 坂を下るようにして山を降りていく軌条の先に、竹藪のどん詰まりが待っていた。

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