不覚

 一太刀、また一太刀と、銀閃が走る度にパッと火の粉が舞い散った。

 狭いトンネル、足元は積もった笹葉で滑り、さらに枕木と軌条が横たわる。燃え盛る火炎竹の明るさが却って陰を色濃くし、竹の水分が生む白煙が視界を奪う。出掛けに被った水は火に炙られてすでに乾き、口を覆う手ぬぐいに息が詰まった。

 だが、その焦熱地獄を彷彿とさせる場にあって、アヅマは平時となんら変わらぬ動きで竹を伐り倒していく。


「――シィッ!」


 と、鋭く息を吐き、まだ青い竹稈を残すように断ち切る。下に落とすと同時に素早く後方へと蹴り飛ばし、燃え盛る竹は壁の側へ伐り飛ばす。

 火炎竹と称される品種群はデビル・バンブーのなかでもとりわけ危険な部類だが、扱い方さえ心得ておけば、たとえ燃えていたとしても伐採自体は難しくない。

 まずはひと節ごとに蓄えられている可燃性ガスを出させないようする――すなわち、竹稈を割らぬように伐るのが重要だ。

 次に、伐った竹稈を火気から離す。温められると竹稈のガスが膨張し、稈を割りながら噴出、爆発、さらなる炎上へとつながってしまう。

 そして、もうひとつ。


「……こいつでいいか」


 アヅマは破裂寸前までパンパンに膨れ上がった竹稈を見つけて正眼に構え、高く、高く跳ね跳んだ。


「――エィヤァッ!」


 節抜きだ。アヅマは気合を発し、可能な限り長さを残すようにして竹を伐った。口を覆う手ぬぐいを解いて掌に巻き、湯気が立ち上る竹稈を握ると、槍を投げるかのように構えて走り出す。


「通れっ!」 


 と、願うように気を吐き、アヅマは竹を火炎の渦へと投げ込んだ。素早く手ぬぐいを巻き直し、足を滑らせるようにして笹葉を払い地に伏せる。同時。

 ひときわ大きな炸裂音が鳴り渡り、火炎混じりの突風が吹き抜けた。爆ぜ割れた竹稈の欠片が火の粉を散らしながら転がり、舞い上げられた笹葉が燻りながら舞い踊る――が。

 道を塞ぐようだった火炎の渦は細かく分かれ、いくらかは爆風に吹き消されていた。

 爆風消火――アヅマは稈内に溜まるガスの爆発を利用し、火を殺したのだ。

 いかに火炎竹とはいえ、成育具合によって燃えやすさは異なる。伸びてから一年程度の若い竹は水分が多く、靭やかな分だけ爆発の勢いも強い。若く太い竹を選んで伐採し、火の中心に投げ込めば、簡易的な爆弾として利用できるのだ。

 無論、若い竹を見抜く目と、必要十分な量を適切な場所に置く技術が不可欠だが、そのどちらもアヅマには備わっていた。


「……もう一息、か?」


 アヅマは油断なく暗闇と天然の篝火に目を凝らす。竹自体はまだまだ奥まで茂っているが、一度目の爆発が大きすぎたか、炎の壁と化したのはごく一部の領域だったのか、汽車を進めるには問題なさそうに思えた。


 ……いや、待て。


 アヅマは不意に違和感をおぼえ、肩越しに汽車を見やった。火炎竹による火災はほとんど収まり暗闇に沈んでいる。当然だ。大爆発によって生えていた竹はなぎ倒され、可燃性のガスはあらかた燃焼に消費されたのだから。


「……なぜ竹が生えていた? なぜガスが溜まっていた?」


 自身に問うように呟きながら、アヅマはちろちろと火が灯るトンネルの奥と、機関車の眠る暗闇を見比べる。朧気に見える人影は機関士のものだろうか。

 ひとりは先の爆発で動けなくなっていた。ビスキーと話していたのはどうなったのだろうか。彼も動けなくなっている? だとしたら人影は誰のものだろう。もし動ける状態だったとして、倒れた仲間を放置しておくだろうか?


「……誰か!? 名を名乗れ!」


 ほんの些細な胸のざわめきに従い、アヅマは大声で誰何した。人影がびくりと振り向き逃げるように駆け出していく。ほとんど同時。

 汽車の内側で甲高い銃声が鳴った。


「――しまったか!」


 アヅマは刀を肩に担ぐように構え直して機関車へと走り出す。人影はおそらく襲撃者の一味。火炎竹の爆発は護衛を外に引きずりだすための餌だったのだ。

 冷静になってみれば不自然ばかりだった。

 二重、三重に竹止めをされているトンネルにデビル・バンブーを生やせば襲撃があると露見する。にも関わらず、竹による足止め。しかも利用したのは火炎竹だ。

 汽車が日に何度の往復をするのか知る由もないが、火炎竹を十分に成育させ、かつ竹稈に傷をつけてガスを溜め込んでおくなどの準備がいる。言い換えれば、襲撃者はメリアがどの汽車に乗るのか正確に把握しており、であるならば、護衛が誰かも知っているとみたほうがいい。


 ――分かっていて後手を踏まされるとはな……!


 と、アヅマは自らの未熟を恥じつつ、周囲に気を巡らせながら足をすすめる。その間にも二度、三度と銃声が響き、男の悲鳴がいくつか続き、


「……! …………キー! …………てろ!」


 悲鳴にかき消されるようにして、プティーの鋭い声が漏れ聞こえた。

 機関車の前まで辿り着いたアヅマは逸る気持ちを抑えて無形に構える。客車から聞こえる剣戟の音とプティーの気迫に歯噛みしながら、まずは機関室の扉を叩いた。


「無事か? 息をしているなら扉を開けろ。火は消えている」


 尋ね、アヅマはいつでも切っ先を突き込めるように刀を向けた。扉が開くと同時に顔を真っ黒にした機関士が悲鳴をあげながら尻もちをついた。


「もうひとりはどうした?」

「い、い、い、います! ここに! 顔に火傷を――」

「生きているならいい。扉を閉めていろ。絶対に出るな。いいな?」


 ぶんぶんと首を振り、機関室の扉が閉められると、アヅマはさらに前へと進んだ――まさにそのとき、客車の窓を打ち割り、アヅマの正面に人が飛び出す音がした。


「誰か!?」


 アヅマは念押しに名を問いながら上段に構えた。闇の中の気配が身じろぐ。


「アヅマかい!? ひとりそっち行ったよ!」


 車内で鋼のぶつかり合う音が鳴り、プティーが叫んだ。気配が縮む。姿勢を低くしたに違いない。アヅマは切っ先を気配に向けたまま、柄を握り直した。


「武器があるなら捨てろ。斬るつもりはない」


 降伏を迫るアヅマの低い声に、気配は鋭さを緩めない。じり、じり、と互いに距離を詰めていく。竹は伐っても人は斬らない。斬りはしない。プティーを相手にした竹光での練習を除けば、剣を持っての対人は久方ぶりだ。

 斬らずに済ませられればよいのだが、とアヅマは自分よりもむしろ敵の命を案じて呼吸を整えていく。


「――こンの! クソったれがぁ!」


 ふいに、車内でビスキーが叫んだ。響く打音。プティーの気合。それらを合図に、暗闇に潜む気配がアヅマへ突進を仕掛けた。


「――シィィヤットォッ!」


 怪鳥の如き声を発し、銀閃が走った――が。

 そのとき、アヅマはすでに踏み込んでいた。照り返しの長さと音の重さ、足運びから検討をつけ突くようにして振り下ろすと、火花とともに短な刃擦れの音が鳴った。


「ぬぅぅぅっん!」


 と、アヅマは刀身、柄、手の内を通じて敵の刃の動きを感知し、押さえ込む。まるで糊で張り合わせたかのように離れぬ刃。おそらくは肉厚の倭刀だ。引かれる前に踏み込み、押し込もうとしてくれば下へと流す。ぴったりと刃を交わしたまま、


「――エィヤァッ!」


 アヅマは手の内で合気を仕掛け、刀を正眼の位置に戻した。瞬間。

 ギィン! と金属質な音を響かせ敵の刃が足元に落ちる。手放したのではなく、手放させたのだ。

 竹咲捨念流、その源流たる念流の極意たる続飯付そくいづけのひとつである。鍔迫から始まり切っ先に至るまで気を通し、手で握るかぎり剣もまた躰の一部と捉え、腕を極めるが如く得物を極める。そして、


「さぁ、どうする?」


 アヅマは反省を促す。ちょうど車内に響く剣戟の音も止み、気配の零す吐息と、はるか遠くでめらめらと竹が燻る音だけが聞こえる。


「……貴様、流派は」


 暗闇から若い男の声が流れてきた。

 アヅマは、いつでもやれるとばかりに切っ先を向けたまま静かに名乗った。


「竹咲捨念流、八代、タケザキ・アヅマ」

「……竹咲捨念流……」


 気配が一歩、後退った。アヅマが追いすがる。と、


「アヅマさん! それを!」


 メリアの声とともに窓ガラスが散り、緑に光る竹が両者の間を飛び抜けた。刹那の間際に見える顔。


「――貴様!?」


 アヅマが言葉を発するかどうか、機関車が大量の蒸気を吐き出し、辺りが真っ白に染まった。ゴゥン、と鈍い音を立てながら車両が進みはじめる。


「――なっ?」


 なぜ走り出すかと一瞬振り向き、直ると、すでに男は消え失せていた。

 アヅマは、うん、と苛立ちまぎれに息をつき、急ぎ光る竹を拾って客車の扉に飛びついた。


「……あの男……」


 蒸気と暗闇の向こうに消えた襲撃者。ほんのひと目ではあるが、緑の光に照らされたその顔は、オークスの若者のように思えた。

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