信用
「……ワン・ストライク?」
ジャックの発した耳馴染みない言葉に、アヅマはオウム返しに尋ねる。
「そうだ。ワン・ストライク。ここは何処だ? 竹の天辺だ。玉座だ。神の座だ。そして俺は誰だ? ジャック・王だ。ザ・ワン。ここでは俺が神だと言ったはずだぞ」
ジャックは身を乗り出し、両膝に肘をついた。
「聞いたことあるだろう? ブッダの顔もスリー・ストライクまで。右の頬を打たれたら左の頬を差し出すくらいには神も慈悲深くあるもんだが――三発目はない。スリー・ストライクで
「……話が見えない」
「なんだ? ベース・ボールを知らないのか? ボールを投げる奴とそれを打つ奴が――まぁ、そんな話はいいさ。とにかく、三度目はない。いいか? 聞くぞ? お前と、そこのメスガキと、ふたりで、メリア様の護衛をやれ」
「断ると言った」
アヅマが即答すると、ジャックの口端がさらに吊り上がった。
「ツー・ストライクだ」
ほとんど同時。部屋の周囲を固める護衛たちが、火打銃の竹筒をアヅマへ向けた。
アヅマはぐるりと首を巡らし、強引な男だと鼻で息をついた。
その銃口と緊迫した空気に怯んだか、メリアが喉を震わせる。
「あ、あ、あの……ジャ、ジャックさん……?」
「なんでございやしょうか?」
歪な笑顔を張り付けたまま、巫山戯るような口調で言った。
「私の話を、聞いておられたはずです。竹の採集にバンブーズを介入――」
「ワン・ストライクだよ、メリア様」
冷たい声に、メリアが肩を弾せた。こくりと細い喉を鳴らし、肩越しにアヅマとプティーを見やる。後悔しているようにも見えた。
プティーがアヅマの手を掴んで軽く引き、空いた手で赤毛をかき混ぜた。
「あたしはやってもいいよ。報酬が出るんなら、だけどね」
「……相棒は聞き分けがいいようだぞ? アヅマ」
そうくるだろうと思っていたが。
アヅマが傍らを見下ろすと、プティーは素早くそっぽを向いた。ひとたび面倒を見ると決めたのなら最後まで。野良猫を拾ったのでもあるまいが、致し方ない。
「……分かった。受けよう」
答えた瞬間、左手に感じる握力が少し増した気がした。
ジャックは唇を吊る顔面筋から力を解き、それ見たことかと両手を左右に広げた。
「――決まりだな、メリア様。案内人は俺のとこのビスキーがやる。護衛役は竹切り屋のふたり。報酬は……まぁ、成功したらでいいだろう」
アヅマに向けられた竹筒がふたたび上向き、ビスキーがほっと息をついた。張り詰めるようだった部屋の空気が弛緩し、誰ともなく部屋の扉に手をかける――が。
ただひとり、メリアは少し様子が違った。
「あの」
その一言が、クッションに埋もれようとしていたジャックの顔から笑みを奪った。
「……なんだってんでしょうかね? メリア様?」
「い、いえ……その……お、おふたりは本当に信用できるのか、どうかが……その」
その一言は、日頃から心を波立てぬようにと気を払うアヅマをして、眉を寄せさせるに十分だった。チッ、とプティーが舌打ちし、不愉快そうに続けた。
「助けてやったってのに、酷ぇことを言いなさんねぇ、メリアさんよぉ」
声に滲む怒りは、呆れか、悲しみか、はたまた別のなにかか。
だが、アヅマには当然のことに思えていた。
所詮はオークス。竹から出てきたカグヤ姫だ。
ジャックはなんの感情も込められていない落ち窪んだ瞳で、しばしの間メリアの両眼を見詰めていたが、
「一理あるな」
やがてなにか思いついたのか、愉しげに頬を緩めた。事態の推移を見詰めていたビスキーがヤバいとばかりに顔をしかめた。
ジャックは右手の人差し指を立てて、投げるようにアヅマを指差す。
「試してみよう。それでいいな?」
「た、試す?」
困惑しきりのメリア。
ジャックは唇を湿らせ、両手をなでさすり合わせた。
「おい! 下の拳闘! いまどうなってる!?」
ジャックの声に護衛のひとりが竹導に走り、ゴロゴロと歯車を回した。ビスキーが両目を瞑って天を仰ぎ、プティーが面倒なことをしてくれたとばかりにメリアを睨む。やがて護衛がジャックの元に戻り耳打ちする。
ジャックはふんふんと頷き、顔に晴れやかな笑みを張り付けた。
「喜べアヅマ。今ちょうど四連勝した奴がいるらしい。そいつと素手でやりあえ」
「……なんのために」
「メリア様の不安を払拭するためにだよ。勝ってる奴はバンブーズの爺だ。お前は命令どおりにぶん殴ってくれりゃいい。オークスの命令どおりに身内もボコる強面、空気も読まずに四連勝してやがるバカをぶっ倒せば実力も折り紙付き。そいつを目の前で見りゃ、メリア様もご安心なさる。なぁ?」
ジャックはそうメリアに話しかけ、返答もまたず爛々と輝く目をアヅマへ向けた。
「少しは頭を使ったらどうだ。首の上に乗ってる上等そうなもんが可哀想だぞ」
「……無念無想。首の上は空っぽにしろと教わっている」
「そうかい。だが次の返答には気をつけろ。お前はもうツー・ストライクだ。よーく状況を考えてから答えるんだ。いいか? 今から下に行って、オークス様の前でバンブーズをぶん殴れ。さぁ、どう答えるのが正解だ?」
「……ツー・ストライクか」
是非もなし。アヅマは小さく頷く。無敵とは無闇に敵を作らぬことをいう。拳闘とはまた違うが、体術に心得がないでもない。
ジャックは満足そうに頷き、立ち上がった。
「ようし! 久しぶりに面白いものが見れそうだ! いい奴を連れてきてくれたなビスキー! 特別にお前にも特等席で観戦させてやる! 着いて来い!」
「ありがとうございます」
ビスキーは一切の間も残さずに頭を下げ、ジャックが前を通り過ぎると、素早くアヅマたちの側に寄り小声で言った。
「おい。大丈夫なんだろうな」
「おそらくは」
アヅマの脳裏に、下で見た大男が写った。五十
「少なくとも負けはしない」
「おい。頼むぜ、本当によ……機嫌を損ねられたら――」
「――なにやってる!? ビスキー! 早く来い!」
ジャックの急かすような声に、ビスキーは首をすぼめた。去り際にもう一度だけ頼んだぞと繰り返し、足早に部屋を出ていった。
「……まったく。助けてやったってのにさ……たいしたお姫様だよ」
プテイーが苦笑いとともに吐き捨て、アヅマの手を引いた。
メリアは申し訳無さそうに顔を伏しかけたが、しかし、頭は下げなかった。
「失礼は承知の上です。でも、それでも私は――」
「気にするな。オークスが信用ならないのはこちらも同じだ」
プッ、とプテイーが小さく吹き出し、メリアの曇り顔がとうとう下を向いた。ちょっと辛辣すぎないかい、とか、そういうときは気を利かせないと、とか、そんなことを言われながら廊下に出ると、火打銃を携えた護衛ふたりが待っていた。
「メリア様はこちらに」
「お前らはこっちに」
予想通りの言葉だ。メリアはオークス専用の昇降機へと通され、アヅマとプティーはもと来た道を引き返しバンブーズ用の昇降機に乗せられた。
ゴトゴトと不意に揺さぶられながら下へ下へと降りていく、途中。
「お前の勝ちに賭けてもいいか?」
そう護衛役が呟いた。昇降機を操るドアマンが
「……負けはしない」
アヅマはビスキーにしたのと同じ回答をした。はっきりとしろよと護衛がぼやき、昇降機が止まり、ドアマンが金属竹の柵を開いた。
地表階の熱気が、来たときよりも深くなっていた。
中央一段低いところに置かれた巨大な鳥籠を見下ろすような、まさに特等席と言うにふさわしい祭壇の如くそびえる主賓席で、ジャックが観衆に手を振っていた。隣のひとまわり小さな椅子にメリアが瀟洒に腰をおろし、右手にビスキーが立っている。
「さぁ、挑戦者のお越しだ!」
ジャックの足元に控える、金糸も鮮やかな真っ赤な中華服を身にまとう司会者が、昇降機から降りるアヅマを指差し叫んだ。
「……仰々しいな」
ぼそりと呟き、アヅマとプティーはジャックの足元に向かう。
「――よし。ちゃんと来たな。いい兆候だ」
ジャックの声に酔いの回った聴衆が笑い転げた。なにが面白いのかアヅマにはまったくわからなかった。
「それで、どうすればいい?」
「まず、上は脱げ。それから刀は無しだ」
アヅマは黙々と上服の紐を解き、手を差し出してきた護衛を無視してプティーに刀を差し出した。プティーがジャックを見上げると、彼は好きにしろとばかりに顎を振った。
「預かるよ、アヅマ」
「うん。任せた」
服をはだけると、お、と微かに観衆がざわめいた。少し線は細いが、傷ひとつない鋼の如き体躯だ。大男に伸されて鳥籠から引きずり出されていく小柄なバンブーズとは明らかに鍛え方が異なる。
ジャックは満足げに頷き、鳥籠を、その内で今にも雄叫びそうな大男を指差した。
「中に入って、奴を倒せ。ルールはない。噛みつこうが、目を潰そうが、金的をしようが構わん。殺してくれてもいいぞ」
ジャックは聴衆を煽るように睥睨した。
「というより、みんなそいつを期待しているかもな」
さざ波のように笑い声が広がり、下卑た視線がアヅマに集まる。
「……悪趣味な」
アヅマは鼻で息をつき、鳥籠に降りるべく手すりに手をかけた。その聴衆に向けられた背に、プティーの声が投げられる。
「上手くやるんだよ、アヅマ」
「心得た」
至極マジメに答え、アヅマは手すりを越えて鳥籠の前に降り立った。
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