神座

 広間になっていた。部屋の中央では半裸の男女が踊り狂い、部屋の片隅では楽団が競争的な音楽を奏で、白地に金で彩られた旗服チャイナドレスを身に纏い、若い大陸系バンブーズの男女がうろつき回っていた。天井近くまで霧のように濃い煙が立ち込め、そこかしてオークスの男女が大振りなクッションに身を埋める。

 人類の頽廃たいはいすら感じさせる空間の一番奥に、その男はいた。

 紫色に染め上げられた絹地シルクのクッションに横たわり、右手にオークスの女、左手にバンブースの女を侍る優男。

 金髪、碧眼、大柄な体躯、紛うことなきオークスだ。顔だけ見れば歳はアヅマとそう変わらないように見えるが、手の甲に浮いた筋は年重を思わせ、顔に張りつく酷薄な笑みは常人のそれとは一線を画す。

 ビスキーは、男の前で立ち止まったとき、膝を震わせていた。


「ボス、お連れしました」

「ビスキー。どうした? 声が小さいぞ? ボーカルに負けてる。もっと声を張れ」

「ボス! お連れしました!」 


 ビスキーが、調子っぱずれな大声で言った。

 ボスと呼ばれた男は肩を揺らし、右腕に抱えるオークスの女の肩を手放す。


「そこの――後ろのふたり。手を繋いでるの。お前らは分かるぞ。ビスキーがよく話してるんだ。竹切り屋バンブースラッシャーだろう? 世話になってるらしいな」

「持ちつ持たれつ、お互い様だよ」


 プティーが素っ気なく答えると、男は薄っぺらい笑みを浮かべて二度、頷いた。


「その通り。子飼いらしく、ビスキーに尽くせ。登ってくる奴らはみんな腕っこきのバンブーズを囲い込むもんだ。お前らもそうなるといい」


 言って、男は左腕に抱えたバンブーズの女の胸をまさぐった。


「口が悪いお前がプティー、サムライソードを持ってんのがアヅマ。だが、もうひとりはなんだ? オークスだな? 本物だって連絡を受けたが――」

 

 本物――つまりオークスのなかでオークス姓を持つ者という意味だ。

 メリアが一歩、前に進み出、ポケットから首飾りを出した。


「お初お目にかかります。メリア・オークスと申します」

「……ジャック・ワンだ。ジャックでもジャック・オーでもキングでも、好きに呼べ」


 ジャックと名乗った男は人差し指と中指を揃え、首飾りを見せろと振った。

 首飾りがメリアの手からビスキーの手に渡り、王のもとに届く。彼は金の鎖を手のひらに垂らし、傍らの女たちに見せつけるように眺め、囁きを受けて右の眉を跳ねあげた。


「どうやら本物らしいですなぁ、メリア・オークス様」


 口調こそ慇懃いんぎんになったが、厚かましい態度は変わらない。

 メリアはいささか動揺も示さずに問うた。


「ジャック、あなたがこの街の首長ですか?」

「……そうとも言えるし、違うとも言える。役職としての市長なら、俺のケツの下に張ってあるプールで、バンブーズのガキどもを追っかけ回してるよ。趣味なんだとさ。どうせラリってるだろうが、引っ張ってこようか?」


 ジャックの冷たい声音に、メリアは肩越しにアヅマたちを見、顔を戻した。


「手を、貸して頂きたいのです」

「手」


 ジャックは右手の指を顔の前にかざして鼻を鳴らし、眉を微かにしかめた。


「ちょいと竹臭くなっちまったみたいだが、これを貸せばいいのかな?」

「……あなたは、竹で商売をなさっているのですか?」

「商売とはまた……まぁ、そうだよ。竹と一緒に暮らしてると言ってもいいだろう」

「では、あなたにも関わりのある話です。聞いていただけませんか?」


 ジャックは右隣の女に笑いかけた。


「聞いたか? この俺に『聞いていただけませんか』だとさ」


 答えを待たずに、ジャックは酷薄な笑みをメリアに向ける。


「ビスキーと、この首飾りに免じて、聞いてやろうじゃないか。気分もいいしな」


 ジャックの横柄な態度に、メリアは目を閉じて深く呼吸をした。


「バンブーズの前では話せない話です」

「――ほう」


 ジャックが嬉しそうに顔を歪め、視線を部屋に巡らせる。


「だ、そうだ! メリア・オークス様のご命令だ! さっさと部屋から出てけ! 薄汚いバンブーズ共!」


 ぎょっとするメリアをよそに、ジャックの片端に侍る女を皮切りに、部屋にいたバンブーズが鬱陶しそうな目をしてのろのろと退出を始めた。音楽も踊りも止まり、舌打ちを残して立ち去る。そして、


「ムカツク」


 ごく単純な悪態をつき、プティーもくるりと踵を返した。アヅマは手を引かれるようにして後につづきながら、静かに尋ねる。


「……かぐや姫に期待していたのか? だったら最初から間違えている。」

「カグヤ? なんだい、それは」


 プテイーが足を止めた。アヅマは淡々とこたえる。


「故郷――いや、俺の祖先に伝わるおとぎ話だ。竹から出てきた娘が好き放題に過ごして育ての親を裏切る。本人はなにもしないくせに一丁前に涙を流すんだ」


 怒っていた。助け出したのは自分だという思いもないではない。だが、それ以上に、下がれと言われて素直に下がろうとする自分に腹が立った。

 それと知ってか知らずか、プティーが歩きながら言った。


「あたしのトコじゃ神話だよ。そんな嫌な女じゃなくってイイコなんだ。見つけたのは少年で、最後には一緒んなって幸せに――」

「――おい、お前らは残れ」


 プティーの話を遮るように、ジャックがふたりを呼び止めた。


「良いよな? メリア。こいつらはあんたを助けたし、さっきあんたは俺に、竹を生業にしてんのか、って聞いたろ。ビスキーの話じゃ、そいつらは腕の立つ竹切り屋らしいし、竹の話を聞くならオブザーバーにもってこいってもんだ。だろ?」

「――でも」


 ジャックの言葉に、メリアが不安そうに振り向く。

 だが、彼は気にしようともしなかった。


「でもクソもねぇ。俺は残れと言い、そっちのふたりは足を止めた。それじゃ話せねぇってんなら、素っ裸になってふたつ下に行きな。市長が話を聞いてくださる」

「……分かりました」


 メリアは重苦しいため息をつき、深く息を吸った。


「竹が開花します。止めないと、私たちの――あなたの世界は、ダメになります」

「……なんだって?」


 ジャックは歪な笑みを浮かべたまま、器用に眉を寄せる。

 メリアは、それまでとは打って変わって、怯えの見えない真剣な目つきになった。


「私は、ずっと北にある竹の研究施設バンブー・リサーチセンターで暮らしていたんです」


 施設では、主にデビルバンブーの無害化と、商業的価値の向上を目指した、品種改良を行っていたという。研究成果はめざましく、たとえば竹導なんぞは代表的な商業利用であるそうだ。列島の大地を覆い尽くすバンブー。これを利用しない手はない。研究は日進月歩の勢いで興味つづいている――はずなのだが、ここにきて問題が発生した。それが、竹の開花だ。


「あまり知られていませんが、危険ながら商業的利用価値の高い、いわゆるデビルバンブーと呼ばれている品種群は、同じ竹を祖先としているんです。私たちはそれを原始の竹オリジナル・バンブーと呼び、複製と成育管理を続けていました」


 メリアは下唇を内側に巻き込み、顔を伏せた。


「……ですが、このほど、その原始の竹の複製が開花したのです」

「……竹の花が咲いた? だからどうした?」


 ジャックの煽るような質問に、アヅマが静かに口を開いた。


「竹が咲くのは百年――あるいは二百年に一度ともいわれる凶事の前触れだ。竹は花を咲かすと一斉に枯れていくと言われている」

「……なんだって?」


 不愉快そうなジャックの声音に、メリアが小さく頷く。


「アヅマさんの仰るとおりです。花が咲くということは、その体系にとって行き着くべきところまで行き着いたということになります。花を咲かせれば種を残して枯れていく。植物の道理です。ですが、竹は、地下茎という根っこのようなもので繋がっているんです」

「……竹ってーのは、目に見えてる数と実際の数が噛み合わないのさ」


 プティーが言葉を継いだ。


「掘り返してみりゃ、竹林ひとつが竹の一株だったりする。花が咲くのは枯れる兆候。つまり竹藪に花が見つかりゃ――」

「林まるごろ枯れる。そう言いたいのか?」


 ジャックの不愉快そうな声に、メリアが頷く。


「しかも、一株ではすまないのです。私たちの研究では、竹の開花遺伝子はオリジナル・バンブーに依存しています。今この世にある竹はすべてがオリジナル。バンブーの複製――の、ようなものです」

「つまり?」


 ジャックが腕を組み、ビスキーもそれに倣う。周囲で耳をそばだてていたオークスすべてが、得体がしれない女の語りに聞き入っていた。

 メリアは彼らすべての目を見るように首を巡らし、言った。


「結論からいえば、この世にある全ての竹が一斉に咲き、一斉に枯れます」

「……すると、どうなる?」


 現実から目を逸らそうとしているようにもみえる疑問に、アヅマは率直に答えた。


「俺たちはお役御免になるな」

「――そいつはいいね。楽になりそうだ」


 プティーが軽口で応じた。

 しかし、ただの冗談ですむ話ではなかった。今の世はありあらゆる形で蔓延る竹を基盤になりたっている。一気に枯れ果てたりすれば――、


「ここの地盤にはデビルバンブーの地下茎が利用されています」


 ビスキーが唇を舌で湿らせた。


「地下茎が枯れれば、土止めの役割も果たさなくなります。雨が降れば山が崩れ、風が吹けば土が持っていかれる。それだけならまだなんとかなりますが――」

「――今まで通りに火を使ってりゃ、いつかは制御の利かない野焼きが始まるやね」


 フフン、とプティーが愉しげに鼻を鳴らし、ジャックは凶暴な笑みで応じた。


「なるほどなぁ……お嬢さんは、そいつを知らせに来てくれたってわけだ」


 メリアが真剣な面持ちで頷くと、ジャックはより一層、笑みを深めた。


「そんで? 俺になにをしてほしいていうんだ?」

「私を、トーキョーまで――原始の竹の在り処まで連れて行ってほしいのです」


 この世界を終わらせないために、とオークスの名を持つ少女は言った。

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