竹稈ノ内

 オークスの住まう天上の世界、手繰れる名前はビスキーと連れているメリア・オークスのふたつしかないが、中に入るだけなら事足りる。

 巨大な吹き抜けのホールとなっている地表階は、下層オークスと上を狙うバンブーズで満たされていた。

 一様に薄ぺらい笑みを顔に張りつけ酒を片手に歓談し、ホール中央に穿たれた穴に視線を注ぐ。穴の底には金属竹の籠が設置され、バンブーズの男ふたりが素手ベアハンドで拳闘の試合をしていた。

 片方は若く小柄な男で、他方は歳のいった大柄な男。見下ろすオークスと一部のバンブースがどちらが勝つか賭けに興じる。だが、賭けはあくまで余興のひとつでしかない。


 ワッ、と歓声があがった。

 大柄なバンブーズが、若者の顎を砕き血を飛沫かせたのだ。若者は手押された棒にのように後ろへ倒れ、頭が床で弾んだ。

 これが、彼らが見たかった光景だ。 

 柵の内の拳闘は、若い命が無為に散る様か、でなければ年老いた命が引導を渡される瞬間を見るために用意されている。バンブーズが、バンブーズの命を使いオークスに提供する醜悪な娯楽である。


 アヅマは鼻で息をつき、ホールの外周を回る螺旋階段と、その脇に伸びる竹を使った昇降機に向かう。細面のドアマンが、アヅマ、プティー、メリアと順に視線を動かし、眉を狭める。濃紺の地に銀糸で芙蓉を描いた大陸風の服を着ていた。


「アヅマと、プティーだな?」


 色白だが、馴れ馴れしい口調はバンブーズゆえのものだろう。

 アヅマは顎先を振って肩越しにメリアを示し、付け加える。


「メリア・オークスも一緒だ。ビスキーに会いたい」

「聞いてるさ。こいつに乗れるとは運がいいな」


 言って、ドアマンは昇降機のボタンを押し、アヅマとプティーを除けるように手を払っう。上から籠が降りて間にふたりは道をひらき、メリアを前に進ませる。

 ガラガラと金属竹の柵が閉められ、ほどなくして僅かな浮遊感とともに床が上がった。


「……へぇ、初めて乗ったけど、すごいね」


 プティーが愉しげに言い、アヅマも頷きで返す。

 喧騒がみるみるうちに遠ざかり、次第に別の空気が上から迫る。天井という名の節に詰まる空気の壁を抜き、階ごとに移り変わる様々な顔を見ながら昇り、やがて止まった。

 ドアマンが扉を開き、怪訝そうに下唇に湿りをくれた。


「ビスキー様の部屋番号はご存知ですか?」


 もちろん、メリアに向けられた言葉だ。しかし、返答したのはプティーだった。


「ご存知でごぜぇます、だよ。バンブーズ」

「……貴女もバンブーズとお見受けしますが?」


 ドアマンの慇懃な口ぶりに、アヅマは柄を軽く叩いてメリアとプティーを押し出す。


「許してくれ。何度も来ているが、こいつに乗るのは初めてなんだ」

「……刀……用心棒か?」

「竹切り屋だ。刀を検めるか?」

「何度かビスキーさんに聞かれたよ。刀は使わないのかって」

「使うのか?」

「いや――お前みたいなニッポンジンは嫌いだ」


 世界が樫の木と竹に分かたれる前の旧い呼び名だ。バンブーズのなかには旧い血統にこだわっている者も少なくない。

 無益なことだ、とアヅマは思うが、それは彼が町の外で暮らしているからこそもてる感想だ。竹稈の内側バンブー・カームで生きるには好悪を決める必要もあるのだろう。


「そうか。すまなかったな」


 アヅマの真っ直ぐな謝罪の言葉に、ドアマンは歯を軋ませながら視線を切った。

 廊下は青や赤や乳白色の色違いで塗り固められ、樫材でつくられた立台には黄色い花を生けた花瓶が置かれている。まるで色の洪水だ。オークスは緑を嫌うのだろう。

 プティーが扉のひとつを叩くと、ほどなくして豚の悲鳴のようなブザーが鳴った。部屋は入るとすぐに居間に出、革張りの長椅子にビスキーが腰掛けていた。彼はロックグラスを傾け氷をひとつ鳴らすと、琥珀色の液体を一口舐め、背の低い卓に置いた。


「……見積もりならいつもみてぇに手紙で寄越しゃいいだろうが」

「なんだい、聞いてないのかい? わざわざ竹導まで使ったってのにさ」

「……なんだってこう、俺の元には面倒事ばっかりくるんだ」


 ビスキーがグラスを一息に空けた。溶けかけた丸氷がゴロンと鳴った。

 アヅマは静かに、淡々と言う。


「分からんが、危機は好機ともいう。好機に気づくには才覚がいる。つまり――」

「――聞きたくねぇ」


 ビスキーは卓上の瓶を取り、グラスに並々と注いだ。プティーが足音ひとつたてに前に進んでビスキーの前の長椅子に腰掛けた。鞄からバンブーパイプを出す。


「あたしにも一杯もらえるかい?」

「厚かましい奴だな。……まぁいいさ。好機とやらをくれた礼に奢ってやる」


 ビスキーは紙巻きの煙草を咥えながら席を立ち、真新しいグラスをプティーの前に置いて琥珀色の液体を注いだ。


「言っとくが、強いぞ」

「だろうね。膝が震えてる」


 プティーの指摘に、ビスキーが自らの膝を打った。メリアに目を向け、頭の天辺からつま先まで見下ろし、背もたれに躰を預ける。


「メリア・オークス? オークスってのは本当か?」


 アヅマに背を押されてメリアが前に進み出る。


「ほ、本当です! ずっと北から降りてきていて――」

「どこから来たのかは問題じゃない。証明できるか?」

「もちろんです! えっと……こ、この! 首飾りに印章があります!」


 メリアがお仕着せの服のポケットから首飾りを出した。そんなものがなんの証拠になるのかとアヅマは思うが、しかしビスキーはグラスをもうひとつ飲み干し頷いた。


「それで、俺たちの頭に会いたいとか」

「はい。あなたがたにも影響のあるお話なんです。どうしても手を貸していただきたくて――」

「聞いてる。どんな話か知らねぇが、しくじってくれるなよ? やらかしやがったらただじゃおかねぇ」


 ビスキーの低い声にメリアが喉を鳴らしながら一歩後退あとじさった。アヅマが守るように間に躰を割り込む。

 プティーがグラスに口をつけ、顔をしかめた。


「……なんだいこりゃ、酒じゃないじゃないのさ」

「当たり前だろバカったれ。これからボスに会うってのに酔ってられるか」

「……ってーことは、話はもう通したってのかい? だったらなんでこんなとこでのんびり茶ぁなんか飲んでんのさ」


 パチン、と火打の音がし、プティーの唇から煙の筋が鋭く伸びた。

 ビスキーは忙しなく紙巻きの煙草を吹かす。


「お前らを教育しておくためだ。特にプティー! お前だよ! いいか、これから会いに行くのはこの街の王だ。神だ。指先どころか目線ひとつで俺たちを言いようにできる。なにがどう間違っても粗相なんてしてくれるなよ?」

「心得た」


 ノータイムで答えるアヅマを横目に、プティーが二服目を吹いた。


「犬猫だって人目を忍んでするってさ」

「……てめぇ……」


 ビスキーのこめかみに青筋が浮かんだそのとき、部屋の竹導がゴロゴロと鳴った。彼は叩きつけるようにしてグラスを置くと素早く竹導を取り、二言、三言を交わして置いた。


「行くぞ。ちょうど機嫌がよくなったとこらしい」

「御用聞きも楽じゃないねぇ。茶、ご馳走さん」

「もっとしっかり礼を言え。その調子じゃ末期の水になるんだろうからな」


 今のは良かった、プティーが肩を揺らした。ビスキーにつづいて部屋を出、また昇降機に乗り、最上階で降りた。昇降機を中心とした小さな堂になっており、正面に絢爛な金細工を施した真っ赤な二枚扉があった。鳥居と同じ赤――悪霊祓いの色だ。

 扉の両脇を固める金属竹の火内銃フリントロックを携えた男たちが、じろりとアヅマたちを睨み、ついでビスキーに視線をくれた。


「そいつらの得物は――」

「分かってるさ」


 ビスキーが後ろに首を振った。


「お前ら――」

「これではダメか?」


 アヅマは下げ緒を解き、抜刀を封じるように鍔に通して結び直し、右手に持ち替えた。


「……どうなんだ?」


 ビスキーが門番に問うと、ふたりは顔を見合わせて小さく舌打ちした。


「これだからニッポンジンは嫌いなんだ」

「あたしのは普通に渡してやるさ。それでどうだい?」


 言いつつ、プティーがポンチョの下からククリを吊るベルトを出した。


「まだ不満だってんなら、アヅマの左手、あたしが握ってようか?」

「……そうしろ、まるで兄妹みたいで似合いだぞ」


 門番のひとりが嘲るように鼻を鳴らし、扉に片手をついた。

 プティーは肩を竦め、アヅマの左側に回りこんで手を繋ぎ、ニヤリと笑ってみせる。


「まったく、こうでもしなきゃ怖くて入れらんないってんだから、まったく大した護衛だよ」


 門番が目を鋭くし、眉間に皺を寄せた。


「よせよ。挑発したのはお前だぞ」


 ビスキーの冷たい声に、門番が舌打ちしながら扉を開いた。瞬間、眩い光が部屋から溢れ、咽そうなほどの香の匂いとともに、琴にしては騒々しい弦楽器の音が流れてきた。

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