竹下、竹中、竹ノ上。

 卯月、夏へと向かう暗い夜道を薄ぼんやりとした提灯の光が進む。繁る笹葉が月を遮り、竹桟橋の軋む音を竹林が呑む。延々と曲がり伸びる道の先に、ひときわ明るい点がある。

 街だ。名を竹岡バンブーヒルという。あたりは山と竹林ばかりだが、その竹林はデビルバンブーをふくめた豊富な品種を揃え、街の最も重要な資源となっている。

 また、北部の突端では漁業も盛んで、内海を挟んでトーキョーへの渡しとしても機能する。その立地から、カズサ=フッツと呼ばれる領域にあっては最も栄えている地域のひとつと言える。


 ――もっとも、それは石段を昇り、鳥居をくぐった先の話だ。


 桟橋から降りると、すぐに竹下ダウンタウンの重い気配を感じる。貧乏長屋の片隅では痩せた子供が膝を抱えて落ち葉を数え、破れ提灯を下げるうらぶれた飯屋の脇では汚らしい茣蓙ござを背負った夜鷹よたかが躰を揺する。一見、繁盛していそうに見える店もあるが、『大煙』と墨書きされた看板の下にいるのは、皮と骨だけになっても濃厚な煙をふかす生き屍の老人である。

 漂う甘酸い匂いにメリアが鼻をヒクつかせ、プティーが素早く彼女の手を取り道の内側へと引き寄せた。


「――嗅ぐんじゃないよ。芥子竹オピウムバンブーだ。頭が腐っちまう」

「えっ……オピウム……阿片ですか!?」


 メリアの甲高い声に、長煙管を咥えた老人が顔を上げた。落ち窪んだ虚ろな瞳が嬉しそうに丸まり、ひび割れた唇に空虚な笑みが浮かぶ。

 オピウムバンブー――かつてのバンブーズがどういう手だてを用いたのかようとして知れないが、芥子にバンブーを掛け合わせ膨大な大量生産を可能にしたという。

 バンブーズのなかでも最底辺の、オークスに取り入ること叶わず使ってもらえすらしない人々のあいだで、世界を七色に変える薬として蔓延している。

 ごくり、とメリアが生白く細い喉を震わせ、プティーは肩越しに視線を投げた。


「……竹下ダウンタウンを見るのは初めてかい?」

「い、いえっ! そんなことは――でも、こんなに――」

「――酷いのは初めて? さっすが、オークスの名持ちは優雅なもんだねぇ」


 メリア自ら切った言葉をわざわざ継いで、プティーが逆撫でるように言った。

 樫の木族オークスにとって、オークス姓は特別な意味をもつ。かつて竹に土地を奪われ、その因果を含めて竹族を支配したオークスの、さらに上層にのみ見られる姓だ。

 直系か傍系か、男系か女系か、家そのものの格は。そういった細かな序列こそあれ、並のオークスとは一線を画す。いわば王家の末裔で、存在そのものが正義。竹下なんぞはもってのほか、場所によっては竹上であっても踏み入れることなく人生を終えるとも言われる。


「……名を騙っていやしないだろうな?」


 往来から注がれる奇異の視線を、剣気宿る眼光で牽制しつつ、アヅマは尋ねた。


竹中ミッドタウンまでは平気だろうが、そこから先でオークスの名を騙れば、ここらまで転がり落ちるぞ」

「嘘なんて言ってません!」


 メリアの張りのある声に、薄暗がりでギラギラと瞳が光る――が、それも束の間。

 家並みは緩やかに落ち着きをみせ、横道一本を挟んで気配が変わる。ダウンタウンのなかでもマシな部類が住み着くあたりとなり、その先に煌々こうこう篝火かがりびを焚く巨大な赤鳥居が見えてくる。両脇には、長槍片手に鳥居を見張る男がふたりと、ちいさな小屋。

 門、あるいは俗に節と呼ばれる鳥居である。

 奥は見上げるばかりの石段で、昇りきれば下層オークスと上層バンブーズが共生するミッドタウンに出る。長々と抜けてきたダウンタウンの人々は、永遠にこない鳥居をくぐれる日を夢に見る。


「――止まれ。手形はあるか?」


 若い門番が行く手を長槍で塞いだ。肌色を見るにオークスとバンブーズの間の子あいのこのようだった。すぐに少し歳のいったバンブーズの門番が近づいてきて、槍をあげるように言った。


「こんな時間に珍しいな、プティー。それにアヅマも」

「昼間ちょいと仕事があってね。報告ついでに人助けさ」


 プティーは親指を立て、肩越しにメリアを指差す。


「聞いて驚きな。なんとこちら、竹から出てきたメリア・オークス様だ。頼まれちまえば上まで連れてかにゃーならないってんでね。通してくれるかい?」

「……メリア……オークス……!?」


 門番ふたりの背筋が伸びた。その虚をつくように、アヅマは若い門番に顔を向け、刀の鞘に手をかける。


「刀をあらためるか?」

「あ……と……」

「かなり急ぎの用件らしい。でなければこんな時間には来ない」


 アヅマが肩越しに目を向けると、気づいたメリアはぶんぶんと首を縦に振った。

 門番は顔を見合わせ、歳のいった方が手を払った。


「通ってくれ。竹導バンブフォンで上に伝えておく。ビスキーでいいか?」

「うん。助かる」

「そいじゃ、メリア様、まずはミッドタウンにご案内しますわよ」


 プティー演技がかった調子でいい、石段の上へと手を差し伸べる。門番が鳥居脇の小屋に駆け込み、竹の筒を片耳にあてがいゴロゴロと竹の歯車を回す。竹導――ある種のデビルバンブーがもつ特性を活かして稈を地中に埋設、遠隔地と会話をするための機器である。

 デビルバンブーそのものの希少性と加工、埋設や管理の手間から要所要所にしか置かれていなが、あらゆる煩雑なやりとりを簡略化してくれている。


「――あの、ちょ……っ!」


 長く硬い石段は竹から出てきたばかりの姫にはきついらしい。メリアは早々に息を切らし、額に汗を浮かべた。アヅマは一瞬、手を伸ばそうかと思った。だが、すぐに考えを改め、鞘と腰帯を握り呼びかける。


「鞘に掴まれ。多少は楽になる」

「あ、ありがとうございます……」


 へろへろと力の抜けた声に、だから飯を食えと言ったのにと、アヅマは左手に力をこめて足を上げた。傍らの気配に目を向けると、お優しいことでとプティーが唇を動かした。

 上から、人々の喧騒――あるいは狂乱――が匂ってくる。

 石段を昇りきり、鳥居の脇の門番に手をかかげみせ、くぐると、そこは、


「……うわ……」


 と、メリアが感嘆の息をついた。

 ダウンタウンとはまるで異なる綺羅びやかな家並み。うろつく客引き。声高く人を集める出店の並びと、年中無休で縁日を催しているような賑々しさだ。

 それもそのはず、街を治めるオークスは、地を這いつくばるバンブーズにとって神に等しい。うまく取り入った者、あるいはこれから取り入ろうとする者、そういったをもつバンブーズにとって最初の根張がミッドタウンとなる。

 ……多くはそのまま枯れ果ててしまうが。


「――さてと。メリアちゃん、こっからどうするね。誰に会いたいって言うのさ」


 振り向き、尋ねるプティーに、メリアは道のさらに先を指差す。


「あそこまで。街の長に会わせてほしいんです」


 もうひとつの巨大な鳥居を、奥まで何重と並ぶ小さな鳥居。

 奥に竹造の稈式建築バンブー・ビルが伸びている。まさに一本の竹稈のようであり、塔のようにもみえる建物の外壁を、金色の龍が巻き締めあげる。

 バンブーズのなかでも最上位、オークスにとっても最上の地だ。


「……まぁ言うと思ったけどさ」


 プティーは腕組をして、メリアにすり寄ろうと近づく下卑た商人に睨みを利かせて追っ払う。


「どこまで連れてけるか……。名前を名乗りゃある程度は、とは思うけどさ」

「……では、いけるところまで」

「だとさ、アヅマ」

「うん。どのみちここまで来たんだ。ビスキーに繋いでもらえないか頼んでみよう」


 バンブーズが上へ行くのは容易ではない。

 竹稈が節を飛ばして繋がることがないように、ひとつずつ節を継いでいくしかないのだ。

 鳥居の向こうに住まう神たるオークスを頂点とした、ひっくり返ることのない厳然たる階級社会。神に認められれば進めるが、決して神に並び立つことはできない。しくじれば地の底に落ち、またときに気まぐれで地の底に落とされる。


「さぁさぁ、皆々様、お集まりください。鬼がでるか蛇がでるか――」


 竹中の道端で、傀儡師かいらいしが口上を垂れていた。

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