夕餉の『せき』
竹切り屋の平屋の窓から、もうもうと湯気が伸びている。薄っすらと香る焦がし醤油と生姜、筍の匂い。火吹き竹を手にしたアヅマが、土間に片膝をつき、竈と羽釜に目を光らせている。飯の当番である。
竹と相対するときよりも険しく見えるアヅマの顔の向こうで、プティーが籠編みのつづきをしている。傍には布団に寝かせたオークスの娘。トラップバンブーから救出した娘だ。幸いにも顔色はよく、静かに寝息を立てている。
と、娘の眉間に細かな皺が寄った。微かにうめき身を
「……うん」
窯の竹蓋をあけ、アヅマは小さく頷き振り向いた。
「飯が炊けたぞ」
「応さ」
プティーは娘の顔を覗き込み、指を三本立てた。
「――三人分な」
「……食べ過ぎでは?」
「違うっ!」プティーは編みかけの籠を後ろに投げた。「この子の――」
彼女の視線の先には、珍しくぎこちない笑みを浮かべるアヅマがいた。
「気をまわせと言われたばかりだからな」
「……もうちっとまわしかたも考えてくるとありがたいんだけどねぇ」
「むぅ……そうか」
難しいものだ、とアヅマは割った竹で作った皿に炊けたばかりの筍ご飯を注いだ。
プティーにぺちぺち頬を叩かれ、「んぅ……」と少女が身じろぐ。眠たげな目を瞬きながら視線を彷徨わせ、やがて顔の前に突き出された竹皿に焦点を定める。
「……えっと……え……?」
「飯だ。なにか腹に入れたほうがいい」
困惑しきりの少女に半ば強引に皿を渡し、アヅマは両手を胸の前で揃えて姿勢を正す。プティーが皿を見下ろし、口の端を下げた。
「代わり映えのしないメシだねぇ……」
今日の
「鶏と野菜が入っているだけ上等だろう」
「……まぁねぇ……そうねぇ……」
はーっ、と深くため息をつき、プティーも胸の前で両手を合わせる。彼女の暮らしにはなかった習慣だが、アヅマと暮らすうちに、そうするようになっていた。
「いただきます」
「いただきます」
ふたりの唱和に、少女は意味がわからないと言った顔のまま、ぽつぽつと言った。
「い、いただきます……?」
アヅマは竹箸を取り、まずは姫皮の刺し身を醤油につける。岩割り山葵を竹細工のおろし器で粗く擦り、口に運んだ。鼻腔を殴り脳天へ突き抜ける芳香。鼻を押さえてなお目に雫が滲む。
だが、なぜかそれが心地よい。
プティーの弁ではないが、日々の食事に感謝こそすれ筍ばかりはやはり飽きる。山葵醤油に紫蘇巻に唐辛子をまぶし、やり過ごすしかない。
アヅマはモーソーバンブーのメンマを口に運び、筍飯をかきこむ。
ちらりと様子を伺うと、やはりプティーは微妙な顔をしていた。
アヅマは味噌汁をすすり、静かに尋ねる。
「……ヘンプのメンマもあるが」
「――え? ああ、違う違う。そういうんじゃないさ」
プティーは箸を横に振りメンマをつまんだ。やはりあの強い匂いが好みらしい。
「……あ、あの……」
いつもはそこにない声に、アヅマとプティーの視線が注がれる。
「えと……助けていただいて……? ありがとうございます……」
「食え」
言って、アヅマは箸を動かす。だが、少女は箸を手にとったまま視線を部屋中に巡らし呟くようにつづけた。
「あ、あの……私、メリア・オークスと言います……!」
儚げな声。アヅマとプティーは互いの顔を見合い、口を開く。
「アヅマ・タケザキだ」
「プティー・グルン」
そして食事に戻る。仕事のついでに助けはしたが、肚まで割るつもりはない。
アヅマたちの素っ気ない態度に、メリアはちまちまと箸を動かし、
「……うっ」
顔をしかめた。竹の狭間に生まれ笹に包まれ生きていたアヅマたちと違い、オークスの舌には合わないのだろう。
――もっとも、ふたりとて特段、美味いと思っているわけでもないが。
「無理をしてでも腹に詰め込んでおくといい。明日には街まで送ってやる」
買い出しと見積もりの報告がてら。みなまでいう意味はない。
プティーが味噌汁に浮かぶ野菜の切れ端を箸でつまみ、からかうように言った。
「どこから来たのか知らないけど運がなかったね。どうせならオークス様に助けてもらえば良かったのに。だろ?」
「――えっ!? ち、違います!」
慌てて身を乗り出すメリアに、プティーはくつくつと肩を揺らす。
「ただの冗談さ。メリアちゃんはどっから来なすったんだい?」
からかうような口調は変わらない。黙々と箸を動かすアヅマをちらと見て、メリアは筍ご飯に紛れ込む鶏肉を口に運んだ。
「あの……ずっと北の方からで……すいません。ご無礼を承知でお願いしたいのですが、いますぐに街まで案内してもらえませんか?」
メリアの真剣な声に、アヅマが片眉を跳ね上げた。
「明日、連れて行くと言った。もうじきに月が出るぞ」
歩いて行けば着く頃には夜更けだ。オークスの娘を連れたバンブーズがふたり、それも深夜となれば、
「でも私! もう時間がないんです!」
迫る声。プティーがひとつ睨みをくれて、姫皮の刺し身をつまんだ。
「時間がないって……あんたトラップバンブーに捕まってたんだよ? まずは頭を下げたり礼を言ったりってのが先じゃないかい?」
言って、かつかつと飯を掻き込み、プティーが箸を置く。メリアは忙しく瞳を揺らすと、箸と皿を畳に下ろし、両手を膝の前について頭を下げた。
「助けていただき、ありがとうございます……! 言葉だけでは足りません……! このお礼は必ずいたします……! ですから、どうか、どうか私をいますぐに街へ案内していただけませんか!?」
しゃくり、とメンマを噛み切り、プティーはアズマを見やった。彼は物静かな居住まいで淡々と箸を進めている。助けるまでは熱心でも、その先までは知らないという。それが彼の在り方だ。相手がオークスの娘とあればなおさらである。
「しゃーないねぇ……」
プティーの諦めたような声に、アヅマはピタリと箸を止める。
「……連れて行く気か?」
「急ぎだってんならしょうがないだろ? オークス様がどこから来てどこへ行こうがしったこっちゃないよ」
「……行きずりに助けはしたが――」
「わーってるよ。アヅマに頼んでんじゃないよ」
プティーはバンブーパイプの収まる煙管箱を引いた。アヅマが黒瞳を光らせ、口先を尖らす。
「せめて食事が終わるまで待てないか」
「茶ぁ淹れてくれると、あたしはすごく嬉しいやね」
「……少し待て」
アヅマは箸を竹皿に立て掛け腰をあげる。土間に降り、そうくるだろうと沸かしておいた
予感はあった。
アヅマが人助けに熱心だとするなら、プティーはその先に熱心である。
困っている人がいれば助ける。それが敵をつくらぬ最善の手段だが、その先に手を貸すとなると敵をつくりかねない。だから、その手前で引く。
だが、プティーは助けたからには責任を追うべきだと考えている。その理も分からないでもない。
――さっきは助けてくれたのに。
アヅマは善意につけこむ汚いやり口だと思うが、プティーは違うと考える。
クマザサを煎じた茶を竹茶碗に淹れ、プティーとメリアの前に突き出す。
ずずっ、プティーが啜るのを横目にアヅマは食事を再開、メリアに無感情な言葉を投げつける。
「街までは一本道だ。行きたければ行けばいい。服は外に干してある。まだ乾いていないだろうが、持っていくといい」
「え……と……」
メリアが大きな青い瞳が潤み、縋るような形でプティーに向く。彼女はバンブーパイプの火皿に刻み煙草を詰めていた。
「……んな泣きそうな顔すんじゃないよ。ちゃんと連れてってやるさ」
「本当ですか!?」
ぱっとメリアが顔を明るくしたが、アヅマの顔色はどこまでも冴えない。
「俺は行かんぞ。夜更けの街をオークスの娘連れで歩くなぞ危険極まりない」
「えっ……そうなんですか……?」
そうなんですか? とアヅマが竹皿から顔を上げる。メリアは怯えたような顔をしていた。聞く気はないが、いままでどんな土地で暮らしていたというのか。
パチン、とプティーが竹発条の火打を鳴らし、バンブーパイプを深く吸った。煙草の葉が赤熱し、彼女の唇が離れると同時に黒く燻る。
ふーっ、と長く、遠く煙を吐き出した。
「めっちゃくちゃに危ないさ。決まってんだろ?
プティーがニンマリと口元を歪め、品定めするような目つきでアヅマを見た。
「怖いなぁ。こんなとっぽい姉ちゃん連れて鳥居の向こうだ。どうなるかなぁ」
わざとらしい言葉遣いに、アヅマは眉間に微かな皺を寄せて箸を動かす。答えはしまいと無心で頬張る。そこに、煙とともに誘うような声が漂う。
「誰か頼りになる男が一緒にいてくりゃ安心なんだけどねぇ。こう、なっがい刀を持ってて、芯が通ってて、めちゃ強い奴。ぶっきらぼうでも気のいい奴がさ」
「…………ご馳走様でした」
アヅマは両手を合わせて唱えると、竹皿と箸を揃えおき、姿勢を正した。
「……わかった。ついていこう」
折れたのだった。
「良かったねメリア。いたよ。ここに。ぶっきらぼうでも気のいい強い奴がさ」
プティーに視線を向けられ、メリアは曖昧な笑みを浮かべる。
助けたのは自分だ。迷惑をかけると頭も下げた。負うべき責はたしかにある。
アヅマは、深く、重いため息をついた。
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