竹内の姫

 ふわり、プティーが肩から降りた。アヅマもすぐに地に立てた刀から降り、柄尻に手をかける。


「ビスキー! なにをビビってんのさ! もう終わったよ! 入ってきたらどうだい!?」


 プティーが中庭の入り口でもじもじしているビスキーに呼びかけた。


「――だ、大丈夫なんだろうな!?」


 威勢がいいのは口調だけで、声に上から押さえつけてくるような迫力は残っておらず、大柄な体躯はすっかり縮こまっている。ようやく歩きだしたが、


「……だーめだ、ありゃ。完全にビビっちまってら」


 ビスキーのへっぴり腰に、プティーが肩を揺らす。アヅマは一切表情を変えぬまま刀を引き抜き、切っ先をあらためた。当然だが欠けはない。

 ほっとひとつ息をつき、アヅマは伐ったばかりの肉喰みの、巨木のごとき太さをもつ捕食稈を見やる。人ひとりどころか熊一頭が収まりそうな節の上下端からドロドロとした粘液が溢れ出ている。節の中身ではない。下から溢れているのは地下茎から送り込まれた養分であり、上端から溢れてきているのは上に連なる竹稈に通っていた分だ。節の切断により上昇圧力を失い落ちてきたのである。


「……しくじったな」


 ぼそりと呟くアヅマの顔を、プティーが背中を反らして覗き込む。


「ほんとにねぇ。えっらい綺麗に切ってくれちゃってさぁ。倒れる気がしないやね」

「……面目ない」


 むぅ、と口を横一文字に結ぶアヅマ。プティーがその背中を愉しげに叩いた。


「大丈夫、大丈夫。上の水さえ抜けりゃ、依頼主様のお力も借りて倒せるさ」


「……普通に切っても構わんが」

「いやぁ、実はそういうんじゃなくってね」

「……?」


 アヅマが眉根を寄せて振り向いた直後、ピュンッ! と地表を這う竹稈が落ち葉と芝を巻き上げながら丸まり、ビスキーの足を刈った。足を取られたビスキーは空中で二度、躰を後方転回し、背中から落下する。

 悲鳴。

 プティーが腹を抱えて笑った。アヅマは鼻で小さく息をつく。


「人が悪いぞ、プティー」

「ハハハハッ! 良いようにコキつかわれたんだ、いいじゃないか」

「俺は、どうかと思う」


 アヅマは憮然として言い、ビスキーに声をかける。


「足を高くあげて静かに下ろせ! 落ち葉を蹴り飛ばすとまた刈られるぞ!」


 ビスキーがむせながら躰を起こした。頭に肩に腹にとついた茶色い葉と土埃がパラパラと散り落ちた。


「ふざけんな! 俺はもう帰っからな! きっちり竹切っとけバンブーズ!」


 握り固めた右拳を振り上げるのを見て、アヅマは追うように問う。


「竹稈を下ろすのを手伝ってくれないか!?」

「断る! てめぇらでやりやがれ!」

「中になにがいるのか見ていかないのか!?」

「あぁ!?」


 ビスキーが赤色滲む単音を吐き、握り拳を所在なさげに下ろした。土の上に両膝をついて座し、その上に拳を下ろす。険しい瞳を右方に投げ、やがて顔を上げた。


「……知るか! てめぇらで処理しろ!」


 言って、ビスキーが腰をあげると、すかさずプティーが叫んだ。


「ここらの竹はどうすんのさ!? あたしらでもらっていいのかい!?」

「好きにしやがれクソバンブーズっ! 三日で刈れ! じゃねぇと承知しねぇ!」

「そいつぁ無理な相談さ! 人をくれなきゃ最低でも一週間はかかるね!」


 ビスキーが灰汁まみれの苦竹を食ったような顔をし、叫んだ。


「さっさと仕事して見積もり出しやがれ!」


 怒り狂っているようでいて思考そのものは冷静だ。見習うべきところがある、とアヅマは小さく頷いた。

 その顎先をどう受け取ったのか、ビスキーは肩をいからせ引き返して行った。

 プティーが可笑しそうに頬を膨らし、囁くように言った。


「今日はこのへんにしといてやる、ってね」

「……プティー。言わないでいいのか?」


 アヅマが至極まじめに尋ねた。プティーが頬に貯めた息を抜き、つまらなそうに濁った人工池の水面を見つめる。


「……なにを?」

「竹材の話だ。トラップバンブーは竹発条バンブースプリングに転用できる。これだけあると月の小遣いには多すぎる」

「……好きにしろって言ってたろ? いいじゃないさ」

「プティー」


 アヅマはプティーの細い肩を叩き、振り向かせる。彼女が気まずそうに視線をそらすともう片方の肩も掴み、躰の正面を向けさせた。

 じわり、じわり、とプティーの口が結び、頬に赤みが差した。


「……ああもう! わーったって! 教えりゃいんだろ!?」

「うん」


 と、頷くアヅマの手を払い、プティーは冷ややかに言った。


「ったく、お人好しが過ぎないかい? 命を張ってんのはこっちなんだよ? すこしくらい小銭を稼がせてもらったっていいじゃないか」

「無敵とは、敵をつくらぬ人をいう」


 竹咲捨念たけさきしゃねん流七代当主、今は亡き父の教えである。

 言うまでもなく、プティーも理解わかっている。でなければ言葉数を増やすこともない。

 アヅマの真摯な黒瞳に射竦いすくめられたか、プティーは苦笑いを浮かべる。


「それよか、コレ」


 親指でトラップバンブーの捕食稈を示した。


「さっさと割ってやらなきゃ、たとえ生きてても土左衛門どざえもんだよ」


 成瀬川土左衛門――エドなる時代に生きた肥満体の相撲力士スモーレスラーだという。その見た目を評して、水を吸って膨らむ水死体の隠語とされた。失礼な話だ。

 隠語の成り立ちはともかく、急がなければならない。竹が生きているうちは効率よく養分を得るため犠牲者も竹が生かしてくれるが、竹が死ねば犠牲者も死ぬ。

 アヅマは真っ直ぐに構えるトラップバンブーの竹稈を見上げ、唸った。


「どう割るのがいいと思う?」

「んー……先に割っちまって中身を抜くってのはどうだい? 軽くなりゃあたしらだけでも引っこ抜けそうなもんだ」

「……潰れないといいのだが、それしかないか」

「どのみち捕まった時点で死んだようなもんだろ? あたしらに見っかっただけでも儲けもん。生きて残れりゃ奇跡さ」

「……割り切れないものだな」


 捨念、すなわち念を捨てるが竹咲流。裂の字を嫌う時点で念を捨てきれていないのではと教えを請うたとき、父はどんな顔をしていただろうか。

 アヅマは竹切り庖丁と渾名あだなされる刀を正眼に構え、息を細く、長く、吐き出した。


「――シィッッ!!」


 鋭い踏み込み。正面からの打ち下ろし。俗に唐竹割りと呼ばれる一刀。刃筋が竹に食い込むと同時にアヅマは素早く一歩退く。

 大気を震わす破裂音、捕食稈に縦一本の割れ目が入り、雫が溢れた。次の瞬間、

 ドッ、と粘液が溢れ出し、自らの重量にひしがれながら裂け目を広げる。足元を埋め尽くす無色透明の泥。取り込まれていた生命は、


「……女?」


 灰色がかった長い金髪、彫り深く整った顔立ち、旅装束にしては綺羅びやかな服。

 プティーが嫌そうに唇を湿らせた。


「しかもオークス様ときた。たまんないね」


 一節を失った核となる竹稈が大きく倒れ、穂先を屋根に立てかけるようにして止まった。塵と埃が舞い上がり、縦に割れた捕食稈がぬるりと横に滑った。

 アヅマは竹のうちにいた娘をゼリー状の粘液からひきずり出し、人差し指と中指を揃えて生白く細い首筋にあてがった。弱いながらも脈打っている。次に耳を口元に寄せる。呼吸なし。


「戻るといいが」


 言いつつアヅマが娘を横たえ顎をあげさせると、プティーが彼の肩を叩いた。


「ちょいちょい、なにする気だい?」

「息がない。吹き込ないと――」

「あたしがやる」


 言葉尻を食いとるような物言いに、アヅマの眉間に皺が寄る。


「竹の雫は好かないと言ってなかったか」


 デビルバンブーのそれは粘りも臭いも強いが。


「あたしがやるっつったら、あたしがやんの! この助平が!」


 ペシっと頭を叩かれ、アヅマの渋面が困惑に歪んだ。

 プティーはまったく意に介さずに彼を押しのけ、娘の鼻をつまんで大きく息を吸った。

 そして。

 幾度か息を吹き込むと、娘が咳き込みながら粘液を吐き出した。プティーは心底嫌そうな顔をして口元を拭い、アヅマの肩を突いた。


「そんで? 生きてたみたいだけど、どうする気だい?」

「……ひとまず連れて帰るしかないだろう」

「この子を? あたしらの家に?」

「助けると決めたのは俺だ。俺が背負う」

「……そういうこと言ってんじゃないんだけどねぇ」


 プティーは二度、三度と口に入った粘液を吐き捨て、腰の竹袋からバンブーパイプを取り出した。ポンチョの裾で拭った指先で刻みたばこを詰め込み、火打を出す。


「まったく、女と見ると甘いんだから弱っちまうよ」

「……俺がか?」


 そんなはずは、とアヅマは意識の戻らぬ娘とプティーのあいだで視線を巡らす。


「……そうなのか?」

「そうだよ」

「……そうか」


 アヅマは両膝を地に突き、プティーに躰の正面を向け、深々と頭を下げた。


「すまん。迷惑をかける」

「……まったく。そうされると絆されちまうんだから、あたしも大概だよ」


 ぷぅっ、と、プティーが苦笑交じりに煙を吐いた。

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