バンブースラッシャー
「さて、と……そいじゃ、中庭とやらを見てみようじゃないか」
ギィ、と、建物が傾いでいるのか扉が軋んだ。
「――ハハハッ、こいつはいいねぇ」
小馬鹿にするように笑い、プティーが二枚扉を大きく開く。オークスの好みにあわせて土と芝、背の高い木でつくろうとした庭だった。
今の姿はといえば、不規則に間隔ひろく青竹が伸び、点々と笹が茂り、土塊の色は剥げた芝のまわりにしかない。ビスキーの言っていた人工池は言葉通りに中央にあったが、すでに濁りきっている。そして、
「……樫の木は喰われたか」
真新しい橋を渡された小島に、大木を思わせる竹稈がそびえている。ひと節の長さは人ひとりを収めるに十分に足り、根本の一節は分厚く硬質な茶色い皮で覆われたまま。おそらく、人か、それに準ずるなにかを喰んだのだろうが――、
「どうすんだよ、これ……」
ビスキーが肚の底から絞り出すようにして言った。大柄な手で覆われた顔は青白く、太い指がこめかみの肉に食い込んでいる。
アヅマは
「……そう気に病むな。
ブッ、とプティーが吹き出し、ビスキーの指が震えるほど強くこめかみを押した。
「……お前、つまらねぇ冗談いってねぇで仕事をしろよ。殺すぞ」
「……冗談ではないのだが。そう聞こえたのならすまない」
アヅマが姿勢を正すと、プティーは半笑いで彼の肩を叩いた。
「気にしない、気にしない。それより肉喰みだよ。どう見るアヅマ?」
促され、アヅマは中庭に生える竹と笹の構成、その位置をたしかめる。一見、不規則、無造作に生えているようだが、肉喰みの植生に無駄はない。
無造作に見えるのは、獲物を内に引き込むためだ。
アヅマは扉の前で片膝をつき、乱立する竹の先を見やった。地表間際の竹稈は太さ十
「トラップバンブー」
「だねぇ」
納得し合うアヅマとプティー。ビスキーが苛立たしげに声を投げる。
「俺にも分かるように言え。雇い主だぞ」
「オークス様にも分かるように? 何年語らせるつもりさ」
プティーが唇の片端を吊った。ビスキーが歯を軋ませる。すかさず、アヅマはすぃと平手を伸ばし押し止めた。
「トラップバンブーだ。地表の気配を地下茎で察知し、中央の竹に引き込む」
より厳密に言えば、圧力だ。
大地を踏みしめる圧に感応して稈と笹を動かし、中央の捕食稈に引きずり込む。遠間のうちの感度は鈍く、中核にちかづくほど鋭敏になる。殺すには捕食稈を断つしかないが、近づけば近づくほど罠が増えるというわけだ。そこで、
「……アヅマ」
「うん」
アヅマが無構えに構えて腰を落とすと、プティーがその肩に手を添えて跳ね、
「……重かないかね?」
「笹葉より軽いくらいだ」
答えた瞬間、ぺしっ、とプティーがアヅマの頭頂を手刀で叩いた。
「教えた通りに言うやつがあるかい、
「……善処する」
アヅマは
「そこを動かないほうがいいぞ。踏み込まれても守れん」
「……死に様を見届けたら引き返すさ。次を雇わなきゃいけねぇからな」
吐き捨てるように言い、ビスキーは足を
アヅマは双肩に乗る重みに姿勢を正し、鋭く、息をつく。
「行くぞ」
「
プティーの短な返答を待たずに、アヅマは一歩を踏み出す。まずは左足。重心をそのままに、するり、と前に踏み出る。次の一歩は右足。まるで沼地を歩くようなすり足にしては高すぎる足運びだが、奇妙なことに上体は一瞬たりとも揺るがない。
ビスキーは滑るように進む
見様によっては仲睦まじい
その実、ふたりは竹を騙して足を進めているのだ。
遠間では小さい獲物だけを狙い、近間では大きい獲物を狙う。それがトラップバンブーだ。近づくのに最も有効な手だては重さを誤魔化すこと。
そして、殺そうと思うなら、道選びが肝要となる。
アヅマはプティーを肩に乗せて進路を塞ぐ笹へと向かう。その葉は触れれば血を流すほどに鋭く、繁みの奥には今か今かと爆ぜる瞬間を待つ稈を隠す。
知らねば地獄。言うまでもなく。
だが、知りさえすれば
アヅマは足を踏み進み、さらなる一歩に瞬時、身を固くする。石火の間もなくプティーが跳ね跳ぶ。笹が微かにさざめき、そして――、
ヒュゥ、と風を切り、繁みから竹稈が撓りながら飛び出した。
アヅマはなに動じることなく、切っ先で大地を掠めるようして刀を振り上げた。
カッ! と乾いた音が響き、断ち切られた稈が宙を舞う。
一拍の間を置き、繁みから新たな稈が伸びる。
アヅマは目視と同時に刃を返し、一手、二手と断ち切りながら笹に近づき、
「――ッエィァァアアア!」
気合一閃、笹もろとも切リ倒す。同時。
プティーがアヅマの双肩に着地する。彼女自身の体重と重力がくわわり地下茎が感応、周囲のトラップバンブーが誤作動を起こした。
数十の竹が獲物を引き込むべく折れ曲がり、見当違いの大地を突き刺し、地表を舐めるように細い竹稈が横走りする――が。
アヅマは一太刀目に放った
静寂。
巻き上げられた死んだ笹葉と、竹の薄皮が、紅白乱れる雪のように舞っていた。
プティーが、アヅマの肩の上で笑みを深める。
「さぁ、行こうか」
「うん。」
アヅマは鋭く光る笹葉を気にもせず踏みしめ、さらに進む。目指すは芝剥がれ土色を見せる点。彼は自ら罠を踏み抜く。後手必勝がアヅマの修めた剣の真髄である。鍛え抜いた膂力と技もち全てを受け止め、敵に自省を促す。対して、
「来るよ!」
発するや否や、プティーが脛を伸ばして前に出た。察したアヅマは切っ先を正面に向け、刀の峰で小さな足を受け止める。足が地に沈むほど強く突き、素早く、高く、アヅマはプティーを空へと打ち出す。
僅かに遅れ、地に足を刺すアヅマを狙い、竹が異様なしなりをみせた。まるで生き物、毒蛇のひと咬みである。
しかし、
先手必勝、機先を制し無力化する。それがプティーの戦い方だ。
後手必勝のアヅマと、先手必勝のプティーが揃い、常勝無敗の一対と化す。
プティーは支えを失い伸び上がる竹を手繰り、さらに高く昇る。
アヅマは地表を駆けて迫る笹葉と竹稈の全てを断つ。
「ハハハッ!」
と、プティーが凶暴な笑い声を立てながらククリを振るった。
次から次へと降り落ちる屠られた青竹。落ち葉と芝を散らしながら迫る罠。アヅマは当然とばかりに刀を払う。勢い吹き飛ぶ竹が枯れ葉を舞わせ、その空で、プティーが軽業士の如き身のこなしで竹から竹へと渡り危機を刈る。
「アヅマ!」
「うん」
落着。プティーがアヅマの肩に降りたとき、そこはすでに人工池の手前であった。
半拍の間。
濁った水面に波紋がひとつ。水
「プティー! 節を抜くぞ!」
アヅマが叫んだ。輝き失せた漆黒の瞳は巨木ほどもある太い捕食稈を見ている。育ちきったにしては若い。養分に選ばれた何者かは生きている可能性がある。足元を抜けていく細竹をアヅマが蹴り、プティーが打ち下ろされる稈を切り捨てて手繰った。
「一発勝負だ!」
プティーはアヅマの応答をまたずに膝を曲げ、
同時に、プティーは撓る竹稈の内を断った。自らの力で撓っていた竹が内の張力を断たれて真っ直ぐに伸びようとする。いわば竹の
「行け! アヅマ!」
プティーが足を伸ばした。アヅマの躰が慣性に従い、核たる捕食稈の前へ滑る。
「――シィッ!」
アヅマは鋭く息を吐き、太く膨らむ節の上端中程に刀を打ち込む。刃は一瞬の内に節をふたつに分割、切り終えるかどうかというとき、彼は刀に力を加えて強引に落ちる。素早く手の内で刀を返し、
「――エィヤァ!!」
二太刀目は下側の節。両断寸前、アヅマは刀を支点に自らを打ち上げた。回転しながら飛び退り、刀を地に突き立てて足場とする。
間。
ずるり、と捕食稈の上下両端が僅かに滑った。
ひと節すなわち上下に蓋を持つ筒を、蓋を上下二分するように断ったのだ。竹の節――いわば筒の蓋そのものを分かたれた竹は、それと気づくことはない。そこにあるはずの栄養源すなわち捕らえたはずの獲物を頼りに竹稈を振るい、やがて自壊する。
地に立てた刀の柄に座すアズマをよそに、中庭に蔓延るトラップバンブーのすべてが同時には発動、枯れ葉を舞わせ、青竹を振るい、笹を散らす。
やがて竹の自壊が収まった頃。
とん、とプティーがアヅマの肩に降り立った。
「……お疲れさん」
「プティーも」
アヅマは左手でプティーの膝を押さえ、肩越しにビスキーを見やった。
彼は、中庭の入り口で、いまにも吐きそうな顔をしていた。
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