悪寒
屋内は惨憺たる様相だった。床のあちこちを貫き竹が伸び、天井を穿ち、天までとどけとそびえている。途中にあった上品な調度類はすべて竹になぎ倒され、水を通す鋼竹管の類も無残に引き裂かれていた。
アヅマは直近の竹を一振りに切り、首を捻った。
「……妙だな。モーソーバンブーの近縁種らしいが、こいつらはどこから来た?」
「どこって、破れた竹止めからだろ?」
言いつつ、プティーがククリナイフを払い、軽やかな音を立てて竹を断った。彼女の技術はアヅマと違い、大陸由来の勇猛さをもつ。
アヅマのそれを技で伐るとするなら、プティーのそれは力で断つ。
アヅマが躰で伐るとするなら、プティーは刃の重さと勢いで断つ。
どちらの技が優れているとは一概に言えない。
――が、こと竹打ちとなれば別だ。
技術と得物にはやはり向き不向きがある。
伐った竹を引き下ろし、枝を打ち、数度にわたり短く揃える。枝を打とうすれば刀は長大に過ぎ、太く固い竹稈を断つにククリは心もとない。
「ああもう! なんだこれ! いくらなんでも多すぎるだろ!」
プティーが苛立たしげに吠えた。無理もない。
四階建て十六
「まったくバカみてぇに増えやがってぇ……!」
「プティー、下ろすのは後にしてまずは竹を殺そう」
言って、アヅマは手近な竹を伐った。支えを失いぶらりと垂れ下がる竹。切断点は地表から約一米に揃えてある。
俗に一米切りと呼ばれる、竹を殺す手法だ。
竹は土の下でつながっている。大地を割って伸び上がっているのは、半永久的に降り注ぐ陽光という名の栄養源を確保するための、いわば受光装置である。
当然、いくら装置を破壊したとて、本体である竹そのものを殺すには至らない。
もちろん、装置をつくるだけでも膨大な力を要するために、日々切りつづければ地下茎も弱っていく。しかし、それでは尋常の竹を殺すのに数年、デビルバンブーでは十年あっても足りない。
そこで、竹すなわち地下茎を殺すには地表一米ほどで伐る。すると竹は受光装置の故障に気づけず、維持するための生命力を延々と注ぐ。何度も伸ばさせるのに比べれば、ずっと早く殺せるというわけだ。
「……おい。切りっぱなしで放ったらかす気か?」
ガツン、とビスキーが床を抜いて伸びる竹を蹴った。
プティーがつまらなそうな目をして、額に浮いた汗を手の甲で拭った。
「そんな心配しなさんなって。三日でここまで育ったんだろ? 全部やっときゃ三日で抜けるさ。たぶんね」
通常の竹が相手なら、休眠期の冬場から春先にかけて一米切りを行い、同じ作業を三年は繰り返さなくてはならない。三日で終わるのは三日で育つ魔竹ならではだ。
「たぶん、じゃ困るんだがな」
ビスキーがちらりとアヅマの顔を伺う。彼は、険しい顔で竹の切断面を見ていた。
もちろん、他にも竹を殺す術はある。ただ、デビルバンブーには使いにくい。
たとえば地下茎に毒を流す術をとれば、魔竹はすぐに抵抗力を得て、より厄介な代物に変じる場合がある。地下茎を掘り起こすのもいいが、今回のように建物の内側に生えてこられては使えない。他にも燃料をかけて焼き払うという手段もないではないが、しくじれば街ひとつが燃え落ちる危険な一手だ。
言い換えれば、日に数米も伸びる成長力こそが最大の弱点なのだが――
傍目には力任せにしか見えないやり方でまたひとつ断ち切り、プティーが吠えた。
「……ああもう! こんなん全部やってちゃ、あたしの可憐な手がマメだらけになっちまうよ!」
「……そうだな」
アヅマの至極マジメなこたえに、プティーがぎょっと顔を歪める。
「……ちょいと。冗談いったんだからさ、ちょっとは笑ってくんないかね」
「……そうだな」
やはり至極マジメに言い、アヅマは黙々と部屋を埋め尽くす竹に銀閃を走らせた。
「……ったく。竹林に入るといっつも心ここに在らずで困るよ」
やれやれとばかりに肩を竦めるプティーに、アヅマはようやく顔をあげたが、しかし、すぃと平手を伸ばし間を求めた。
プティーとビスキーは顔を見合わせ、揃って胸元で腕組みをする。
アヅマはそれを横目に思案した。
プティーの言うとおりだ。いくらなんでも多すぎる。それに道を塞ぐ竹は切ったそばから雫を溢れさせる。成長力旺盛なデビルバンブーであったとしても、のべつ滴るほど養分を吸い上げる単独群生種なぞ、聞いたことがない。
アヅマは血振るいをするように刀を手の内で回し、パチン、と鞘に納めた。人差し指と中指を揃えて竹の切断面を撫で、指についた雫を口に運ぶ。
ビスキーが顔をしかめ、嫌そうに舌を垂らした。プティーはぱちくりと長い睫毛を上下し、やにわに真剣な顔になった。
「アヅマ――」
「……そのようだ」
竹特有の真っ直ぐな碧みに、仄かな鉄錆に似た臭いが潜んでいる。危険だ。
アヅマは乾きはじめた唇を湿らせ、絞り出すように言った。
「
「――ああっ、くっそ……」
プティーは両手を腰に置き、目を固く閉じて顎を天井に向けた。ビスキーも顔色を悪くし、鉛でも飛び込んだかのように両肩を落とした
肉喰みとは、デビルバンブーのなかでも肉食性の変種を指す隠語だ。
異常進化の過程で生まれた最も危険と目される変異群。小さな物は虫に始まり、ものによっては人を含む大型動物を捕らえて養分とする。
生態はまちまちで、ひとつところに長く居座るのもあれば、寄生種や、風を使った放散により動物を殺傷せしめ土地の養分を増やすという、はた迷惑な代物まである。
その凶悪性ゆえに真っ先に伐られ、広範囲に繁殖することは少ないのだが――、
アヅマの思考を断ち切るように、プティーが小声を発した。
「外にそれっぽいのは……あの笹? でもあれは……」
「ああ。違う。笹じゃ供給源としては小さすぎる」
肉食性のデビルバンブーは多くの厄介な性質をもつ。そのひとつが、地下茎を通じて他の竹と連結する能力だ。地下茎が栄養供給源として竹稈を伸ばすように、肉食性のデビルバンブーは自らを栄養供給源とし、他のデビルバンブーの成長を促進する。
「……あるなら……ここの中心?」
プティーの当て推量に、しかし、アヅマはなるほどと頷く。二重止めの内側で魔竹が育っていたのは、中心から伸びた地下茎と接続したからかもしれない。
アヅマはしばし考え、ビスキーに鋭い眼を向けた。
「ここはなんのために作られてるんだ? 中心にはなにがある?」
「なんのため? 知るか。俺はただの使いっぱしりだ」
ビスキーは忌々しげに吐き捨て、懐から紙巻きの煙草を出した。携帯用の火打で笹葉の付け木に火を灯し、煙草の先端を焼く。
プッ、と短く煙を吐き、ビスキーは虚空を見つめながら
「たしか……中央には人工池をつくって、そばに樫の木の苗木を植えたはずだ」
「どうりで家具が立派だと思った。オークス様の遊楽施設ってわけだ」
プティーはポンチョの裾を払い、腰に吊るした竹編みの袋から煙管を出した。これからの仕事を思うとアヅマは止める気にならなかった。
プティーは火皿に刻みたばこを詰め、竹発条の火打をパチンと鳴らす。人差し指ほどの幅をもつ付け木で煙管に火を掲げながら吸い、細く、長く煙を吐いた。
「どうする――って聞くまでもないやねぇ?」
「ああ。そいつが本命だ」
アヅマは肩甲骨の下で両手首を掴み、背筋を反らせた。みしり、みしり、と躰の中心が軋みながら伸びていく。
プティーがゆっくりと、あたりに広がるように煙を吐いた。煙管を返し雁首を手首に当てるようにして灰を落とし、清廉な祈りの言葉を囁く。彼女の一族に伝わる邪気払いのまじないだ。背後に忍び寄る死に目を向け、恐れを受け入れるための時間。
睫毛をゆったりと持ち上げ、プティーはアヅマを見やった。
「行こうか」
「心得た」
アヅマは低い声で同意し、ビスキーに言った。
「中庭とやらに案内してくれ」
「……ああ」
ビスキーの瞳が粘つくような昏い色を見せた。
「先に約束しろ。途中で降りるのは無しだ」
プティーの眼光が鋭さを増す。アヅマのそれは変わらない。
「聞かずとも
「違わないさ。先に行け。後ろから道を教える」
「言うと思った。けど、」
プティーがニヤリと唇を歪めた。
「殿は怖ぇぞぉ?」
ぶるっと震えるビスキーに、プティーは満足気にポンチョを払い背中に回した。
「アヅマ、あたしが先だ」
煙管を竹袋に納め、ククリを抜き、プティーはぶら下がる竹を潜り部屋を出る。アヅマはすぐ後ろに続き、鯉口を切った。柄を右手一本で柔らかく握り、刀の腹を正面に向けるようにして右股の前で水平に寝かせる。速度を優先する無構えと呼ばれる型だが――。
「こうも竹に生えられるとな……」
通路は刀を振るに十分な広さがあったが、点々と生える竹は長い刀を阻む。
アヅマは仕方無しに刀を立て、右肩に担ぐように持ち替えた。
植物は気配に乏しく、いつどこから襲ってくるかほとんど読めない。品種と特性を見定める前が最も神経を使う。自分一人ですめば――そう思うことすら危うい。
期せずして与えられた苦境に身を沈め、アヅマは静かに心を消した。
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