体中剣

 竹桟橋を踏みしめる乾いた靴音が竹林に響いた。ビスキーが先導し、後ろをアヅマとプティーが横並びになってついていく。

 常在を旨とするアヅマの服装は黒服のまま変わらない。竹林に紛れぬように青い布を頭に巻いているが、それも相棒に言われたから着けているだけだ。

 一方、プティーの仕事着は少々派手だ。一族伝統だという真っ赤なシャツと空色のパンツに、さらに上からくすんだ赤色のポンチョを羽織っている。ポンチョは赤、青、黄の三色で不規則な格子模様が刺繍され、見た目にも美しい。

 だが、そんなプティーの姿には一言もくれず、


「……ったく、竹、竹、竹……嫌んなるぜ」


 ビスキーは唇を内側に引き込み、桟橋の外に唾を吐いた。アヅマの眉がかすかに跳ねる。慣れない者には味気なく映るのもわかるが、見ていて気分のいい所作ではない。

 それと気づいたのかどうか、プティーがからかうような口調でビスキーの後ろ頭に声を投げつけた。


「生まれて何年経ったのさ。いい加減に見慣れなよ」

「ああ? 誰が見慣れるもんかよ。お前らとお前らの先祖のせいだろうが」

「そっちじゃなくてさ。なぁ?」


 プティーが首を振り、アヅマを見やった。


「……ああ。ここらはモーソーバンブー、俺たちの家のまわりはマダケが中心だ。落葉性の笹もいくらか混じっているが、あれは竹というより木に近い」

「……あぁ?」


 ビスキーが眉間に深々と皺を寄せ、アヅマの黒瞳を覗き込もうとし、やめた。彼にその手の脅しはまったくといっていいほど効果がない。


「……お前らと一緒にすんな。バンブーの違いなんざわかるわけねぇだろうが」


 微かに声が震えていた。アヅマの傍らで、プティーがくっくっと肩を揺らす。


「簡単さ。モーソーバンブーなら節の輪が一本で、若いのはちょっと白い。マダケとハチクは節の輪が二本。で、タイガーバンブーなら虎模様がある」

「黄色と黒の縞模様があるってか? 寝言は寝てから――あ、くそ!」


 ビスキーは悪態を途中で切り、桟橋を駆け出した。プティーが唇の片端を吊り上げ、アヅマの肩を叩いた。見ると、あっちだよ、とばかりに細い顎を振った。

 桟橋の先に、竹の壁。その前で罵倒語を叫び立てるビスキー。獣のような大声に驚き、小鳥たちが悲鳴をあげながら飛び去っていく。


「道の竹止めは完璧だな」

「ん? そこ?」


 プティーが苦笑交じりに眉を寄せてみせると、アヅマは小さく頷いた。


「大事な話だ。しくじったのは土地を開いた連中じゃなく、敷地内をいじった人間ってことになる。ビスキーも追求する相手が分かったほうが嬉しいだろう」

「そりゃそうだろうけど、今は喜んじゃくれないだろうねぇ」


 口元に握りこぶしを当て、プティーは可笑しそうに笑った。

 ガラン、とビスキーが桟橋に膝を落とした。崩れるように両手をつき、呪詛の言葉を呟く。その脇に立ち、アヅマは壁と化した竹の表面をなでた。

 白っぽく産毛が立ち、節の輪はふたつ。モーソーバンブーの仲間だろうが、しかし。


「……三日前まではこうじゃなかったんだな?」


 ビスキーは赤べこの置物のように首を力なく振った。アヅマは腰に差した刀に左手をかけ、竹の先を見上げる。天を覆わんばかりの笹葉を抜き、陽光が目に刺さった。高さは約七メートル竹稈ちくかんの太さはすでに二十センチちかい。竹同士の間隔は狭く、敷地内にあるという竹筋コンクリートの建屋とやらも薄っすら輪郭が分かる程度だ。まがうことなき、


「デビルバンブーだな。モーソーバンブーの変種だろう」


 オークスは一口にバンブーとまとめてしまうが、竹は、厳密には竹、笹、バンブーの三種に分かれる。一般に、竹は長大な地下茎をもって間隔も広く生え、笹は背が低く落葉し、バンブーはひとつの株から草のように密集して生える。

 

 だが稀に――というには多すぎる頻度で――それらの特性をまだらに宿したうえ、品種だけでは説明のつかない異常な生態をもつ竹が見られる。それら超常の進化を遂げた竹を指し、デビルバンブー、と呼ぶ。

 アヅマは親指を刀の鍔にかけ、鯉口を切った。


「ビスキー、下がっていろ」


 言って、アヅマは腰を深く落とし、左足を後ろに引くようにして躰を捻りながら、一息に刀を抜いた。

 竹を向けられた剣に見立て正眼に取り、切っ先で相手を捉えながら肩ちかくまで刀を上げる。左足を大きく後ろに置いて踵を芯とし、足先を八の字に大きく開く、奇妙な上段の構え。


 何十、何百と竹を伐る前、なによりも大事になるのが第一刀だ。一太刀目の合気が乱れれば次第に刃が鈍り、いしつか大地に根を張る竹に押し負けてしまう。そのとき刀は震え、曲がり、折れる。まずは一太刀を合わせ、真っ直ぐ切り割るのが肝要だ。


 アヅマは竹の壁を前に心を消す。

 吹き降りる風に揺すられ、擦れた笹葉が苦しげに鳴いた。すべてを喰らおうと繁る竹が、我が身の重さに嘆く。そこに、介錯をくれてやる。怒りでも憐れみでもなく、無心で。

 アヅマは剥き出した牙の隙間から息を吸い、


「――シィッ!」


 と、鋭く吐き出しながら力強く踏み込む。直刃の刀身が密集する魔竹の稈に触れ、ミシリミシリと押し切っていく。体中剣。竹が根を張り待ち構えるなら、こちらも足を大地に張って躰そのものを剣とする。

 一歩、一歩と、魔竹の尽くを切り割りながら進み、静止。

 枝葉に見立てた刀、手指、手の内を通じ気を合わせる。


「――エィヤッ!」


 アヅマは肚の底から気を発し、切っ先で螺旋を描いて竹を右薙に切り割った。地表約一米で断たれた竹が滑るように軸をずらし、がざりと一斉に落ち、上部の笹葉と小枝を絡ませ止まる。

 アヅマは摺り足で戻り、ふたたび正眼に構え、細く、長く息をついた。


「……うん。良さそうだ」

「お美事みごと


 さらりと言いのけ、プティーは指を振った。


「――んじゃま、じゃんじゃんいこうか。まずはバンブーにやられた建物ってのをみないとだ。なぁ? ビスキー」


 プティーはニヤリと悪い笑みを浮かべ、暗い顔をしたビスキーの腰を小突いた。彼は、くん、と太い顎を小さくあげた。


「俺をからかってねぇでさっさと仕事をしろよ、バンブーズ。見ろ、てめぇントコのお猿さんは仕事熱心なもんだぜ」


 アヅマは心乱れることなく、無心に竹藪を切り開いていた。

 切り、引っかかり宙に浮いた竹を引き寄せ、また切り落とし、短くなった竹を躰で押しのけ、また刀を振る。早くも竹の切断面から雫が滲み出していた。


「いくらなんでも成長が早すぎる。家屋があっても形を留めているかわからんぞ」


 アヅマの言葉に、ビスキーが黄色い歯を軋ませた。


「聞きたくねぇ。イチから作り直しとか最悪だ。あのバカガキ、テキトーな仕事しやがって……そうなってたらぶっ殺してやる」

「バカガキ、というのが誰かは知らんが」


 バスン、とまた一太刀を竹にくれ、アヅマは小さく鼻を鳴らした。


「敷地の竹止めは問題ではなさそうだ」

「あん?」


 ビスキーが訝しげに顔をしかめた。

 プティーがより分けられた竹の間を縫うように進み、竹を足場にアヅマの肩に手をかけ肩越しに奥を覗いた。

 竹の壁と化していたのは道から一米ほどに留まっており、その先は優雅な竹林……といっても魔竹だが、家屋へつながる道そのものは生きている。


「――なる」


 プティーは納得とばかりに頷き、ビスキーに振り向いた。


「良かったね。まわりを固めた竹止め屋は優秀だ。二重止めになってる」

「あん? どういう意味だよ?」

「二重止め。砦なんかに使う方法だよ。いざってときに天然の竹垣をつくれるように間をあけて竹止めしとくのさ。だよね、アヅマ」

「ああ。正しい魔竹の使い方だ」


 いざというときに二重止めの内側に魔竹を植えれば、一週間で天然の壁をつくることができる。もちろん代償も大きいが、千年より昔から内戦を繰り返してきたとされるヒノモトにあって、ときに地形すら変える魔竹は重要な戦略兵器だった。

 一説には、兵器や資材として使いやすくるために魔竹をつくったとも言われている。また、それゆえに、古来より竹に慣れ親しんできたバンブーズが諸悪の根源だとみなされているのだ。

 アヅマは緑の壁を越えて敷地の小径こみちに立つ。周囲には点々とモーソーバンブー類の魔竹が伸び上がり、隙間を埋めるように短刀の如き葉をもつ笹が繁る。そして、小径の先には、


「良かったな、ビスキー。建物も無事なようだぞ」


 ガサリガサリと大きな躰を窮屈そうに丸めて竹を押しのけながら出てきて、ビスキーが肩を落とした。


「……どこがだよ。冗談で言ったんなら笑えねぇぞ」


 住居にしては巨大すぎる真っ白な建築物は、尋常なれば見事な立ち姿だが、今はその四階の天井を緑の悪魔が貫いている。据えられたいくつもの窓すべてに緑が覗き、門の奥から虎が這い出てきてもなんら不思議ではない。

 プティーがくつくつと笑いながら、アヅマの左脇を肘で突いた。


「前門の虎、後門の竹だね」

「……ンッ」


 不謹慎な想像を言い当てられ、アヅマは素早く口元を隠して顔を背けた。


「……だから、笑えねぇっつってんだろ」


 ビスキーのぼやきに、アヅマはとうとう吹き出した。また一太刀目の心から作らなくてはらない。愉快だが、迷惑な話だった。

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