第36羽 北欧神話、汚される
ロクが照りつける日差しからコンビニに避難していた頃。
浮かれに浮かれ、いち早く駅に着いていたすみれと雫もまた、駅前のカフェに逃げ込んでいた。
「ふぅ、今日は暑いな。いよいよ夏が本性を表してきたらしい」
「暑ければ暑いほど、海は気持ちいい」
「それもそうか」
エアコンの効いた店内で、アイスコーヒーをストローを使ってゆっくり飲んでいる。
「とは言え、海に入るのは明日だが」
「天気予報は確認済み。明日も同じく快晴」
「嬉しい報告をありがとう。安心できるよ」
二人がとった席はテーブル席ではなく窓際のカウンター席で、並んで丸椅子に座りながら外をぼんやりと眺める。夏は汗だくでべったりするのに、夏の風景はどこか爽やかさを感じ、こんなよく晴れた日は外景を見ているだけで心が満たされる。
「すみれ、今日は機嫌が良さそう」
「それはそうだろう。何せ待ちに待った合宿なんだから」
「それだけじゃない」
相変わらず無表情に見つめてくる雫と目があって、「ふっ」と笑う。
「雫は私をよく理解してるな」
「幼馴染だから。ぶい」
小さな手で作られた小さなピースサインは、ニコリともしない雫の表情と不釣り合いだ。
「……なに、いつもより面白いんじゃないかと思える小説が書けてね。まだ姉さんにも見せてないから分からないが、それで浮かれてるだけさ」
「とても読みたい」
「合宿中に品評会があるだろう? その時、みんなに見せるから楽しみにしておいてくれ」
「分かった」
雫は素直に聞き入れて、それ以上催促することはしなかった。しかし、たとえ表情を変えずとも、ソワソワしているのが幼馴染のすみれには丸分かりである。
(小鳥遊くんには感謝だな。私が納得のいくモノを書けたのはあの時のアドバイスがあってこそだ)
小鳥が文芸部に初めて来た日から、少しずつ書いていて手応えを感じるようになってきた。
(自信はある。前回姉さんに見せた小説は不評だったけど、今度こそは……)
カフェ内からは集合場所が視認できる。すみれが内心奮起している時、集合場所にフラフラとやってくる蓮の姿が道路を挟んで見えた。ふらついているのはこの暑さにやられてのことだろう。
「お、蓮が来たな。どうする雫。私たちがあちらに向かうか、蓮をこちらに呼ぶか」
「もちろん呼ぶ。限界まで涼む」
「賛成だ」
外に出るのが億劫だったすみれは素早く蓮にメッセージを送信した。すると蓮がズボンのポケットからスマホを取り出し、メッセージを確認して、すみれたちの方を見てくる。
すみれがひらひらと手を振る。
二人に気づいた蓮は信号が青に変わるのを待ち、道路を渡って、カフェに入ってきた。
カランカランとドアについたベルの音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
店に入ったのなら、何かを頼むのが礼儀だ。カフェの入店経験が少ない蓮もそれはわきまえている。しかし。
「アイスコーヒーをもらおう」
「サイズはいかがなさいますか?」
「Mで頼む」
「M? トールのことでしょうか?」
「トール? 雷神がどうかしたのか!?」
「いえトールというのはMの別の言い方でして……」
「雷神はMだった!?」
「何か違う伝わり方をしている気がしますぅ〜!!」
あまりにもベタな勘違いをする。
「雫、助けに行ってやってくれ」
「任せて」
部長の指令に従ってレジへと向かう雫。
「御堂蓮。救いに来た」
「おお! 水野よ! トールがMとはどういうことだ!?」
「トールと仲の良いロキがSだったということ」
「なに!?」
腐女子だった。
「トールは女装したこともある。生粋のウケ。ロキがSでトールがMであることは確定的に明らか」
「なん……だと……」
「ロキロキのロックンロックントール」
「か、かき鳴らすエレクトリックギターは……?」
「Don’t Stop! Don’t Stop!」
「何故か意味深に聞こえる!!」
「さあ。君の全てを曝け出して見せろよ」
「想像したくない! ロキとトールのそんなプレイ!」
「ロキロキのロックンロックントール」
「うわあああああああああああ」
汚された名曲と北欧神話に蓮は頭を抱えてしゃがみ込んだ。そんな客たちの様子に店員は「トールのミョルニルが大変なことになってしまいますぅ〜!」と、目を><にして場違いなツッコミを入れている。
と、そこに。
カランカラン。
「御堂、何をやってるんだ?」
ロクと小鳥が到着した。カフェは集合場所ではなかったが、外から店内に文芸部員たちがいることを二人は見つけたのだ。
「聞いてくれ盟友よ!! トールのミョルニルがロキにかき鳴らされそうなんだ!!」
「日本語で話してくれ」
「実はロキの方が女装経験が豊富だなんてここまで来たら言えないですぅ〜!」
「なに!? 両方とも女装だと!?」
「それはそれで良い」
カオスと化した店内は、小鳥の「カフェなので静かにしましょう」という一言で治まる。騒がしかったが、彼ら以外に客がいなかったのは僥倖だった。
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