第31羽 ロク、小説を見つける

 時間は少し遡り、桜庭家。


「さて、休憩がてら忘れ物でも回収しとこうかな」

「忘れ物?」

「フィギュアだよ。向こうに持っていって飾ろうと思ってた奴があるんだけど、寝室のどこかに仕舞ったまま持って行くのを忘れていたんだ」

「今は小鳥遊の寝室なんだし、勝手に入るのはまずいんじゃないか?」


 1時間ほどゲームをプレイしたところで、茂一が腰を上げた。「んー」と伸びをしたあとに、腰をコンパクトに捻って軽いストレッチをしている。


「大丈夫。志穂たちが出かける直前に、小鳥遊さんに許可をもらっておいたから。衣服が入っているクローゼットやタンスは開けないって条件つきでね」

「ならいいけど」


 ロクにはそもそも女子の部屋に入るという行為自体に抵抗があるのだが茂一にはないらしい。元は自分たちの部屋だったというのもあるのだろう。


「それじゃあ行ってくるよ。どこに置いたかなぁ」


 退室する茂一の後ろ姿を見送ったあと、することもないのでゲームを再開する。ゲームの一人プレイは、テスト勉強の時に小鳥に見つかって以来だ。


「…………」


 しばらく無言でプレイしていると、「ロクー」と茂一の呼ぶ声が聞こえた。「どうしたのー?」と大きく返せば、「ちょっと来てー」と、質問の答えになっていない返事が返ってくる。


 仕方なくコントローラーを床に置き、ロクは自室を出た。そのまま茂一が待つ、小鳥の寝室へと向かう。


 微妙な緊張感と共に入室してみれば、小鳥が最小限のものしか持って来ていないこともあって、室内は小鳥の住む前とほぼ変わらぬ内装をしていた。


「で、なに」

「これはロクが書いたもの?」

「?」


 茂一が収納ボックスの中を指差して尋ねてくるので、中が見える距離まで近づいてみる。すると見覚えのない原稿用紙の束がどさりと重なって入っている。


「これは……」


 1枚目から文字がびっしりと書かれているが、収納ボックスの中は暗くてよく見えない。


「とりあえず、俺のじゃない。俺は原稿用紙に小説書いたことないから」

「それじゃあもしかして……」

「うん。多分……」


 脳裏に浮かんだのは、文芸部部室での一幕。


 ――しかし母が作家志望だったのなら、小鳥遊くんは小説を書いてみたことはないのかな?


「いや、間違いなく」


 ――中学生だった頃に一度だけあります


「小鳥遊の小説だ」


 収納ボックスの引き出しをもう少し引っ張ってみると、明かりの下に晒されて文字が読めるようになる。


 そこには『花束の数だけ微笑んで』という表題が右端に書かれていて、その左下に綺麗な字で『小鳥遊小鳥』と名前があった。



   ◇


 女性陣が帰宅した。それぞれ大きな紙袋を手に下げているが、小鳥が2袋なのに対し、志穂は5、6袋ぶら下げている。


「ふう、暑かったわー。しかも重いったらありゃしない」

「そんなに買うからだよ」

「良いのよ欲しかったんだから。それとも何、文句でもあるわけ?」

「ないけど、それなら車で行けば良かったのに」

「せっかくの小鳥遊さんとの初デートなのよ。ゆっくり歩いて過ごしたいに決まってるじゃない。ねー、小鳥遊さん?」

「え、えっと、はい」


 いきなり話を振られた小鳥は言葉に詰まる。


「ドライブデートもいいと思うけどなぁ」

「あなたってほんと車好きよね…………あ、そうだ。二人とも、この人との初デートの話聞く?」

「志穂! それはちょっと待って! 黒歴史だから!」


 四十代後半男性しげかずの取り乱しっぷりを見て、ロクも小鳥も興味が湧く。


「教えて」

「教えてください」

「いいでしょう。これはまだ私とこの人が付き合ってない頃の話なんだけど」


 志穂が語り出した途端、茂一は「やめてくれー!」と耳を塞いでうずくまり出す。しかしそんな茂一に目を向ける者はいない。


「初めてのデートはどうしようかって話をしてたらね、この人が頑なに車でどこか行こうって言ってくるの。だから私も渋々OKしたんだけど……」


 不服そうな顔を見せる志穂。


「いざ当日になったらなーんにもないの。サプライズも計画性もなくただドライブして終わり。結局何だったんだろうと思ってたら別れ際よ」


 当時のことを思い出したのか、頬が緩み始める。


「私が車から降りる時に、小さな紙を渡されたの。後で一人の時に見てくれって。それでバイバイして、車が発進して、角を曲がるまで見送ってたら……」

「やめろ、やめてくれー!」

「そしたらこの人、ブレーキランプを5回点滅させて……」

「うわあああああ!」

「渡された紙を開いたら、『ア・イ・シ・テ・ル』って……」

「ああああああああああああああ!!!」


 そこで耐えきれなくなったのか、腹を抱えて笑い出した。意味を理解したロクも吹き出したが、対して小鳥は「?」と首を傾げている。


「親父。それマジでやったの?」

「マジでやったよ!」

「それがカッコいいと思ってたの?」

「当時はな!!」

「いや、ない。マジでない」

「うるさい! 夢をテスト用紙の裏に書いて紙飛行機作って投げてた奴に言われたくない!!」

「それは今関係ないだろ!! ってかなんで知ってんの!?」


 ギャースカギャースカと騒がしくなった。桜庭家の男衆に精神的ダメージが入り、それを見て志穂が笑っている。


「あの、ブレーキランプを点滅させると、何かあるんですか?」

「「「…………」」」


 しかしこの場で一人、話についていけていない者がいた。


「……ねえあなた。もしかして今の子ってドリカム知らないのかしら」

「どうなんだロク?」

「さ、さあ」


 30年以上前の曲のネタだ。知らなくても不思議はない。


「どうしましょう。完全に家族だけで盛り上がってしまったわ」

「これぞほんとの身内ネタだね」


 桜庭家の笑いのツボは共通しているが、それが赤の他人にも通じるかと言われればまた別の話。


 微妙な空気のまま話が終わった。


「あ、ロク」


 そんな空気感の中、ちょいちょいと志穂が手招きする。ロクは素直に志穂のそばに行き、ジェスチャーに従って耳を寄せた。


「なに?」

「小鳥遊さんの水着、期待していいわよ」

「!!」


 たちまち顔が赤くなる。


「それだけ」

「ば、バカ!」


 怒りをあらわにして二階へと上がっていくロクの後ろ姿を見た志穂は、自分の息子も小鳥に負けず劣らず可愛いなと親バカ脳になる。


 男子にとって可愛いは不名誉な評価であるが、そんなこと知ったこっちゃなかった。


「青春ね」


 そうしてこの日は終わりを迎える。夕食を食べて、入浴して、茂一と志穂はリビングに布団を敷いて、就寝する。



 翌朝、


「小鳥遊さん、改めてよろしくね」

「はい、分かりました」

「ロクも小鳥遊さんに迷惑をかけたらダメだよ」

「分かってるよ」


 二人はさっさと用意を済ませて、「それじゃあ」、「またね」と家から出て行った。滞在時間はたったの一日。台風のようである。


「いきなり静かになったな」

「そうですね」


 ロクと小鳥はリビングに引き返す。そこにはもう誰もいなくて、二人暮らしの日々が戻ってきた。とは言っても、すぐに夏合宿があるのだが。


「先輩」

「ん?」

「何かありましたか?」

「……! どうして?」

「昨日私が帰ってから、ずっと何か言いたそうにしてましたから」

「バレてたのか」

「はい」


 そう、ロクには聞きたいことがあった。だけど聞いてもいいのか分からない。


「あー、その、だな。実は…………小鳥遊の書いた小説を見つけてしまって」

「!」

「か、勝手に寝室に入った訳じゃないぞ? 親父が忘れもんを探してる時に、たまたまだな」

「そうですか」


 寝室に行くという話は聞いていたため、小鳥としてはその点に関しては疑問を抱かなかった。


「それで、その……親御さんに酷評されたってのは知ってるし、原稿があるのに言わなかったのは俺たちに隠してたからってのも分かるんだが」

「読みたい、ですか?」

「……うん」


 少しばかり、沈黙が場を支配する。次に口を開いたのはロクだった。


「……小説ってさ、大なり小なり、作者の想いが乗ると思うんだよ。特に処女作は」

「?」

「俺もそうだったから」


 ロクが小学二年生の時に初めて書いたのはヒーローものだ。悪い敵が出てきてそれを倒すだけの短編。それには当時のヒーローへの憧れが詰まっていた。


「だからさ、きっとあの小説には小鳥遊の想いが乗ってて、きっと俺も知らない一面が乗ってて」


 言葉がうまく出てこなかった。


「それを読んだら……その、小鳥遊のことをまた一つ知れる気がするっていうか」


 結局気持ち悪い言い回しになっている。


「……別に、読んでも良いですよ」

「! ほんとか!?」

「はい。私も先輩のを読ませてもらっているんです。むしろどうしてそんなに言い訳がましく理由をつけるんですか」

「それは……」


 微笑んで尋ねてくる小鳥に、どうしてだろうかと考える。少しして一つの結論に至った。


「自分の作品を他人に読まれるのってやっぱり恥ずかしいし。そういう物書きとしての気持ちを考えると、何かと理由をつけないと読ませてもらえない気がして」

「そうですね。私もちょっと恥ずかしいです」

「だろ?」


 しかしここでの小鳥の真意は、ロクの思うところとは少しズレていた。


 小鳥が原稿があることを言わなかったのは、母にボロボロになるほどこき下ろされ自信を喪失していたために、他人に見せたくなかったからだ。


 しかし本当に誰にも見せたくないのであれば、そもそも原稿用紙をロクの家に持ってくる必要なんてなかった。


 つまり、


(見つけて欲しかったんだ)


 見つけてもらって、読んでもらって、そして、


(面白いって、言って欲しい)


 小鳥は床に三角座りして、膝に額を当てた。顔を隠すように。


(言って欲しかったんだよ、お母さん)


 肩が震えだす。


「た、小鳥遊?」


 その異変に気づかないロクではない。しかしあまりにも急でどうして良いか分からず、あたふたとするばかりだった。


「や、やっぱ、読まない方が良いのか?」


 小鳥は顔を俯かせたまま、小さく首を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る