第29羽 茂一、息子に驚く

 そうめん。夏の風物詩の一つ。


 ズズッ。


「小鳥遊さんは、親のことを警察に言うつもりはないのよね?」

「はい」


 ズズズ。


 白く輝く麺をつゆに浸して一息に食べる。これだけで美味しい。


「うーん、困ったわね」

「どうしたの?」


 四人で食卓を囲み、そうめんを食べながら話を交わしていた。時刻としては午後一時頃だ。


「あれからね、調べてみたのよ。後見人とかその辺りのことを色々と」

「小鳥遊さんは祖父母もいないって言ってたよね?」

「はい。母の両親は他界していて、父の方は……昔父と母が離婚した際、縁がそれきりなので」

「そう、だから身寄りがいない訳だ。それで僕たちが君の後見人になれないかなって考えていたんだけど」

「それが厳しそうなのよねー」


 そこまで話したところで、志穂と茂一はそうめんをすすった。冷んやりとした麺が、温かい口内に刺激を与える。


「どうして?」

「もぐもぐ、ごくん。未成年後見人選任の申立書にはさ、まあ当然なんだけど、その未成年者の親権を持つ者がいなくなったことを証明する書面が必要みたいなのよ」

「本当なら、小鳥遊さんの母親が小鳥遊さんを捨てたことを警察に通報すればね。虐待したとして親権を剥奪されるから、その事実を記載した書類を証明書にできるんだけど」

「お母さんのことは訴えないとなると、それもできないってこと」

「なるほど」


 考えてみれば当たり前のことで、ロクもすぐに理解できた。


「……すみません。でも母にはこれまでも迷惑をかけて来ましたから、幸せに生きてほしくて」

「迷惑?」

「はい。育児って大変じゃないですか。だから」


 小鳥の返答に、志穂は「あなた……」と言葉が詰まってしまう。


「この前志穂さんは、大人に迷惑をかけると思うなら、その分はいつか返せばいいと言ってくださいました。でも、もう私の母には何も返してあげられないので……」

「せめて幸福に生きて欲しいと」

「はい」

「……正直、ここまで来ると尊敬ね。私なら自分を捨てた親を気遣うなんて無理だわ」

「父さんも無理だなぁ。むしろ殴り飛ばしてるかもしれない」

「親父、ニコニコ顔で言うことじゃない」


 表情と発言がまるで一致していなかった。茂一はたまに優しい顔をしながら物騒なことを言う。


「まあ、とにかく後見人どうこうは仕方ないわ。どうせあと二、三年もすれば小鳥遊さんも成人するんだから、それまでやり過ごせばOKよ」

「……え?」

「ほら、2022年から成人年齢が引き下げられるじゃない」

「あ、そっか」


 盲点だった。


「あれ、じゃあ俺と小鳥遊が成人するのって……」

「そうだね。同じ日だ」

「……なんか違和感あるな」

「そうですか? 私はむしろその方がしっくり来ます」

「え? どうして?」

「だって、先輩が私より先に大人になるなんて想像できませんから」

「……それってもしかしなくても悪い意味だよな」

「だらしない先輩が悪いんです」

「うっ」


 ロクには何も言い返せなかった。


  ・

  ・

  ・


 そうめんを食べ終わり、少しした頃。


「ねえ小鳥遊さん。このあとショッピングにいかない?」

「ショッピングですか?」

「そう、服とか小物とか」


 志穂はそんな提案を小鳥に持ちかけた。


「ずっと向こうにいると、日本のものが恋しくなっちゃうのよねー」

「えっと、二人でですか?」

「そう。ロクも父さんも連れてったって良いことなんてありゃしないわ。二人ともまーったく買い物せずに急かしてくるだけなんだから」


 テレビを見てくつろぐロクと茂一に小鳥が目をやるが、二人とも特に否定しようという気配を見せなかったので、おそらく志穂の言うことは真実なのだろう。


「…………」


 少し下を向いて悩む小鳥。正直なところ、直に志穂と会ったのは今日が初で、そういう相手と二人きりで出かけるのは気まずいものがあった。


 行くか行くまいか決めかねていると、


「ロクの好み、教えてあげるわよ」

「!」


 志穂が小声でそう告げてきた。


「どうする?」

「……行きます」

「よし。何時頃に出られる?」

「今すぐでも大丈夫です」

「分かったわ」


 小鳥の同行が決定する。


「ロク、父さん。小鳥遊さんと出かけるから留守番よろしく」

「うーん」

「うん」


 気の無い返事をする男性陣だった。少しして小鳥たちが出発し、家が男二人だけのむさ苦しい空間と化す。


「ロク、ゲームでもしないか?」

「あー、うん。そうだな」


 ということで、男は男で楽しむことにした。最新ゲーム機――と言っても発売は数年前――の置いてあるロクの部屋へと揃って向かう。


「おー、この部屋が片付いてるなんていつぶりだ?」

「俺自身も分からない」


 茂一が感激するなか、ロクはゲーム機を棚の奥底から取り出した。すると茂一からこんな質問が投げかけられる。


「そういえば最近、ゲームしてなかっただろ?」

「どうして分かるんだ?」

「オンラインになってなかったから」

「あー、フレンドが何日前にインしたかは確認できるか」

「そう。ゲーム好きのロクにしては珍しいなと思ってたんだ」

「ゲーム好きなのは親父譲りだろ」

「ははは、そうだね。まあ、だからこそ何かあったのかなと思って」

「……別に、何もないよ」


 テレビや電源との接続が終わり、ゲーム機を起動した。


「ただ、最近はずっと小説を書いてただけ」

「小鳥遊さんの生活費を稼ぐためにかい?」

「……うん」

「そっか」


 一つ目のコントローラはロクが持ち、二つ目のコントローラが茂一に手渡される。


「ん」

「ありがとう」


 ベッドに並んで座った。


「どれだけ書いたんだい?」

「テストが終わってから、二冊分書き上げた」

「!」


 茂一は素直に驚く。ロクが執筆した本の平均ページ数を考えるに、およそ15万文字がロクにとっての一冊分だ。ということは二冊で30万文字。


 期末テストが終わってからは約三週間程度しか経っていないので、一週間につき10万文字書いていたことになる。


 書くだけなら……まあできる。しかしロクは妥協しないタイプなので、おそらく二冊とも誰に見せても恥ずかしくない程度のクオリティは保たれているのだろう。


 作家は書く時間よりも遥かに考える時間の方が長い。どれだけ熱心に執筆していたのか、容易く想像できた。


「頑張ってるんだね」

「まあ、でも、なんていうか……」


 不思議そうな表情をロクは浮かべる。


「これまでと違って、長時間書いてても苦にならないんだ。いつもは5時間もすれば飽きるのに、今は10時間でも20時間でも書いてられる。理由は分からないけど」

「それは……」

「ん?」

「……いや、何でもない」


 茂一はフッと笑って、ゲーム画面に目をやる。


(流石に恥ずかしくて言えないよ。好きな人のためなら頑張れる、なんて)

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