第26羽 夏休み、始まる

 七月の中旬から下旬に切り替わる頃。暑さはどんどんと増していき外を歩くことすら億劫になるが、ロクたち学生にとってはずっと楽しみにしていた一大イベントが待ち受けていた。


「夏休みだからといって、あまり羽目を外し過ぎないようにな。さあ委員長、一学期最後の号令を頼む」

「きりーつ、きをつけー、れーい」

「「「ありがとうございましたー」」」


 そう、夏休みである。


「いやっふうううううう!!」

「俺たちの夏が始まるぜえええええ!!!」


 終業式後のHRが終わり、途端に教室が騒がしくなった。クラスメイトたちは誰も彼も浮かれており、その様子を見た担任は苦く笑って教室を去る。


「ロク! 今日は金曜だから部活ないんだよな!?」

「おう」

「じゃあ飯食いに行こうぜ!」


 担任が出て行ったあと、木藤大樹が元気良くロクに話しかけた。


「あー、悪い。今日はちょっと用事があるんだ」

「えー、つれないぞー!」

「すまん。また今度な」

「ぶーぶー!」


 大樹の豚のようなブーイングに、不覚にも「ぷっ」と吹き出してしまう。


「まあいいや。ならせめてトイレには付き合ってくれ。ずっと我慢してたんだよなー」

「はいよ」


 ロクは立ち上がって大樹と共に教室を出た。トイレは教室から比較的近い距離にあったので、小便に付き合うぐらいなら手間でもない。


「あ」


 しかし、その道中で階段から降りてきた小鳥とばったり出くわし、パチリと目が合ってしまう。


「「…………」」


 ロクが小鳥と学校で会うことは滅多になかった。せいぜい、小鳥が部に見学に来た時ぐらいだ。


 だからなのか廊下で鉢合わせるのは妙なむず痒さがあり、ついつい足を止めてしまう。


 それは小鳥も同じだったのかもしれない。階段の途中でピタッと停止している。


「小鳥? どうしたんだ?」

「ううん、何でもない」


 小鳥と一緒にいた勝ち気な女子が不思議そうに振り返った。小鳥は小さく首を振って、その子と共に一階へと降りて行く。


「階段の途中で止まってたらスカートの中覗かれるぞ」

「それは恥ずかしいから気をつけるね」

「おう。ま、小鳥のスカート覗く屑野郎がいたらあたしがぶっ飛ばしてやるけど」

「ふふっ、ありがとう」


 そんな会話を交わしている。


(敬語じゃない小鳥遊、初めて見たかも)


 これまで敬語しか聞いたことがなかったため、どこか違和感があった。友人と楽しそうに話す小鳥の後ろ姿を、ロクは見えなくなるまでボーッと眺めている……と、


「分かるぞー、分かるぞーロク」

「ん? 何がだ?」


 大樹が肩に腕を回してきた。


「とぼけるなよ~。あの子が可愛いからつい見惚れちまったんだよな?」

「……は?」

「この前言ってただろ? あの子がこの学校で一番可愛い小鳥遊小鳥ちゃんだ」

「いや、見惚れてたって何のことだ?」

「またまたー。素直に認めちまえよー」

「……ん?」


 ロクは、不意に目が合ってからずっと小鳥を眺めていた。


 その様子は、はたからは見惚れてしまったようにしか見えない。対してロクには見つめていたという自覚がなく、ただタメ語が珍しいなと思っていただけ。


 認識に齟齬が生まれるのも無理はなかった。


「あんだけ可愛いと競争率も高いだろなぁ。てかもう彼氏とかいそう」


 ピクッ。


 その言葉にロクの耳が反応する。


「彼氏……?」

「ああ。むしろ夏休み前なんだし、いない方がおかしくね?」

「…………」


 黙り込んだロクの脳内は、軽くパニックに陥っていた。


(小鳥遊って、彼氏とかいるのか? でも家じゃそんな素振りないし、休日だって出かけたりしないしそれじゃあデートすら……あ、でも、俺が文芸部に行ってて小鳥遊が見学に来ない日は彼氏と会っててもおかしくないのか。待て、そもそも彼氏がいたら俺の家に来ようなんて思うか? 思わないよな? じゃあやっぱりいない……よな?)


「おーい、ロク。ロクー」


 大樹が眼前でぶんぶんと手を振っていることにも全く気づかない。


「……後で確かめてみよう」

「ん? 何をだ?」

「あ、ううん、何でもない」


 そこでようやく我に返る。


「ま、小鳥ちゃん・・・・・への恋は茨の道だと思うが頑張れ」

「……」


 バシッ。


 そして大樹の頭を軽くはたいた。


「って、何するんだよ!」

「すまん、つい何となく……」

「何となくで人を叩くな! 優しかったし痛くはなかったけどさ!」


 階段前で賑やかなやり取りを交わす二人。そこに誰かから声をかけられた。


「お、ちょうどいい所にいてくれた」

「? あ、部長」

「こ、ここ高坂先輩!?」


 声の主はすみれだ。階段の踊り場から、二階にいるロクたちを見上げている。


「どうしたんですか?」

「我が部のメンバーにちょっとした用事があってね。む、君は木藤くん」

「は、はい。覚えてくださっていたんですか?」

「ははは、大事な部員の親友だからね」

「ありがとうございます!」


 すみれと会った途端に声が上擦うわずり始めた大樹。その姿にロクは呆れてしまう。


(こいつ、ほんと分かりやすいな……)


 これではすみれにも、大樹の恋心はバレてしまってるのではなかろうか。


「それで、用事ってなんですか?」

「これさ」


 すみれは階段を上って、ロクにとある紙を手渡す。


「あ、夏休みのスケジュール。そういえば貰ってなかったですね」

「今朝、ようやく作り終えたらしくてな」


 この高校において、部活のスケジュール表を作成するのは基本的に顧問の役目だった。そして教師と生徒が連絡先を交換するのはあまりよろしくないため、スケジュール表は紙に印刷されて手渡される。


 学校によっては教師と生徒の連絡先交換を認めているところもあるが、この辺りロクの学校は厳しかった。


「それじゃあ私は他の部員にも配ってくるよ。ロク・・、夏休みもサボらずに来るんだぞ?」

「はい」


 すみれの微笑みながらの忠告に頷く。その後、すみれが立ち去ったあと……


 バシッ。


 大樹から謎に叩かれた。


「いてっ。何すんだよ!」

「俺なんて……俺なんて木藤くんなのに! ロクはロクだなんて羨ましいぞこの野郎ー!」

「そんな理不尽な……」


 と、言いかけてロクは気づく。


(そういえばさっき俺も……)


「……理不尽じゃないな、うん」

「お、おう。急にどうしたんだ?」


 腕を組んで納得したように頷いた。


 類は友を呼ぶのである。



 *****


 校門を出て大樹と別れたロク。一人下校道を進み、いつしかの雨の日、小鳥を拾った場所までやって来た。


「すまん、待たせた」

「大丈夫です」


 そこで待っていたのは小鳥だ。家に向かって二人並んで歩き出す。


 学校から一緒に帰っていると厄介な噂が立ちかねないため、最近は他生徒のいないこの場所で落ち合うようにしていた。


「さっき初めて小鳥遊と廊下で会ったな」

「はい。先輩のキョトンとした顔、面白かったです」

「え? 俺そんな変な顔になってたか?」

「なってました」


 くすりと笑われる。そのことに羞恥を感じながらも、気になっていたことを聞くために口を開いた。


「……なあ、小鳥遊」

「なんですか?」

「あー、その、えっと……」

「?」


 しかし緊張のあまり意味のない単語を羅列してしまう。これではダメだと、ロクは意を決する。


「小鳥遊は、さ。か、彼氏とかいるのか?」

「!」


 小鳥の目を見れず、明後日の方向を向きながら尋ねてしまった。別にこの程度の質問、友達になら平然とできるものだが、どうしてかこの時ばかりは緊張していた。


「……いると思いますか?」

「分かんないから聞いてるんだ」


 ロクの言葉を聞き、何やら考え始める小鳥。一拍おいてこう言った。


「ヒントは、私って結構告白されるんです」

「!!」


 ロクが途端に気落ちした表情になる。その顔を小鳥から見ることはできないが、雰囲気から落ち込んでいるということは何となく察せた。


「そりゃ、そうだよな。じゃあやっぱり……」

「でも、今まで一度もOKしたことがありません」

「!」

「そして私から告白したこともないです」

「!!」


 くるっと顔の向きを変えて小鳥を見る。小鳥は小さく微笑んでいた。


「改めて、いると思いますか?」

「……いない?」

「正解です」

「……そっか」


 見かけは平常を装うロク。


(よっしゃあああああああ!!!)


 だが心の中ではガッポーズを決めていた。ぶんぶんぶんぶんと腕を振り、何度も拳を掲げている。


「第一、彼氏がいたら先輩の家に住むはずがないです」

「そ、そうだよな。うん。当たり前だ」

「それとも私のことを、彼氏がいるのに他の男子の家に住みこむような人だと思ってたんでしょうか?」

「いや、べ、別にそういう訳じゃ」

「反省してください」

「……はい」


 小鳥は特に怒っている訳でもなかったが、しゅんとなるロクが面白くてついそう言ってしまう。そして、


「そ、それで先輩」

「ん?」

「先輩には、彼女さんはいるんですか?」

「……」


 ロクと同じく、目を逸らしながらそう尋ねた。これには流石のロクもジト目になってしまう。


「小鳥遊は俺のことを、彼女がいるのに他の女子を家に住まわせるような人間だと思ってるのか?」

「い、いえ。別にそういう訳ではないです」

「……はあ」


 溜息をついてから回答した。


「いないし、出来たこともない」

「! そうですか」


(……よかった)


 見かけでは平然を装いながら、心の中で一安心する小鳥。改めて言わせてもらおう。


 類は友を呼ぶのである。


「さて、気合い入れるか」


 そうこうしているうちに、ロクの家に二人は到着する。


「……先輩、やっぱり私が一人でやります。家事は全て任されていますから」

「良いって良いって。今日しなきゃいけないのは、俺が去年サボったツケなんだから」


 鍵を開けて中に入った。


「やるぞ、大掃除」

「……はい」

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