4章

第25羽 小鳥、拗ねる

 才能なんてものなければいい。そんなものがあるせいで生まれた時から人は平等じゃない。


 かの有名なエジソンは言ったらしい。


『天才は1%のひらめきと99%の汗である』


 この場合のひらめきと汗は、よく才能と努力に置き換えて語られる。なんて残酷で、本質的な言葉なのだろうか。


 結果ではなく姿勢を評価する者たちは、いや、


 誰もが結果を出すこと・・・・・・・・・・などできないと知って・・・・・・・・・・いる・・が故に、姿勢に価値を見出そう・・・・・・・・・・とした・・・者たちは、この言葉を都合よく解釈する。もしくは美化する。エジソンに取材した若い記者もそうだった。


 曰く、成果の大半は努力で決まるのだと。才能よりも努力が大切なのだと。天才自らが努力の大切さを説いたのだと、そう思いたかったらしい。


 しかしエジソンの真意は違った。後年、本人の口から『1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になる』という意図の発言だったと語られる。


 つまりはまあ、才能がない者はどれだけ頑張っても無駄だということなんだろう。もちろん努力の日々は根性を鍛えるだろうし、精神面を考慮すれば無駄ではないのかもしれないが、結果に繋がらないことは結局、無価値で無意味な時間の浪費だ。


 そうだとしても、そうだと分かっていたとしても。



 私は凡人なのだから、頑張るしかないじゃないか。



 1%もいらない。だからどうか、せめて0.1%のひらめきが生まれることを祈ろう。



 *****


 梅雨が明けて降水確率がぐんと下がった七月中旬。つい二週間前までは曇天続きだったにも関わらず、空はすっかり陽気になって太陽と仲良く街並みを見下ろしていた。随分と気温が上がり、エアコンをつける家が増えている。


 ロクと小鳥の住む家もその一つ。エアコン代を節約するために、二人とも在宅中は基本的にリビングに集まることにしていた。寝室を使うのは就寝時ぐらいだ。


「「…………」」


 今日は土曜日。クーラーの効いたリビングで各々のやりたいことをする。ロクは執筆、小鳥は勉強で、互いに集中しており会話はない。あっという間に時間が過ぎて行く。


 ぴろん。


(部長から?)


 しばらくしてロクのパソコンにすみれからメッセージが届いた。前回の短編のような、文芸部員に課された課題は何もなかったはず。何の用なのか疑問に思いながらメッセージをクリックすると、ロクとすみれのトーク画面ではなく、文芸部グループのトーク画面が開いた。


 ――今年も合宿をやるぞ!


 そのメッセージに続けてスタンプが送られてくる。軍事用ヘルメットを被った二足歩行のラッコが、こちらに背を向けて顔だけを振り返らせているかっこかわいいスタンプだ。


(合宿か。そういえば去年も夏休みにやったな)


 一年の夏をロクは振り返る。水野雫の別荘とプライベートビーチを借りて、遊びに興じた三日間を。しかし流石は文化部というべきか、すぐに疲れて別荘に引きこもって執筆作業に移っていた。


 体力の無さは嘆かわしいことだが、文芸部の合宿なのだからそれで何も間違っていない。


 ――別荘とビーチはもう貸切済み


 次に、雫からそんなメッセージが送られてくる。どうやらすみれと雫だけで先に話をつけていたらしい。予定日も決まっているようなので、ロクはすぐに質問した。


 ――いつやるんですか?


 ――8月1日から3日までだ!


 既読が一瞬で三つつき、すみれから返信が来る。三つということは、御堂蓮もトーク画面を開いているようだ。


(それなら予定は空いてるな。母さんと親父が・・・・・・・帰ってくる・・・・・のは七月末だし)


 ロク自身の予定は大丈夫だった。しかし、少しだけ困ったことがある。


「なあ、小鳥遊」

「はい」


 トーク画面は開いたまま、パソコンの向こう側にいる同居人に声をかけた。


「文芸部のみんなから、八月最初の三日間で合宿に行かないかって誘われたんだが……」

「いいんじゃないですか? 楽しそうです」


 困ったこととは、小鳥の存在である。


「いやでも、その間は小鳥遊を家に一人にしちまうし」

「先輩じゃないんですから、一人でも大丈夫ですよ」

「先輩じゃないんですからって……俺だって一年間一人暮らししてたんだぞ」

「ふふっ、すみません」


 小さく笑う小鳥から悪意は感じ取れないが、間違いなくからかってきている。小鳥は年下だというのに、年上のお姉さんに相手をされているような感覚だった。


「……なあ、小鳥遊も合宿に来ないか?」

「え?」


 小鳥はきょとんとした後に「でも私、文芸部じゃないです」と当然の返答をした。


「じゃあ、文芸部に入ってみる気はないのか?」

「小説を書くことはあの一回きりでやめましたので」

「…………」


 それを言われると途端に勧誘しづらくなってしまう。初めて書いたものをこっ酷く評されれば、次作を書く気がなくなるのも頷けるからだ。


「でもほら、小鳥遊が二回目の見学に来た時も、部長が言ってただろ? 執筆はしなくても、レビューしてくれるだけでありがたいって」

「それは、そうですけど……」

「……やっぱり、嫌か?」

「嫌ってわけではないです。ただみなさんが、一生懸命執筆活動に取り組んでいるのに、私だけそうしないのは場違いな気がして」


 小鳥なりに真剣に考えているらしかった。ロクとしては、そこまで考えなくてもいいのにという気持ちである。とりあえず入部してみて、合わなかったら退部すればいい。


 だが考え方は人それぞれなので、仕方なく「そっか」と納得することにした、のだが。


「……先輩は、入部して欲しいですか?」

「え?」


 小鳥が突然そんなことを尋ねてきた。


「私に、入部して欲しいですか?」

「え、いや、まあ、そりゃ」


 直球な質問に、ロクは少しどもってしまう。


「うん。入部して、欲しい」

「どうしてですか?」

「ど、どうして?」

「はい」


 心なしか小鳥が前のめりになっているような気がした。対してロクは質問の内容に動揺して目を泳がせている。


「そりゃ、ほら、部員が増えてくれると嬉しいし」

「……それだけですか?」

「あ、ああ」

「そうですか」


 小鳥は姿勢を戻し、無表情のままそっぽを向いた。ロクを見ないようにしているのが丸分かりだ。


「あ、あの、小鳥遊さん? も、もしかして怒ってらっしゃいますか?」

「別に怒ってないです」

「でもなんか、拗ねてるような……」

「拗ねてないです」


 小鳥はそっぽを向いたままだ。


(絶対拗ねてる……)


 しかしその理由が全く分からないロク。どう機嫌を取ればいいのかちんぷんかんぷんだった。


「……合宿はどこに行くんですか?」

「どこだったかな。場所は忘れたけど海辺だ」

「! 海辺……」


 小鳥は文芸部員たちの外見を思い返す。小柄でつるぺたな雫はともかく、すみれはかなりのナイスバディだった。


「もしかして水着ですか?」

「まあ、海で遊ぶ時は着る」

「……」


 数瞬の間に数々の思考を巡らせる小鳥。


「先輩」

「ん?」

「合宿は、文芸部員でなくても行けますか?」

「ああ。それどころかむしろ……」


 そこでロクは、小鳥との会話中もずっと動き続けていた文芸部グループのトーク画面に目をやる。


 ――ロクから小鳥ちゃんにも声をかけてくれ!


 ――彼女は貴重な人材

   この合宿で文芸部に引きずり込む


 雫の物言いが物騒だった。


「小鳥遊にも来て欲しいって言ってるぞ」

「……分かりました」


 小鳥はようやく、逸らしていた視線をロクに戻す。


「私も行くことにします」

「! 了解」


 すぐさまロクはメッセージを打ち込んだ。


 ――小鳥遊もついてくるって言ってます


 ――ナイス


 ――む、しかし連絡を取るのがかなり早いな

   まさか今も一緒に? やはり恋人関係……!?


(ギクッ)


 恋人というのは間違っているが、謎に鋭いすみれの指摘に冷や汗を流す。


 ――だから違いますって!


 ――ははは、悪い悪い

   冗談だよ


 最後に送られてきたのは、またしても軍事用ヘルメット装着二足歩行ラッコのスタンプ。許してという文字と共に、目をウルウルさせている。


 すみれは冗談で言ったつもりらしいが、恋人どころか同居していることを隠しているロクはつい身構えてしまうのだった。

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