第24羽 すみれ、姉と会う
この日からロクのテスト勉強が始まった。小鳥にみっちりと教えてもらった翌日の朝、まずはゲームを禁止する。
「さらば……!」
涙を流しながらゲーム機を片付けた。
次に執筆活動。これも強い意志で我慢することを心に誓う。新しいアイデアが湧いて出ても、メモに留めておく程度にしておいた。
◇◇◇
ロクの人生史上、今が一番勉強していた。
学校では授業を真面目に聞き、授業が終われば家で勉強し、就寝前も長時間学習する。
監視の目があったのはもちろん、ロク自身にもある程度のやる気があった。やはり傍で教えてくれる小鳥の存在が大きい。
「小鳥遊、これで合ってるかな?」
「えっと……はい、合ってます」
段々と自分一人で問題が解けるようになってくる。そもそもロクは、地頭がめっぽう悪い訳ではなかった。
高校から始まった一人暮らしに疲れて勉強する気が失せ、やがて授業も聞かなくなり、中学の内容も忘れ、その結果が悪魔的偏差値の化け物と化していた。
つまり勉強さえすれば挽回は…………既に数学だけはどうしようもなかったが、できる。
「よし、終わり」
また、新しい気づきがあった。
ぐ~。
「あ」
勉強しているとかなり腹が減るのだ。夕食はしっかり食べたのに、午後九時を過ぎればお腹が鳴ってしまう。
「くすっ、何か食べますか?」
「ああ」
勉強が一旦中断され、小鳥が台所に向かう。少しして出てきたのはシンプルなタコライスだった。
「どうぞ」
「ありがとう」
ご飯の上に自製したミートソースがかけられ、レタスや角切りされたトマトが散らされている。出てくるのが早かったので、おそらくミートソースは作り置きしていたのだと思われた。
それをさらっと平らげる。
「ごちそうさま」
「はい」
そしてすぐに再開だ。そんな毎日が、一週間弱続いた。
テスト当日。
ザッ、ザッ。
多くの生徒が行き交う廊下を、堂々とロクは歩く。胸を張り、前を見据え、戦士の面持ちになっていた。
「おい。見ろよ、あれ」
「ああ」
それに視線を引き寄せられた男子たちが小声で会話する。
「おそらくこの一週間を全て勉強に捧げてきた者だ。面構えが違う」
ロクがどれだけ勉強したのかを悟り、恐れおののいた。
ザッ、ザッ、ガラガラ。
ドアを開けて教室に入ったロクは、姿勢を正したままいつもの席に座る。誰にも挨拶の声をかけず、無我の境地でここにいた。
「ロク! テストだから今日の席は名簿順だぞ!」
「…………」
無言で名簿の席に座り直し、気を取り直す。
キーンコーンカーンコーン。
程なくして、テスト十分前を告げるチャイムの音が鳴り響いた。担当の教師が入ってきてテスト用紙を配り始める。全員に問題用紙と答案用紙が行き渡り、準備は万端だった。時計の針が少しずつ動き、九時になった所でもう一度チャイムが鳴る。
「始め!」
勉強の成果を試す時が来た。ロクは自分に喝を入れ、問題用紙をパラっとめくる。
シャープペンシルを構えて、いざ!
・
・
・
一週間後。
「補習始めるぞー」
ずーん。
ロクは暗い雰囲気を漂わせ、補習室に居た。机の上に死んだように顔を置いている。
「……見慣れた面子だな」
数学担当の女性教師が呆れたように呟く。補習室に居並ぶ十人の生徒。もうすっかり顔馴染みである。
ロクもその一人。たった一週間の学習で、一年以上のツケを払うことなど到底できやしなかった。
それでも28点だったので、赤点まであと一歩のところだ。更に小鳥の苦労が報われ、他に赤点を取った科目はない。
「我が盟友よ! いつもは平然とした顔で補習を受けているのに、どうして今日は生気の失った顔をしているのだ!!」
「珍しく、反省の色がある」
ちなみに、数学の補習を受ける恒例の生徒たちのうち三人が文芸部員だった。
「ほっといてくれ……」
彼らは一年の頃から常連なので、最前列で受けることが決まっていた。補習室に固定席があるという何とも不名誉な事実だが、蓮も雫もあまり気にした様子がない。
文芸部員は部長を除き、揃って数学ができないのである。現代文だけは学年でもトップクラスだったが。
「では、今回のテストの復習から始める。まずは第一問だが……」
あれだけ教えてもらったのに結局赤点になってしまったと、小鳥への大きな後ろめたさを抱きつつ、ロクは補習を受けるのだった。
◇◇◇
さて、文芸部は四人しかいない。そのうちの三人が補習ということで、部活動をまともに行えるはずがなかった。
ということで、一人だけ高得点を取った三年の高坂すみれは、学校からすぐに帰宅してとある場所に向かう。
ロクの『十一人十色』を持ち込んだこともある、出版社だ。
「……姉さん、これ」
「またすみれか」
そこで一人の女性と会う。彼女の名前は高坂まな。すみれの実の姉であり、この出版社に勤める立派な社会人だった。
「どうせなら、私は桜庭くんの持ってきた原稿を読みたいんだがな」
「…………」
すみれに差し出された用紙の束をまなは受け取る。その用紙の束は、すみれがパソコンで執筆した作品を印刷したものだった。
「それにいつも、わざわざ印刷しなくてもデータで送れば良いと言ってるだろう」
「姉さんが、紙で読む方が好きだから」
「……はあ、ありがとう」
まなと会ってからすみれはずっと俯いていた。二人の間に漂うひんやりとした空気はとても姉妹とは思えない。
「では、あとで時間が出来たら読むとするよ。いつも通り感想はメッセージで送る」
「……うん」
俯き続けているすみれは、仕事に戻るまなの背中すら見ず、そのままゆっくりと振り返って出版社を出た。
そして日付が変わる直前の時間に、約束通りまなから感想が届く。それは簡潔に一言だけ。
――面白くなかったよ
「…………」
すみれは下唇を噛み締め、ずっと続けていた執筆作業を再開するのだった。
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