第23羽 ロク、密かに決意する
小鳥に見張られながらのテスト勉強が始まった。と言っても、小鳥も自分の勉強をしているため、はたから見ればテーブルを挟んで仲良く勉強している学生二人である。定期的に、サボりチェックのため小鳥から視線が飛んでくる。
「…………」
しかしまるで集中できない。そもそもロクには、兄弟がいないこともあって誰かと二人で勉強するという経験自体少なかった。
そのうえ、今日一緒に勉強しているのは可愛い後輩。さらに赤メガネ。集中しろという方が無理な話だろう。
「先輩、手が止まってます」
「あ、ああ」
遂に注意されてしまう。一旦気を引き締めて、問題に取り掛かろうとした。広げているのは数学Ⅱの教科書だ。
(因数分解ってあれだよな。共通のなんかでくくる奴。で、今回は『x³+xy-y-1』と。ふむ…………???)
ちんぷんかんぷんだった。そもそも数字よりもアルファベットの方が多いこの式を数学と呼んでいいはずがない。
「……先輩、さっきから一問も解いてないですよね?」
「ギクッ」
「ちゃんと、集中してください」
「す、すまん」
また小鳥に注意されてしまう。とりあえず謝りはするも、今回は集中しているしていないの問題ではなかった。単純に分からないから解けないのだ。
そのため、真剣に問題に取り組んでも手が動くことはない。頭を悩ませるロクを見て、小鳥はそこでようやく気づいたらしい。
「もしかして先輩、一問も分からないんですか?」
「うっ」
痛いところを突かれて黙り込むロク。小鳥が嫌な予感と共に聞いた。
「中間テストの結果、教えてもらってもいいですか?」
「はい……」
・
・
・
絶望的だった。
「せ、先輩、これ……」
小鳥の声が震える。その手元には、ロクの中間テストの答案用紙が並べられていた。
「何が、どうして、こんな有様になるんですか?」
「普通に学校生活を送っていたら……」
「なりません!」
その大きな声に、ロクは思わず体を後ろに逸らした。小鳥が声を荒げるなど滅多にない。それほどの惨状なのだ。
死屍累々。
あまりの悲惨さに、小鳥は赤ペンで書かれた点数を血文字と錯覚してしまった。現代文だけが94点とかなりの高得点である。
「先輩、これまで全然勉強してこなかったんですね」
「ぜ、前日だけはして……」
「一夜漬けなんて勉強とは呼べません。それで自分の身になりましたか?」
「いいえ」
簡単に説き伏せられる。
「この点数では、普段の授業も聞いてないんでしょう」
「うぐっ」
そして完璧に見抜かれてしまう。
「……仕方がないので、私が教えます」
「いや、それは申し訳な……え、小鳥遊が?」
「はい。何か問題がありますか?」
「問題っていうか、小鳥遊は一年なんだし、二年の内容は分からないんじゃ」
「私は、数学と英語、化学だけならもう二年生の範囲の勉強を始めています」
「え!?」
驚きのあまり、ロクの目玉が飛び出した。
(まだ一年の一学期が終わる前なのに、二年の勉強を始めている!?)
信じられない発言だ。
「じゃ、じゃあ解の公式は?」
「 -b±√(b²-4ac)
x = ―――――――
2a 」
「すげえ!」
「すごくないです! 中学生の範囲ですよ!?」
真っ当なツッコミが入る。
「私もまさか高校二年生の問題ではなく高校受験レベルの質問が飛んでくるとは思いませんでした」
小鳥としては正直なところ、ロクは勉強できる人間だと思っていた。遊び倒している様子は普段見られないし、何より小説を執筆して出版にまで至っている。地頭が悪ければそれも難しいだろう。
実際には、授業そっちのけで小説を書き続けてきたからこそ今の惨状があるのだが、そんなことを小鳥が知る由もない。
「とにかく、先輩の勉強は私が教えますから」
「分かった、よろしく頼む」
ロクは素直に受け入れることにした。自分がそれを拒める立場にないのは、自分が一番理解していたからだ。
◇
小鳥の解説は丁寧で順序立てられていて、とても分かりやすかった。しかも言っていた通り、本当に二年生の範囲も勉強しているらしく、ロクが質問してもスラスラと答えてくれる。
だからふと、ロクは気になったことを尋ねた。
「なあ、小鳥遊。どうして進学校にいかなかったんだ? こんなに学力があるなら……」
「うちは、そこまで裕福ではなかったんです。私立の高校は高いですし、そうでなくとも遠ければ交通費がかかります。それで、近所だった今の学校を選びました」
「なるほど」
十分に納得がいった。小鳥の家庭はシングルマザーだと言っていたし、そのうえ母親が作家志望。金銭的に豊かだったとは考えにくい。
「だから塾にも通っていません。自分で勉強して、奨学金を貰って国立の大学に行くつもりです。最近はその、少しサボっていましたが……」
ロクの家に来てから今日まで、小鳥はあまり勉強していなかった。環境の変化により、学習意欲が湧かなかったのが最たる理由だ。
「まあ、サボってたっていうか仕方ないだろ」
しかしいつもノー勉のロクからすれば、それを非難しようとは思わないし、むしろ小鳥と同じ境遇で勉強に集中できる人がいれば紹介して欲しいぐらいである。
「てか、やっぱり大学行きたかったんだな」
「あ……」
小鳥が小さく口を開ける。その顔がなんだか間抜けで、ロクは笑いそうになってしまった。
「すまん、勉強遮って悪かった。続き、ここから教えてくれ」
「……はい。そこは……」
小鳥が指差した教科書の解説部分を眺めながら、ロクは心の中で考える。
(国立の大学に行きたいなら、絶対塾に通った方が良いよな)
独学でも行ける可能性はあるが、それでも専門的に教えてもらえる環境に身を置く方が遥かに良い。
(塾って、確かめっちゃ高かったような……)
それでも、
(よし)
ロクは密かに、一つの決意をした。
(……まあ、まずは目先の期末テストからだけど)
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