第17羽 家族会議、始まる
「まさか……」
ロクの母親が額に手を当てて呟く。
「連れ込んだ、どころか同棲してるなんて」
「同居と言って欲しい」
「意味は一緒よ。聞こえは悪いかもしれないけど」
ロクと小鳥は並んで座っていた。Webカメラに収まるようにである。母親と父親もロクたち同様、パソコンの前に並んで座っているらしく、画面にデカデカと二人の顔が映し出されている。
その表情は対極的だ。ロクが、どうせこの先隠しても良いことがないと意を決して話した現状に、母親は呆れ、父親はなんだか楽しそうにしている。
「お金はどうしてるの?」
「……俺が払ってる」
「へー。ってことは、小鳥遊さんはタダで住まわせてもらおうとしているわけ?」
「違います」
その冷えきった目に怯むことなく、小鳥は言葉を返した。
「私は手元に二万円ほどあります。今月の残りはそれを、来月以降はバイトして稼いだお金をこの家に入れるつもりです。バイトはもう探しています」
「待て、小鳥遊。ゲームしてる時言ったよな? 俺が自分の意思でお前を連れてきたんだから金は気にすんなって」
「はい。でもそこで、はいそうですかと養ってもらうような真似をできるはずがありません。常識的に考えて、それを甘んじて受け入れるような人はダメでしょう」
「だから、小鳥遊の事情は仕方ねえことなんだし良いって。家事だって手伝って貰ってんだし、無理にバイトまでする必要ない」
「嫌です。家賃も必要なく、電気代や水道代も共用な分、私個人の生活費はかなり少なく済みます。休日にバイトするだけでもまかなえます」
「できるかどうかの話をしてるんじゃない。しなくていいって言ってんだ。無理に働かれて体を壊されても困る」
「いいえ、します」
「だから、するな」
ロクと小鳥は睨み合う。やがて、話の分からない奴だなとでも言いたげに、二人は互いに顔を背けた。
「「ふん」」
それを見た父親が「息ぴったりだなぁ」と空気の読まないことを呟き、頭を母親にひっぱたかれる。
「小鳥遊さん、生活費はそれでいいとして学費はどうするの?」
「! それは……」
「学費は、授業料以外も含めると一年で六十万ほどかかるわ。あなたの生活費が……計算を楽にするために、月五万円で済むとしましょう。するとこちらも年間六十万、合わせて百二十万。百二十万を、仮に時給千円のバイトで稼ごうとしたら千二百時間。一ヶ月で百時間。あら、それなら土日は八時間働いて平日も働けば、一見可能そう」
すっとぼけた表情でそう言う。
「でもね、高校三年生になったら……いいえ、二年生の後半から嫌でも受験に追われるわ。バイト三昧じゃ到底勉強なんて出来ない。良い大学に入るのは厳しいでしょうね」
「……なら高校を卒業してすぐ」
「馬鹿なこと言わないで」
ピリッと空気が震えたことが、画面越しに伝わってきた。母親が本気で怒っていることを、ロクは肌で感じる。
「高卒で公務員や一般事務員を目指す女の子はいる。でも彼女たちはその分勉強をして資格も取っている。バイト漬けの高校生活を過ごした子が簡単になれるようなものじゃないし、そういう子が就ける仕事なんてせいぜい販売業や接客業ぐらいよ。そういう職種に就きたいって言うのなら話は別だけ……」
「就きたいです!」
「!!」
「就き……たいです」
言葉を遮るように、小鳥は大きな声を出した。その後もう一度復唱する。今度はゆっくりと。しかしそれを見たロクの母親は更に顔をしかめた。
「ロク、その子はもう警察に連れて行きなさい。どうしようもないわ」
「でも……」
「お母さんが一番嫌いなものが何なのか、ロクも知ってるでしょ」
当然知っていた。なにせ小さい頃から言われ続けている。だから小鳥がその逆鱗を踏んでしまったことにも、すぐに気がついた。
「私、つまらない嘘をつく奴が死ぬほど嫌いなの。その嘘で自分を傷つけるような奴はもっと嫌い」
氷点下の瞳で小鳥を睨め付ける。
「……嘘なんかじゃないです」
「今のあなたの表情を見て、その言葉を信じる人は少ないわよ」
小鳥はロクを見た。だがロクも、今回は母親と同じ意見だったのですっと目を逸らす。
「それに何より、私は子供の将来の選択肢を狭めるようなことはしたくない。もし本当にそんな無茶をする気なら、私はあなたをその家から追い出すわ。よっぽど保護施設に連れて行く方があなたの身のためだもの」
「…………」
小鳥は遂に黙り込んでしまった。どれだけしっかり者でもまだ高校生なのだ。現実を直視する力は、社会に出ていないのだから未熟と言って過言じゃない。
生まれる沈黙。ロクは何と言えば良いのか悩み、ロクの母はただ小鳥が口を開くのを待つ。少しして静寂を破ったのは、
「はい。一旦みんな、力を抜いて」
ロクの父親だった。
「小鳥遊さん、一つ聞いても良いかい?」
「……はい」
「僕もね、警察や保護施設に行った方が良いと思ってるんだ。多分君もそれは分かっているはず。どうしてそこまでその家での暮らしに拘るのかな?」
「それは……」
小鳥はチラチラとロクを見る。
「……その、私は」
そしてようやく答え始めた。
「先輩が、食べてる時の、表情が好きで」
「……へ?」
「私の料理を食べて、美味しそうにしてくれるのが好きなんです。すごく」
「「…………」」
ロクが素っ頓狂な声をあげ、両親たちは無言だった。しかし一拍置いたのち、父が大きく笑い出す。
「あははははははは!!!」
その笑い顔は、ロクが大笑いした時の顔に似てるなと、こんな時なのに小鳥は思った。
「父さん、冗談じゃないのよ」
「分かってるけど、面白いじゃないか」
しかしロクよりも随分と、輝いた子供のような瞳をしている気がする。
「そうか。そうだな。それならロクとその家に居たいな」
「父さん!」
「母さんだって、最初から小鳥遊さんを追い出す気はないんだろ?」
「……それは、そうだけど……言わないでよ!」
バシっと、再び叩かれる父親の頭。
「ごめんごめん。あまりにも意地悪するものだからつい」
「意地悪じゃないわよ。この子たちがどこまで考えてるのかちゃんと聞きたかっただけ」
「結果は?」
「結果は……」
母親はパソコンへと向き直った。そこには真剣な二人の顔が映っていて、
「ぷっ」
不覚にも吹き出してしまった。
「あはははは! まー最悪よね。考え無しもいいとこ。親子って似るのかしら。ほんっと馬鹿みたい。まるで」
「まるで私たちが高校生の時みたい」と、笑いながら告げた。
「無計画で、無鉄砲で、無理やりで。でも一番楽しかったわ、あの時が」
「うんうん、懐かしいなー」
冷たかったロクの母の態度が一気に軟化し、小鳥は面食らう。
「小鳥遊さん。私最初に、タダで住まわせてもらおうとしてるのかって聞いたわね?」
「はい」
「そうです、で良かったのよ別に。私と父さんはそんなこと気にする人じゃないから」
「でもそれは……」
「あーもう、うるさいうるさい!」
ひらひらと目の前で手を振って、小鳥に二の句を継がせないようにした。
「子供はねー、つべこべ言わずに大人を頼ってりゃいいの。迷惑かけることを申し訳なく思うなら、それはいつか返してくれればいい。親孝行ってのはそういうこと。決して馬鹿みたいに無理することなんかじゃないわ」
すっかりと冷徹さのなくなった母が「ま、私はあなたの親じゃないから親孝行とは呼べないけどね」と、補足してくる。
「それでも、赤の他人であるお二方に頼ろうとするのは」
「はあ……一つ良い? 小鳥遊さん」
母はため息をついて、断言した。
「子供に頼られて、応えようとしない大人はクズよ」
隣では父が「それは言い過ぎじゃ……」と言おうとして、腹にエルボーをぶち込まれている。
「大人は子供を第一に頑張るの。子供を守るために、助けるために、それが当たり前。それが大人として生きる義務。まあ私たちはタガが外れているんだろうし、普通の家庭なら子供のためを思うからこそ、警察に連れていくと思うけど。私たちは、あなたが一番したいことを優先すれば良いと思うわ」
「……!」
「あ、だから、別にしたいならバイトだってすればいいと思う。社会経験にもなるし。こんを詰め過ぎたらダメだけど」
「…………」
小鳥は俯く。その顔色は晴れていない。
「まだ頼ってはくれない、か。なかなか強情だな」
そんな小鳥を見て、父は苦笑いした。対してロクは、黙って小鳥の横顔を見つめる。
(小鳥遊は、お母さんに邪魔者扱いされてきた……)
それは呪縛のようなものなのだろう。
(だから、大人に頼るのが怖いんだ)
「ではこうしよう!」
父がパンっと手を一つ叩き、新しく提案する。
「小鳥遊くんは、その家の家事を全てやってくれないか?」
「え?」
「文字通り全てだ。炊事も洗濯も掃除も、全部君に任せる。その代わりに、その家に滞在することを許す、というのはどうだろう?」
「…………」
「ロクは生活力が皆無だしね。一人、面倒を見てくれる子がいたらなーと、僕たちは常々思っていたんだ。なあ母さん?」
「そうね。そうしてくれると、私たちとしてもありがたいわ。その契約でどう?」
「……それなら」
ようやく小鳥が了承したところで、両親はニッコリ笑った。
「さ、この話はここで終わり。それで小鳥遊さん、少しだけ席を外してくれるかしら?」
「?」
「ロクと私たちだけでお話がしたいの」
「……分かりました」
小鳥は素直に聞き入れてリビングから出て行く。ドアをしっかりと閉めて、階段の前で話が終わるのを待つことにした。
「さて、ロク」
小鳥が去ってすぐ、母は厳格な空気に戻る。
「あの子にはああ言ったけど……あの子の生活費と学費は」
先よりも、一段と空気が張り詰めた。
「あなたが全て出しなさい」
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