第16羽 小鳥、少し昔を語る

 高坂すみれの書いた短編小説の概要はこうだ。


 反抗期の男が家を出て、一人暮らしを始める。そうして家事の大変さを知り、ただいまを言える相手がいない寂しさを知り。両親から届いた手紙を読み、自分を見つめ直して実家に戻る。


 規定した二万文字にほどよく収まる話だ。一人暮らしの経験があるロクとしては、共感できることも多かった。


「まずすみれさんの小説です。とてもストーリーが綺麗に纏まっていて、短編小説にも関わらず、起承転結を丁寧に描けていたのが素晴らしかったです」

「おお……」


 流暢に語られ始めた批評に、思わずすみれは感嘆の声を漏らした。素人とは思えない語り口調だ。


「反面、大きな盛り上がりに欠けているのが欠点だと思われます」

「!」

「起承転結はあるのに、物語が全て平坦に動いている。そんな気がしました」

「……そうだな。同じようなことをよく言われるよ。なんだったら、私自身もそう思う」


 その批評家さながらの口調で、指摘が厳しくなされる。


「だがなかなか、な。いつも盛り上がるストーリーを考えようとはしているのだが……」

「いえ、ストーリーはこのままでいいと思います」

「?」


 予想外の言葉にすみれは首を傾げた。


「盛り上がりがなかったのでは?」

「はい。しかしそれは、おそらくキャラクターの心情描写に原因があるのではと」

「心情描写……」


 こくりと小鳥は頷き、続きを言う。


「ストーリーのクライマックスに差し掛かった時の、キャラクターの心情描写が薄いような気がするんです。心情描写が薄いから感情移入ができない、共感がしにくい。結果的にどこか他人事に見てしまう。そんな気がします」

「なるほど、心情描写か」

「はい。情景描写はとても良かったです」

「ふっ、ありがとう。今日帰ったら、早速試行錯誤してみることにするよ」


 それですみれの作品の評価は終わった。


「次は――」




「――以上です」


 パチパチパチ。ロク、すみれ、雫の三人から小さな拍手が上がる。一人、こっ酷く評された蓮だけは地面に転がっていた。息絶えている。


「本当に有意義な批評だった。ありがとう」

「いえ」

「何かこういう経験はあったのか? 的確で、とても素人とは思えなかったのだが……」

「経験、かは分かりませんが」


 すみれが尋ねると、小鳥は少しだけ目を伏せた。


「母が、作家志望でした」

「ほう」

「昔からよく母の書いたものを読んで、感想を言っていました。それが理由かもしれません」

「なるほど」


 小鳥の伏せられた目に宿る、一抹の寂しさに気づいたのはロクだけだろう。何故なら他の部員たちは、小鳥が捨てられたという事実を知らない。


「しかし母が作家志望だったのなら、小鳥遊くんは小説を書いてみたことはないのかな?」

「……中学生だった頃に一度だけあります。勇気を出して母に見せたのですが、かなり酷評されてしまって」


 「それからは書いてません」と、続けられた。


「ふむ、私は是非とも小鳥遊くんの書いた小説が読みたいのだが。という訳で良ければ文芸部に……」

「考えさせてください」

「そ、そうか」


 流れるような勧誘は、そのまま受け流されてしまう。


「まあ急かしても仕方がない。じっくり入部するか考えてくれ。では次は私から批評を」


 その後、三十分以上かけて全員の批評が終わった。


  ・

  ・

  ・


 帰り道は静かだった。


「小鳥遊のお母さんって、作家目指してたんだな」

「はい」


 他の文芸部員たちとは、ロクの帰る方向だけ違う。だからロクと小鳥、二人きりの下校道だ。


「それは……小鳥遊が捨てられる直前も、そうだったのか?」

「そうです。いつも、ずっと机と向き合っていました」

「そうか」


 ちょうど日没の時間で、空はオレンジ色に染まりつつある。雨続きの今日この頃、久しく見れた夕焼けだった。


「……私、先輩が小説書いてるとこ見るの好きです」

「きゅ、急にどうしたんだ?」


 突然の告白にロクは戸惑う。話の流れがまるで分からない。


「昨日の先輩、楽しそうでした」

「え?」


 昨日ロクが小説を書いていた時、たしかに小鳥は本を読むまでじっと作業風景を見つめていた。そしてロク自身は気づいていなかったが、本を読んでいる間も、小鳥はチラチラとロクの横顔を見ることがあった。


「俺、もしかして執筆中にニヤニヤしてた、とか?」

「そういうんじゃないです。ただ先輩の雰囲気が……私が幼い頃の、母のようでした」


 小鳥は懐かしむように微笑み、少し昔のことを喋り出す。


「楽しそうっていうのは、表情や態度の話じゃないんです。言葉では言い表せないんですが、なんとなく、伝わってくるんです」


 ロクは黙ってその話を聞いていた。


「私はそれがすごく好きなんです。でも母は、だんだんと変わっていきました。どれだけ書いても、本が出版されることもなければ、雑誌に載ることもなく、徐々に書くのが辛そうになっていって」


 「才能がなかったんだと思います」と、路上の水溜りを避けながら、小鳥は寂しそうに告げた。


「それで、バカだった私は、辛いなら書くのをやめたらって、一番かけてはいけない言葉を言っちゃったんです。それから私は」


「邪魔者になりました」


 すっと、小鳥から表情が消える。辛そうでも悲しそうでもない、雫と同じような無表情。でもロクは、小鳥のするその表情の意味を知っていた。


(初めてあった時も、こんな顔してたな)


 何故なら見たことがあったから。その無表情は決して、平気そうにしている訳ではない。


 ちょうどその時、家に着いたロク。


「……ま、小鳥遊が邪魔者だったかどうかなんて、俺は知らないけどさ」


 ドアを開けたあと、先に小鳥の背中を押して家の中に入れようとした。小鳥は「え? え?」と珍しく戸惑いながらも、なされるがままに玄関に入る。


「少なくとも俺は、小鳥遊がこの家に来てくれて嬉しい」


 戸惑う小鳥がおかしくて、ロクは笑った。


「だって」


 自分も一歩家に入る。


「こうして、ただいまって言える人ができたんだから」

「!」


 そっと後ろ手にドアを閉めた。


「ただいま」

「……おかえりなさい」


 すぐに小鳥は後ろを向いて、ロクから顔が見えないようにした。


「やっぱり先輩は、少し恥ずかしい人ですね」

「……俺もちょっと、後悔してる」




 その日の夜。


 見たかったドラマを見ながら、ロクがリビングで小説を書いていたところ。


「ん?」


 パソコンに電話がかかってきた。ビデオ通話だ。ロクにはビデオ通話をかけてくるような人物など、心当たりが一つしかない。


 イヤホンも差さずに、いつものノリで出る。


「やっほー! ロク、元気にしてるー!?」

「してる。てか、いつもいつもテンションが高い」

「そりゃあ、息子の顔を見たらお母さんは嬉しいよ」

「はいはい」


 そう、電話の主はロクの母親だった。


「ところでどう? 最近何かあった?」

「……ない」

「うんー? いつも即答するはずのロクが言葉に詰まったなー?」


(う、うぜえ)


 流石母親、ロクのことに関しては鋭い。大きな身の回りの変化が起きて、しかしそれを隠そうとしたロクの心をしっかりと見抜いたらしい。


「何があったのか、母さん教えて欲しいなー」

「だから何もないって言って……」


 その時だった。風呂に入っていた小鳥が、脱衣所から出てきたのは。


「先輩、あがりました」


 湯上りの小鳥の足元を、パソコン内蔵のWebカメラが捉え、マイクもまた小鳥の声を拾っていた。つまり、


「女の子の声!?」


 一瞬にして、母親にバレてしまった。


「ロク、女の子を連れ込んでるの!? まさか彼女!?」

「いや、この、それは……」

「父さーん! ロクが女の子を家に連れ込んでるー!!」

「なにぃ!?」


 ロクの母親は止まらなかった。すぐに、離れたところにいた夫に知らせる。夫のバタつく音が聞こえてきて、


「あいたぁ! 小指打ったああああああ!」


 騒がしさが増した。


「ロク、しっかり話してもらうからね?」

「ぐっ」


 緊急家族会議が、開かれる。

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