第15羽 ロク、心の中で絶叫する

「やあ、よく来てくれた!」


 すみれが両腕を広げて歓迎の意を示す。文芸部史上、見学者が来ることは初めてだった。部長のすみれとしてはとても喜ばしく、何としても小鳥を入部させようとやる気にみなぎっている。


「私は部長の高坂すみれだ。名前を聞いてもいいかな?」

「小鳥遊小鳥です。よろしくお願いします」

「うむ、よろしく頼む」


 見学者の来訪を喜んでいるのは、何もすみれだけではなかった。無表情の雫も内心ソワソワしており、蓮にいたっては興奮が態度ににじみ出てしまっている。


「小鳥遊小鳥」


 静かなトーンで、小鳥の名を呼ぶ雫。


「お茶は必要?」

「いえ、大丈夫です」

「……!」


 あっさりと断られて大きなショックを受けてしまった。それも表情には全く出ないので、付き合いの長いすみれ以外は、雫の傷心に気付かない。


「では、この菓子はどうだ? 庶民の食べ物だが味はなかなかどうして美味だ!」

「それも、今は大丈夫です」

「!!」


 一方、蓮は分かりやすくしょげてしまう。「盟友……勇気出して聞いたのに……」と、ロクに縋るように泣きついていた。蓮のメンタルの弱さを改めて実感しながら、ロクは「気にすんな。間が悪かっただけだ」と慰める。


「さて、小鳥遊くん。君は小説などは読むのかな?」

「はい。学校の帰りに、よく本屋さんで立ち読みを」

「そうか」


 学校帰りにスーパーマーケットに寄るのが小鳥の日常だった。しかしタイムセールが始まるのは午後四時で、学校のHRが終わるのが三時半頃。微妙に時間がズレていたため、その合間を埋めるために書店に通うことが多かったのだ。


「好きなジャンルはあるか?」

「特にはないです」

「なるほど。それは……どうしたものか」


 すみれが顎に手を当てて考え込む。


「実はな、君には私たちの書いた小説の中から、君の好きなジャンルのものを選んで読んでもらおうと考えていたんだ。文芸部の見学なんて、言ってしまえばあまりすることがないからね。この部のレベルを知ってもらうためには、実際に私たちの小説を読んでもらうのが一番手っ取り早いだろう」


 「それで入部するか否か判断してくれれば良かったんだが……」と続けるすみれ。


「……ではこうするとしよう。今日私たちは、昨日までに各自が執筆してきた短編小説を読み合って批評することにしていた。それに君も参加するといい」

「批評、ですか?」

「そうだ。難しく聞こえるかもしれないが、やることは、良かった点と悪かった点を言うだけさ。私たちはレビューの専門家ではないからね」

「…………」

「もちろん、もし嫌なら断ってくれて構わないよ」

「いえ、私も参加します」

「ふっ、ありがとう」


 微かに笑って、自分の鞄からスマホを取り出した。


「ここに全員分のデータが入っている。小鳥遊くんの連絡先を教えてくれたら、早速送らせてもらうよ」

「はい」


 ・

 ・

 ・


 六月ともなれば日が落ちるのは遅く、夕方の五時を回ってもまだまだ外は明るかった。開けた部室の窓からは、優しい風と遠い運動部の声が少しだけ入ってくる。


 完全な静寂より少し音がある方が人は集中できるため、文芸部員たちと小鳥は良い集中状態にあった。読書の速度が比較的早く、次々と読み進めて行く。


 午後四時に読み始めた文芸部員たちは、自分が書いた短編小説以外の三作を、五時半には読了した。一作あたり約二万文字だったので、計六万文字を一時間半で読んだことになる。


「ふう」


 読み終わったロクは大きな息を一つ吐いてリラックスする。そして小鳥に目をやると、ぱちりと目が合った。


「「……!」」


 揃って目を逸らす。顔を見るだけならともかく、異性と目を合わせるのは二人とも苦手らしかった。


「……小鳥遊はもう読み終わったのか?」

「はい、たった今」

「そうか。早いな」


 自分の分は読む必要のない文芸部員とは違い、小鳥には読む作品が四作もある。つまり約八万文字。それをたったの一時間半で読み切ったというのは大した速さだ。


「さあ、批評に入ろうか。まず誰から行く?」

「我から参ろう。盟友にどうしても尋ねたいことがある」


 すみれが問いかけると、まず蓮が名乗りを上げた。どうやらロクの短編小説に思うところがあったらしい。そして、ロクにはその心当たりがあった。


「我が盟友よ、我の聞きたいことが何か分かるか?」

「……なんだ?」


 一応分からないフリをする。すると、ふるふると蓮の体が震えだし……


「この浮ついた文章はなんだ!? この浮ついた物語はなんだ!?」


 遂に爆発した。蓮の感情が火山のように噴火する。


「き、貴様はこのような軟派な小説を書くような男ではなかっただろう!!」

「…………」


 ロクの心当たりは的中だった。なにせ、自分が今朝読み返した時も同じことを思ったものだ。


「それは私も気になったな。まさかロクが恋愛小説を書いてくるとは。前半はいつもと同じ文体だった分、後半とのギャップが激しかったぞ。何か気の変化でもあったか?」

「いや、まあ、はい。一回ぐらい恋愛小説も書いてみようかと思いまして」

「見損なったぞ!!」


 何故か蓮に見損なわれてしまったが、ロクは大してショックでもなかった。それどころか、今抱いている感情はどちらかと言えば羞恥である。昨日、書いている途中に何故気づかなかったのか分からない。


 ――何か気の変化でもあったのか?


 あった。間違いなくあった。環境に大きな変化があった。ちらりとだけ小鳥を見たあと、


(うわああああああああああ)


 表には出さなかったが、心の中で思いっ切り叫んだ。どうやら自分は相当に浮かれていたらしい。そう反省するロクは、このようなレビューを小鳥の前でされているという事実をたまらなく恥ずかしく思った。


 小鳥が何も気づかないことを願う。


「まあでも、私は読んでいて面白かったぞ。流石はロクといったところだ」

「それは、我もそう思うが……」

「ありがとうございます」


 冷静に評価するすみれの姿に、興奮していた蓮も心を落ち着けた。ロクの小説への言及は一旦ここで終わる。


「いつもと違う、珍しい、そんな偏見は捨てて評価すべきであろう。そういう意味では、私は一切偏見の混じっていない小鳥遊くんの意見が最も気になるな」


 文芸部員一同、小鳥に目を向けた。確かにすみれの言う通り、最も公平性があるのは小鳥の視点だろう。


「誰の作品でも良いから、もし言いたいことがあれば言って欲しい。最後よりも、最初に言ってしまった方が楽だと思うぞ?」

「分かりました。では一人ずつ」


 小鳥は特に緊張したような素振りも見せず、批評を始める。

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