第9羽 ロクと小鳥、買い物に行く
近所のスーパーマーケットでタイムセールが始まるのは夕方の四時からだった。そこから二時間は対象商品が割引される、主婦(主夫)待望の時間帯である。ロクと小鳥もまた、主夫でも主婦でもないが、この時間を狙ってスーパーに来た。
小鳥がガラガラとショッピングカートを手繰り寄せ、そこに買い物かごを一つ載せる。その姿が妙に様になっていて、ロクはふと尋ねた。
「小鳥遊は、スーパーとかよく来るのか?」
「はい。前の家の時は、毎日私が家事を担当していたので」
「……そうか」
小鳥は以前、「ずっと邪魔者扱いされてきました」と言っていた。それなのに家事の担当は全て小鳥がしていたらしい。もしかしたら母親は相当忙しかったのかもしれないが、それでもロクの中でまた一つ小鳥の家庭への不満が積もった。
そんなことはつゆ知らずの小鳥。入口に貼られた広告を見て、この日の安い商品を確認する。タイムセールではなく、広告の品として一日中値段の下がっている商品だ。
「覚えました。先輩、入りましょう」
「ああ」
カートを押し進めて、開きっぱなしのドアから店内に入った。
ざわざわ、ざわざわ。
「混んでますね」
「ま、日曜日のタイムセールだから仕方ない」
店内は、家庭を任されているであろう大人たちで賑わっていた。やはり女性が多いが、昨今の男性も家事に参加すべきという風潮に伴い、少しずつ男性の割合も高まっているとロクは感じた。しかしスーパーに滅多に行かないロクの憶測なので、信憑性など欠片もない。
「前回スーパーに来た時は、ジュースを安く買うためだったな」
「……先輩の生活って、本当に不健康だったんですね」
「すまん」
呆れた顔をする小鳥に何も弁解することができなかった。軽く会話を交えつつ店内を回り始める。
「白菜と……」
スーパーのレイアウトはどこも基本的に似通ったものだった。まず入ってすぐの所に野菜・果物売り場が設置されていて、その奥に肉や魚の売られているスペースがある。ドリンクや乳製品、総菜が売られているのはその更に奥だ。
「長ネギと……」
小説を書くにあたってロクが調べた情報によれば、野菜・果物が入り口近くで売られているのは季節感を出すためらしかった。確かに旬の野菜が店頭に置かれていて、それがある日別の野菜に置き換わっていたとすれば、季節の移り変わりを嫌でも実感させられる。
反対に卵や乳製品などは必需品なので、店を一周してもらうためにも奥に置いているのだとか。
「先輩って、嫌いな食べ物はありますか?」
「……ピーマン」
小鳥はロクを見る。その横顔には微かに羞恥の色が浮かんでいた。
「ふふ、子供ですね」
「うるさい」
珍しく小鳥がからかう。
「今晩はピーマンの肉詰めにしますか?」
「勘弁してくれ……」
「冗談です」
二人の間に流れる和やかな空気。しかしロクも小鳥も、この時全く気づいていなかった。
何者かが眼鏡を光らせて、遠くからじっと二人の様子を見ていたことに。
「ふっ、面白いものを見せてもらった」
その何者かは小声でそう呟き、そっとロクたちにバレないようスーパーを出る。スーパーから離れた所でスマホを取り出し、誰かに向けてメッセージを送信した。
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・
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具材のたくさん入った鍋が煮える。割り下がぐつぐつと軽く沸騰し、嫌でもロクの食欲を煽ってくる。
「もう食べていいか?」
「もう少し待ってください」
白菜、ネギ、しらたき、えのき、しいたけ、薄切りの牛肉、そして焼き豆腐。どれもこれも、美味しそうに茶色の熱湯風呂に浸かっていた。沸騰に合わせて微振動している。
「もうそろそろいいか?」
「だから待ってください」
落ち着かないロクと、その様子に小さく笑う小鳥の手元には、溶き卵の入った小さなお椀が置かれていた。その傍に白米のよそわれた茶碗もある。
そう、今晩のご飯はすき焼きだった。ロクのような男子高校生には
「出来ましたよ」
「よし、いただきます!」
真っ先に牛肉に手を伸ばした。火が入ることで赤色から茶色に変化したそれを、黄色い卵にたっぷり浸す。
肉は一枚一枚が大きかったが、そんな事はお構いなしにと、大口を開けて一口で頬張った。モキュモキュと噛みながら、続けて白米も頬張る。
口内が渋滞していた。しかし割り下の味が染み込んだ肉と日本人の魂である白米はベストマッチだ。白米とすき焼きを同時に食べないという者もいるが、ロクの中にその選択肢はない。
「うまい!」
昨晩おかゆを食べた時のように、丁寧に噛み締めることはしなかった。白菜もネギも焼き豆腐も、次から次へと卵に浸して食べていく。鍋の中身も白米もみるみるうちに消失していった。
「あ、おかわりですね」
「大丈夫、俺がよそうから」
「いえ、私がよそいます」
「……そうか? じゃあ頼む」
「はい」
謎に強情な小鳥に、ロクはよろしくと茶碗を託した。すぐに米が山のように盛られて返ってくる。
「ペース的に、このぐらいは食べますよね?」
「ああ。昼も食べてない分、腹が減って仕方ない。ありがとな」
「このぐらいお礼を言われるまでもないです」
小鳥の予想通り、ロクは苦しげなく山盛りの白米を平らげた。すき焼きも、少なくとも三人前はあった筈なのだがすっかり無くなってしまう。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
ロクにとっては、真の意味でご馳走であった。
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