第8羽 小鳥、小説を読む

 日曜日の朝には、ロクの体調はすっかり回復していた。小鳥の風邪も完治しており、時期的には夏風邪にあたるのだろうが長引かずに済んで幸いだった。ロクにはすべきことがあったからだ。


「何をしているんですか?」

「小説を書いてるんだ」

「小説……」


 時計の長針が十二の文字に重なる頃、起きてから休まずパソコンをカタカタしていたロクに、小鳥が背後から尋ねる。


「俺、文芸部だから」

「そうだったんですね」


 意外というような表情をする。


「見てもいいですか?」

「ああ」


 ひょこっと、ロクの邪魔にならないように小鳥は顔を出した。スクリーンを覗き見てみると、画面いっぱいに綴られた文字の羅列が視界に飛び込んでくる。更に、今も継続して文字が打たれていき、それに合わせて画面もスクロールされていた。凄まじい文章量である。


「…………」


 じいっと小鳥はスクリーンを眺め続ける。そうして時間が経つこと一分。閲覧を許可したロクだったが、ここまで食い入るように見つめられると徐々に気になって集中力が切れてきた。


「なあ、見てて楽しいか?」

「いえ。ですが暇なので」

「暇か」


(一昨日もそれで、俺の部屋に入ってきたよな……。てか今も平然といるし)


 度々小鳥は、暇を理由に予想もしない行動に出る。しかし不可解ではあるが不快でなく、文句を言うのも筋違いだろう。「集中できないからやめてくれ」という言葉も、一度許可した手前、あまり言いたくない。


「なら、俺がこれまでに書いた小説でも読むか?」

「! あるんですか?」

「ああ、ちょっと待ってろ」


 椅子から立ち上がって本棚を漁る。下段に置かれた四冊を手に取って、小鳥に見せた。


「どれがいい?」

「これ、全部先輩が書いたんですか?」

「そうだ」


 小鳥は順々にタイトルを黙読する。『供儀くぎの墓』、『十一人十色』、『青春か、郷愁か』、『One Year for You』。顎に手を当てて悩み、


「それじゃあ、これで」

「分かった」


 選んだのは『十一人十色』だった。ロクはその一冊だけを手渡して、残りは本棚に戻す。


「面白くなかったら、気なんて遣わずに読むのやめていいから」

「はい」


 小鳥はロクのベッドに座り、ぱらりと一ページ目をめくった。その様子を見たロクも、これでやっと集中できると執筆作業に戻った。沈黙が生まれる。


 キーボードの規則的なタイピング音。それがロクの集中力を加速させていき……


 気づかぬうちに一時間が経過した。すると、パソコンに一つのメッセージが届く。


 ――今日が締め切りだぞ、間に合うか


 文芸部部長からのメッセージだった。間髪入れずに返信する。


 ――あと一時間ほどで送れます


 ――ラジャ、健闘を祈る


 そのメッセージの後に、ラッコのデフォルメキャラが二足で立ち、ビシッッッと敬礼しているスタンプが送られてきた。ラッコは軍隊が被りそうな迷彩柄のヘルメットを装着しており、可愛くて癒される。


 ラッコの可愛さに景気づけられて執筆作業を再開するロク。宣言通り、一時間弱で規定量を書き上げた。


「ふう」


 データを送信して一息つく。これで明日の部活で、怒られるようなことはない。小鳥の様子をうかがうと、まだ本を半分ほど読んだところだった。読書の邪魔をしないよう、パソコンにイヤホンを挿してからいつも見ている動画サイトを開く。


(昨日も一昨日も見てないから、動画溜まってんな)


 ・

 ・

 ・


 夕方になり、小鳥は読了したようだった。


「先輩、読み終わりました」

「どうだった?」

「面白かったです」


 感想は一言で告げられる。しかし相変わらずの無表情が、その感想が本音なのかお世辞なのか、判断を難しくさせた。


「……ほんとか?」

「私、嘘はつかない主義なんです」


 つい疑ってしまうロクに、小鳥は抑揚なく言葉を返す。


(このやり取り、出会った時もしたな……)


 どしゃぶりの中でした会話を思い出す。あの一幕は、今思い返せば物語のワンシーンのようだった。


「この本も文芸部の活動で書いたものなんですか?」

「あー、そうはそうなんだが……」


 ロクの歯切れが悪くなる。


「これは、読んだ部長が勝手に出版社に持ち込んで、本当に出版されることになった奴だ。だからこれ自体は、書店で売られてる」

「他の本も?」

「他のは、『十一人十色』で出版社と繋がりができたから、それ経由で出版してもらった」

「なんというか、凄いですね」

「ありがとう」


 ロク自身も珍しい経歴だと思っていた。こんな経験は中々できるものじゃない。


「……あ、もうこんな時間なんですね。そろそろ行かないと」


 何気なく時計を見た小鳥が、突然そんなことを言った。


「行くって、どこに?」

「買い物です」

「買い物?」

「はい」


 首を傾げるロクに、さも当然といったように告げる小鳥。


「晩ご飯の食材がいりますから」

「晩ご飯って……今日も作ってくれるのか?」

「もちろんです」


 小さく微笑んだ。


「いつもあんなご飯は嫌ですから」


 「あんな」とは、おそらく一昨日の晩に食べたカップラーメンのことを言っているのだろう。


「その言い方は、カップラーメンに失礼じゃないか?」

「栄養面の話をしているんです」

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